担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

加法的な関数:Darboux と Everett III.

2014-10-31 23:31:05 | mathematics
量子力学の多世界解釈の創始者,Hugh Everett III の元ネタの学位論文には,謎の measure なるものが登場する。

その measure はいわば加法的な関数であり,任意の 0 以上の実数に対して

m(a+b)=m(a)+m(b)

が成り立つことを要請される。

この有名な Cauchy の関数方程式は非常に詳しく研究されているが,Everett III は比較的あっさりと,m が比例関数,つまり,比例定数 c≧0 が存在して

m(x)=cx

と表せると述べている。

ところが,このように比例関数になると断言するためには,m に関する加法性以外にもなんらかの仮定が必要なのである。

それが欠けているのでここのところの議論は怪しいなと思ったのだが,Aczél の "Lectures on Functional Equations and Their Applications" (Academic Press, 1966) に,m が比例関数になるための十分条件がいろいろ載っていた記憶があったので見てみたところ,Chapter 2 の Theorem 1 として Darboux の結果がまとめられているのが目を引いた。いくつか条件が挙げられているが,とりわけ十分小さい正の数 x について m(x)>0 が成り立つこと,というものが今回役に立ちそうであった。

Gaston Darboux は19世紀後半のフランスを代表する数学者の一人であるが,その1875年に発表された論文 "Sur la composition des forces en statique" に,確かにそれらしき記述 (pp.283-284) が見られる。「それらしき」と書いたのは,フランス語なので僕にはよくわからないため判断がつかないからである。ただ,おそらくそこに述べられた証明は僕が考えた次の議論と全く同じと思われる。

非負の実数 x に対して定義された関数 f が,任意の非負の実数 x,y に対して

f(x+y)=f(x)+f(y)

を満たし,さらに任意の非負の実数 x に対して f(x)>0 を満たすと仮定する。

このとき,f(0)=f(0+0)=f(0)+f(0) であるから f(0)=0 となる。

また,f(1)=c とおくと,任意の正の整数 m および非負の実数 x に対し

f(mx)=f(x+...+x)=mf(x)

が成り立つ。したがって,任意の正の整数 n に対し,

f(x)=f(n・(x/n))=nf(x/n),

すなわち f(x/n)=f(x)/n が成り立つ。

これらを合わせると,任意の正の有理数 r=m/n(ただし m と n は正)および非負の実数 x に対し

f(rx)=f(m・x/n)=(m/n)f(x)=rf(x)

が成り立つことがわかる。

また,任意の非負の実数 x と y に対し,もし x≦y ならば y-x≧0 であるから,

f(y)=f(x+(y-x))=f(x)+f(y-x)

であることから,f(x)≦f(y) が成り立つ。つまり f は単調増加である。この単調性がポイントである。

さて,さきほどの議論から,非負の有理数 r に対して f(r)=f(r・1)=rf(1)=cr が成り立つことがわかっている。

任意の正の実数 z および任意の正の整数 n に対し,p<x≦p+1/n を満たすような正の有理数 p が存在する。実際,数直線に間隔 1/n の目盛を入れれば,任意の実数 x は二つの隣り合う目盛の間に落ちるはずなので,m/n<x≦(m+1)/n を満たす整数 m があることになる。このような m に対し,p=m/n とおけばよい。

このとき,0<x-p≦1/n であるから,f の単調性により f(x-p)≦f(1/n)=c/n が成り立つ。したがって,

cx-c/n≦pc=f(p)<f(x)=f(x-p)+f(p)≦c/n+pc<cx+c/n

となる。ゆえに,はさみうちの原理により,f(x)=cx であることがわかる。■


Darboux の定理の仮定だけを知って,しばらく頭の中だけで証明のあたりをつけたのだが,いざ紙に書き出してみると f(x-p) の処置に困って頓挫した。さらに考えたところ,f の単調性に気付き,どうにか最後までたどりつくことができた。

というわけで,多世界解釈の理論において measure は基本的に正の実数値を取るという,連続性よりも弱いが物理的に見てそれほど不自然ではない仮定を課せば,Darboux の定理によってその measure が比例関数であると自信をもって言い切ることができることがわかり,Everett III の議論に対する疑問は自己解決したのであった。


