昨日,ある研究集会で,『Amazonランキングの謎を解く』という本を書かれたK大のH先生の講演を聞いた。
この本を買ってもっていってサインをもらえばよかったと後悔しているが,講演後,懇親会会場までの短い道のりで,少しお話ができたのは嬉しかった。
(僕はまだ風邪がちっとも治らないので懇親会は参加しなかった。)
講演の際,ご自身の著書の Amazon 内のランキング(Amazon ベストセラー商品ランキング-本)について言及されたが,それは確か6万番台で,今日の午後2時ごろに Amazon ランキングの本を検索したところ,確かに6万番台だった。
ところが,ふと思い出して,それから6時間くらい経った今更新してみたら,25,663で,ちょうど4万ほどランクがアップしている!
これは誰かが購入したことを意味する。
ランキングの謎を解明するために単純化した確率モデルは,本の整理法などで知られる move-to-front と呼ばれるルールに基づくものであるが,そのルールは,本を買うとランキングが1位になるというものである。
Amazon が実際にそのようなルールを採用しているかどうかは不明だが,一気に4万番台も順位が上がったところを見ると,結構実情に見合ったルールのように思われる。
このルールだと,ある本が売れずに,それより下位の本が売れていくと,その本の順位はどんどん低くなるはずだが,本当にそうかどうかを確かめるため,著者の先生(と研究室の学生さんたち)が実際にされたように,一日に一回くらい観測してみたくなる。
夏休みの自由研究にうってつけだと思うのだが,どうだろうか。
自動で定期的にサイトの情報を収集するボットを使えばうんと楽であるが,そういうボットを自分で作るというのも十分研究の名に値すると思う。少なくともそういう知識と技術がまったくない僕にとってはそう思える。もちろん,毎日夜10時にランキングを確認する,というように手動で観測するのでもよい。
それにしても,リアルタイムで数字が動くのを見るのは,同じサイトの利用者が世界(この場合はおそらく日本国内だろうけど)のどこかにいて,その人が実際にアクションをとった証を目の当たりにしたということであり,不思議と心がウキウキしてくるような体験である。
なぜ嬉しいような気持ちがするかというと,やはり人間の社会性(寂しがりやなところ)が刺激されるのだろうか。
ランキングの数字の変化を見たときの僕の心の動きも,心理学的に興味のあるところである。
この本を買ってもっていってサインをもらえばよかったと後悔しているが,講演後,懇親会会場までの短い道のりで,少しお話ができたのは嬉しかった。
(僕はまだ風邪がちっとも治らないので懇親会は参加しなかった。)
講演の際,ご自身の著書の Amazon 内のランキング(Amazon ベストセラー商品ランキング-本)について言及されたが,それは確か6万番台で,今日の午後2時ごろに Amazon ランキングの本を検索したところ,確かに6万番台だった。
ところが,ふと思い出して,それから6時間くらい経った今更新してみたら,25,663で,ちょうど4万ほどランクがアップしている!
これは誰かが購入したことを意味する。
ランキングの謎を解明するために単純化した確率モデルは,本の整理法などで知られる move-to-front と呼ばれるルールに基づくものであるが,そのルールは,本を買うとランキングが1位になるというものである。
Amazon が実際にそのようなルールを採用しているかどうかは不明だが,一気に4万番台も順位が上がったところを見ると,結構実情に見合ったルールのように思われる。
このルールだと,ある本が売れずに,それより下位の本が売れていくと,その本の順位はどんどん低くなるはずだが,本当にそうかどうかを確かめるため,著者の先生(と研究室の学生さんたち)が実際にされたように,一日に一回くらい観測してみたくなる。
夏休みの自由研究にうってつけだと思うのだが,どうだろうか。
自動で定期的にサイトの情報を収集するボットを使えばうんと楽であるが,そういうボットを自分で作るというのも十分研究の名に値すると思う。少なくともそういう知識と技術がまったくない僕にとってはそう思える。もちろん,毎日夜10時にランキングを確認する,というように手動で観測するのでもよい。
それにしても,リアルタイムで数字が動くのを見るのは,同じサイトの利用者が世界(この場合はおそらく日本国内だろうけど)のどこかにいて,その人が実際にアクションをとった証を目の当たりにしたということであり,不思議と心がウキウキしてくるような体験である。
なぜ嬉しいような気持ちがするかというと,やはり人間の社会性(寂しがりやなところ)が刺激されるのだろうか。
ランキングの数字の変化を見たときの僕の心の動きも,心理学的に興味のあるところである。