担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

cept という語。

2012-07-30 21:26:30 | 雑感
実数の理論というのは,例えば大学の微積の授業でまじめに取り扱おうとすると,そこそこボリュームのある理論なので,全容を説明するのにはかなりの時間を要する。しかも,小学校から高校までの算数・数学の典型的な取り扱いである「公式を当てはめて計算して終わり」というパターンとは全くといってよいほど異質な,計算よりも理屈に重点が置かれる内容のため,そのような思考の型に慣れるためには,かなりの修練と忍耐が必要となる。そういうわけで,理工系の大学生であってすら,実数論の体系を授業で展開されてはちんぷんかんぷんであろう。的確なたとえではないが,全自動洗濯機というのは衣服と洗剤を入れてスタートボタンをぽちっと押すものだという認識しか持たない人が,いきなり洗濯機を分解して各パーツの機能やそれらの連携についてとうとうと説明されるのと同じ種類の戸惑いと違和感が生じるのである。

真正面から実数論を講義するのは危険極まりない行為であるが,そうはいってもごく少数のエッセンスを選んでつまみ食いをさせるというのも,理論体系を無視し,知識をバラバラに提示するのであるから,実数論の概要を理解するどころではない。したがって,そういうやり方も望ましくない。

そこまで考えてふと思いついたアイデアは,「数の歴史」ともいうべき話を講話として紹介することである。いうなれば人類の数に対する認識の変遷をかいつまんで説明するのである。ただし,僕が持っている知識は少なすぎるし,断片的だし,ほとんど体系立っていないため,現時点ではとても1コマも話をもたせることはできない。そして,史実に反する間違った話をするわけにもいかないので,準備にはかなりの時間と労力が必要になる見込みである。

ただ,いつの時代から人類は「実数」というものを意識しだしたのか,という問い自体はとても魅力的なので,趣味として調べてみたいものである。また,そうして生まれた原始的な実数概念は微分積分学(というより,解析学というもっと広いカテゴリーでとらえるべきだろう)の発展によって19世紀あたりに大きな危機を迎え,「実数とは何か」という問いが数学の中心課題になった様子や,その危機を先人たちはどのように乗り越えたのか,という話は,うまく語ればなかなか面白いものになるに違いない。

19世紀の終わりごろに数学全体の危機が直面した危機は,フーリエ級数という,現在の科学技術を根幹で支えていると言っても過言ではないような理論がその発端となって生じた。そしてそれは一方で積分の理論の精密化を促した。その大きな流れの中で実数概念の見直しも行われたのである。

そのフーリエ級数の理論(実際には,フーリエ解析という名のより広大な理論)は,実は我々人間が耳で音を聞いたり,目で色を認識するといった知覚の機能と密接な関係がある。そんな話を切り口にすれば,純然たる数学の話をするだけよりも多くの人に興味を持ってもらいやすいかもしれない。

※ 上に述べた数学の発展史の概要や知覚の仕組みは,綿密に調べた上で書いているわけではなく,なんとなくそんなような話だったっけな~とうろ覚えの知識に基づいて書いているので,正確さに著しく欠けるかもしれないことをお断りしておく。

そんなことをつらつらと考えているとき,そういえば色覚は "color perception" というのだったかと,ちょうど一年ほど前に友人の gk 氏から教わったことを思い出した。

そして,関心は perception という単語の成り立ちへと移っていった。

percept という単語は,2つの見覚えのある単語 per + cept と分解できそうだなぁ。

per という接頭辞はどんな意味を持つのだろう? perplex という単語がすぐに思い浮かぶが,あれは確か複雑なとかこんがらがったという感じの意味ではなかっただろうか?

perplex の plex は,complex の plex と確か同じ意味ではなかったっけ?complex も複雑な胸の裡(うち)を表現するのに使われる語だったと思うのだが。そうすると,plex はそういう「こんがらがった」状態を指す語なのだろう。それに per がついたら,どんなニュアンスが付け加わるのだろうか。

plex の線は僕の知識ではこれ以上たどれそうにないので,自然と考えは cept に移っていった。

cept がつく語としては,accept,recept,intercept,concept などがすぐに思い浮かんだ。

accept は受け入れる,recept は reception という名詞からして,やはり何か受け入れるという感じの意味合いがある。そうすると concept はどうだろうか?con というのは一体どういう意味の語なのだろうか?ちょっとわからないな。intercept はどうか?これは球技でパスを途中でカットするくらいの意味しか知らないが,いわば邪魔するというわけだな。うーん,受け入れるという cept の本来の意味とは逆なようだが,inter は international などのように,つながりというか,連携を表すようなニュアンスを感じるのだが・・・。