それにしても,僕ごときがいうのもなんだけど,みんなすごいね。いろいろ極めてるねぇ。

Maxwell が提示した関数方程式 f(x+y+z)=g(x)g(y)g(z) についても,自分なりに解いてみたことがあるが,Banach と Ruziewicz の共著論文を見たら自分の考察が全く甘くて結構へこんでいる。その話は,またいずれ。
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とある組合せ論の問題。

2014-10-30 22:43:23 | 情報系
かれこれ4年前のことだったと思うが,gk 氏から RSA 暗号の話を聞いて文献をいろいろ漁った際に,例えば 3 人のうち 2 人以上が集まらないと金庫の鍵が開けられないようにするには,金庫に錠前をいくつつけ,各自にそれぞれいくつずつ鍵を分配したらよいか,というような問題を取り上げた文献があったことを思い出した。

それが誰のなんという文献だったか,肝心のことが思い出せずに困っていたが,gk 氏に助けを請うたところ,秘密共有に関する Wikipedia の英語版の URL を教えてもらった。

そこに挙げられていた参考文献のうちの一つ,1979年の Shamir の "How to share a secret" がまさに求めていた文献であった。

この論文の冒頭に Liu の "Introduction to Combinatorial Mathematics"(『組合せ数学入門 I・II』として共立出版からの邦訳がある)という組合せ論のテキストの例題が取り上げられている。それは同書の最初の方に載っている Example 1-11 である。問題番号に合わせているのか,11人の科学者が 6 人以上集まらなければ重要書類を入れた引き出しの鍵を開けられないようにするためには最小でいくつの鍵と錠前が必要であるか,という問題である。

これを4年前に知った時に,あれこれ考えて理解できた気になっていたのだが,今改めて考え直したら,1日ちょっとかかってしまった。

前は自分で解いた気がするんだけどなぁ。あれは一体どうやったんだっけ?

・・・などと,余計な思念が思考の邪魔をしてなかなか考えが進まなかった。

時折こういった経験をする。今となっては不確かな幻の「昔取った杵柄」(使い方が間違ってるか・・・)が現在の自分を邪魔するのである。

ちなみに,今度はちゃんと理解できたと思う。まあ,また忘れてしまったとしても,Liu の本にちゃんと解説が載っているのだから,その時は素直にそれを見ることにしよう。


なお,4人のうち3人が・・・という問題の方の答えは,

錠前は 6 つ,
鍵は一人につき 3 つずつ

配分すればよい。4 人の名前を A, B, C, D とし,A に錠前 1 と錠前 2 の鍵を持たせ,他の種類の鍵は持たせないことを 110000 のように書くことにすれば,

A 111000
B 100110
C 010101
D 001011

のような配分にすればよい。このように,どの錠前についても,その鍵を 4 人のうち半数の 2 人が持っていれば,どの 3 人を選んでも一人は必ずその鍵を持っている者が含まれるため,鍵を開けることができる。また,どの 2 人を選んでも,必ず一種類足りない鍵が出てしまう。したがって,問題の条件をきちんとクリアしていることがわかるだろう。

興味のある人はこの解を導く議論を考えてみてはいかがだろうか。さらには,Liu のオリジナルの問題や,n 人のうち m(≧2) 人以上が集まらないと金庫を開けられないようにするには,少なくともいくつの錠前と鍵を用意しなければならないか,という一般的な問題を考えるのも面白いだろう。
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This is Halloween.

2014-10-30 22:17:07 | 爺ネタ
「ありのままソング」の呪いは解けつつあり,他の洗脳ソングはないか気になってきた。

そういえば,近年,日本でもハロウィンを気にする傾向が強まってきた。

クリスマスには洋の東西を問わず,これまでに何度繰り返し聞かされてきたかわからない定番ソングがいくつかあるが,ハロウィンの決定版といった局は一つも知らない。

そんなことを思っていたら,ある人から Tim Burton 監督の名作映画 "Nightmare Before Christmas"(観たことあるかどうか記憶にないが・・・)の劇中で使用されている "This Is Halloween" という曲があることを教わった。しかも Marilyn Manson 版を勧められた。

その動画が Y○uTube に落ちていたので視聴してみたのだが,うん,めちゃくちゃハマってるね。
なんってったって,Marilyn Manson のメイクはもろに年中ハロウィンだからねー。

関連動画に懐かしい洋楽がたくさんあったのでついつい手当たり次第に視聴してしまった。

どうでもよいことだが,Marilyn Manson が depeche mode の "Personal Jesus" をカバーしていたのには驚いた。

うん,それもまんまだね。違和感が全くない。

同じ depeche mode のカバーでも,Rammstein の "Stripped" は違和感しかない。
まあ,かっこいいんだけどね。

げー,Scooter もカバーしてんのか・・・。こっちはまるで違和感ないな。
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きちんと確かめたわけではないが。

2014-10-29 19:34:00 | Weblog
ドングリがたくさん落ちているところで,カラスが地面から何かを拾ってくちばしでくわえている。

カラスも鳥だし,ドングリも木の実だし,なんの不思議もない取り合わせだが,くちばしでくわえているのはドングリなのかどうか気になったものの,離れていると見えないし,近づくと逃げるしということで,すぐにあきらめて観察タイムを終了した。

ところが,カラスから目を離してしばらく後,カラスがひとしきり鳴いた後,カツンカツンと固いものに固いものをぶつけているような音がした。


?!


ひょっとして,コンクリートが打ってある地面にドングリをたたきつけて殻を割ったのかッ?!


やはり距離があると見えず,近づくと距離を保つように逃げる。再度観察をあきらめたが,地面に何かを取りこぼしたところは見逃さなかった。

ドングリの殻の中身らしきものが縦に半分に割れたものがそこには転がっていた。


カラスは知能が高いという噂と,散らばったドングリの中身という状況証拠を併せて考えると,カラスがドングリの殻を割って中身だけを食べているという仮説が俄然信憑性を増す。


もしそうだとしたらすごいな。というか,薄気味悪いな・・・。
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日本語でおけ。

2014-10-29 19:27:05 | Weblog
電車の中で少し離れたところの大学生風の二人の若い男のうち,一方が興奮しているのかそこそこ大きな声で話しているのが聞こえてきた。

話の内容にはまるで興味がないのだが,音の暴力はすさまじく,会話の断片が遠慮なしにこちらの耳につきささってくる。

「オレ,マジ詰んでた。」

くらいは,まあ意味が分かるとしても,

「ユグドラシル(がどうのこうの)」

やら,

「ワンチャン,ワンチャン!」

「ガチャ」

だのは,ほとんど意味不明である。

かろうじてわかるのは,「ワンチャン」がどうも犬を指しているのではなさそうなことくらいである。


日本語でおけ,というフレーズはこういうときにこそ使うんだろうな,と同時に,僕の授業なんかも学生にとっては「日本語でおけ」なんだろうな,としみじみ思う,そんな秋の朝であった。
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技術の進歩は速い。

2014-10-29 19:21:20 | Weblog
数年前にハードディスクの容量が TB の域に達したので,ぼちぼち 10 TB,否,100 TB まで達しているのではないかと冗談半分にググってみたら,10TBのハードディスクが試験販売されたというニュースがヒットしてたまげた。

授業中に,学生に向けて,将来電子機器メーカーに就職した暁には,ぜひ電子黒板を開発してもらいたいと冗談半分に話すことがあるが,ついこの間,かなり大きなサイズの電子ホワイトボードの広告を見た。電子黒板の実現は秒読み段階に入ったも同然である。
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夢か現か。

2014-10-29 19:18:38 | Weblog
起きる予定の時刻より一時間早く目が覚めてしまったので,二度寝したのだが,そのときとてもリアルな夢を見た。

再び目覚めたときは,それが夢だったとはなかなか信じられなかったほどである。

潜在意識の底に眠る願望がそんな夢を見させたのだろうか。

できれば現実の出来事であってほしかった。

そう思わせるようなゆめであった。
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その証明は納得できるか。

2014-10-28 23:37:08 | mathematics
背理法は非常に強力な証明手段であり,現代数学の発展を根底から支えている。

それはそうなのだが,あまり背理法ばかりに頼ると手作り感が数学から損なわれ,自分は一体何をやっているんだろうと空しさを覚える瞬間もあるのかもしれない。

自身の名を冠した有名な不動点定理を背理法によって示したらしい直観主義の創始者である Brouwer は,そんな気持ちを懐いた数学者の一人だったのかもしれない。

背理法を毛嫌いする必要はないだろうが,使わなくて済むならそれに越したことはない。こう考えるのは人情というものではないかと感じる。

さて,Euclid の原論にたぶん載っているであろう,非常に有名な定理がある。いわく,素数は無限に存在する。

オリジナルの証明は背理法によるものだそうだ。

素数が有限個しかないと仮定する。それらをすべてリストアップしたものが p, q, ..., r だったとすると,これらすべてをかけたものに 1 を足して得られる数は,p, q, ..., r のいずれで割っても必ず 1 余るため,割り切れない。ところが,どんな自然数もいくつかの素数の積で表せるはずだから,これは矛盾である。■

基本的にはこんな感じの証明なわけだが,この論法の要点は,手元にあるいくつかの素数を使って新たな「素数候補」を生み出すところにある。

そう考えると,背理法のような間接証明ではなく,次のような直接証明に書き直すことができる。

手元に p, q, ..., r という,「ある素数 x 以下のすべての素数」があるとき,それらのいずれよりも大きい素数を必ず見出すことができる。実際,p, q, ..., r の積に 1 を加えたものを y とおくと,それは p, q, ..., r のいずれでも割り切れない。したがって,その新しい数自身が素数かもしれない。もしそうでないとしても,y を素因数分解したときに得られる素数 y を割り切る素数なのであるから,y を割り切れない p, q, ..., r のいずれとも異なる,したがって,それは x よりも大きい素数である。■

これは constructive mathematics というタイトルを付された本の序文に述べられていた議論であるが,ふと次のような疑問を持った。(なお,その本の立場が背理法を認めない直観主義とどういう関係にあるのか,ちゃんと読んでいないので今のところ僕には何も確かなことを言えない。)

非常に有名な例として,無理数を無理数乗したものが有理数になることはあるか,という問題に対する次のような解答がある。

a=√2 とおく。a は無理数である。

b=aa とおくと,これは実数であるから,有理数か無理数かのいずれかである。

もし b が有理数ならばこれが答えである。

もし b が無理数ならば,ba=(√2)2=2 となり,これが「無理数の無理数乗が有理数になる」具体例になる。□

この議論は Wikipedia の排中律の項目にも取り上げられている。初めて目にしたのは数年前のことで,砂田利一氏の『新版 バナッハ‐タルスキーのパラドックス』(岩波科学ライブラリー165)の巻末の「付録2 人間業と御神託」という短いエッセイである。選択公理という,これまた現代数学の超強力なツールの一つである超越的な論法を巧みに駆使した Banach-Tarski の定理も前々から興味があったが,この本もちゃんと読破したとは言えない。(こんなんばっかで我ながらだいぶ飽きてきた。いや,『ありのままの姿見せるのよ~・・・これで~いいのぉ~自分を好きなって~えぇ~♪』の精神でいくべきか。)

(余談であるが無理数の無理数乗が有理数になる例は簡単にあげることができ,それは例えば √10 の 2log102 乗である。)

直観主義や構成的数学といったものの実態は僕にはまだつかめていないが,先ほどの素数が無限にあることの直接的な証明は排中律に基づいているように思えるので,直観主義の枠を超えているのかもしれない。いや,いいのかなぁ。


★ある自然数は「素数である」か「素数でない」かのいずれかである。

素数であればそれでおしまい。

素数でなければ合成数ということだから,2つ以上の素数の積であらわせる。その因数のいずれかはすでにある素数のリストには載っていない,新しい素数である。

★印の箇所がまさに排中律に他ならない。しかし,いま議論しているのは 1 個の数 y についての議論であり,それが素数であるか否かは有限回の手続きで判定可能である。そう考えると,直観主義の「有限集合に対する排中律の適用は認める」という立場の範疇に収まっているように思える。


うーむ。なかなか話は込み入っておるな。いずれにせよ,直観主義や構成主義についてもっと詳しく知る必要があるのは間違いない。ぼちぼち勉強していくとしよう。
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わけがわからないよ。

2014-10-28 18:26:12 | もじりあーの。
電車に乗っているときに重い浮かんだ言葉。


『親しき仲にもセクハラあり。』

『痴女と野獣』


まだ午前中だったというのに,頭の中がピンク色だったらしい。



Banach 空間における基礎的な1階微分方程式の解の存在などというとても堅いことを考えていたときだというのに,一体どういうわけだろう。





わけがわからないよ。
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わけがわからないよ。

2014-10-28 18:22:41 | 食べ物,アニメ,資格試験・検定,株
ロ○ソンで「キュゥべえまん」なるものが販売されるらしい。






わけがわからないよ。
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