このあたりが僕の限界だったので,帰宅してから internet でいろいろ検索してみた。そうすると,cept の意味は「受け入れる」という感じのものらしい。そして,代表的な複合語として except が例に挙げられていた。

なるほど!

except は完璧に見落としていた。ex は「除く」という感じがする。except は「受け入れ拒否」という感じなのだろうか。受容できる集団から外れたもの,つまり例外ということである。こう考えれば,十分に意味はつかめる。

さて,謎だった intercept も,inter というのは「間(あいだ)」という感じがするので,intercept は「間で受け取る」,つまりパスをやり取りしている二者の間に割り込んでパスを横取りするということなのだろう。

こういう,接頭辞や接尾辞と語幹の複合として単語の意味を読み解くという話は何も目新しいことではなく,言語教育においては基礎的な部類の話であろう。したがって,今回話題にしたような英単語についてたくさんの例を解説した書物は世の中にたくさん出回っていそうである。そういえば,英語の辞書の中には語源の解説も載せているものもあったことを思い出した。

そうした本の内容をよりよく身につけるには,知識として覚えるだけでなく,ちょっと思いついた単語についてあれこれ考えをめぐらせることが大事であろう。そういう本を手にする機会があったら,うすぼんやりしているときの暇つぶしが一つ増えることになりそうだ。それは楽しみである。
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いつの間にやら。

2012-07-30 21:15:18 | Weblog
ニイニイゼミやヒグラシだけでなく,アブラゼミやミンミンゼミの鳴き声も聞こえてくるようになった今日この頃,僕のホームページのカウンターが 33333 をカウントしたようだ。

これは推測だが,その瞬間は本日未明であったと思われるので,気づきようもなかった。

記念すべき瞬間を逃したのは残念だが,今度は 44444 まで気長に待つこととしよう。
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エスパーに出会った。

2012-07-23 23:17:33 | Weblog
今日,とある建物の一階でエレベーターを待っているとき,エレベーターに乗ってきた人がなぜだか降り際にある階のボタンを押してから出て行った。

それはまさに僕が行こうとしていた階であった。

降りた人は僕の知らない人であり,当然向こうも僕のことを知らなかっただろう。

というより,僕はドアの正面に立っていたわけではなく,中にいたその人が僕が待っていることを目で確認するよりも前にその階のボタンを押したのである。僕にはその人のボタンを押している手だけが見えていた。

おそらくその人は僕が行こうとしていた階からやって来て,その人が乗ったエレベーターのドアが閉まるときに誰か乗りそびれた人の気配があり,エレベーターがすぐに戻るようにと乗ってきた階のボタンを押したのではないかと思うが,そうだとしても少々不自然な行動のような気がする。

そもそも,ちょうど僕のように一階で待っている人がいるかもしれず,その人が違う階に行きたかった場合には乗ってきた人に降り際に勝手に違う階のボタンを押されては迷惑なことである。

そういうわけで,一種のいたずらか,あるいはその人にとっての何がしかの儀式のようなものだったのかもしれないが,ともかく,奇しくも僕が降りようと思っていた階のボタンだったのが不思議でならない。

ただの偶然か。

それとも,その人がエスパー(テレパス)だったのか。

あるいは,僕が自分でも気づいていない秘めた力をついに解き放ってしまったのだろうか・・・。
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久々のロケット発射。

2012-07-23 22:53:19 | 
今月上旬は急に暑くなった。そのせいか,5歳になったばかりのメス猫,ピピちゃんが元気なく横たわっているようになった。

まだまだ若いのに,このまま弱って死んでしまうのではないかと気がかりだったが,今ではかなり元気を回復している。

動物病院に連れて行くことも考えたが,とりあえず普段の乾いたキャットフードではなく,シーチキンに似た感じのおやつのようなキャットフードを与えて元気が回復するか様子をみることにした。幸い,ピピちゃんはそういうエサが大好物で,他の猫に負けじと一所懸命汁を舐めていたので見込みがあった。

関係ないが,1歳年上のメス猫ラーディはそういうキャットフードは一切口にしない変わり者なので,病気になったときエサに薬を混ぜて与えるという方法が通用しそうになく,いざ病気になったときにはどうしようと気がかりである。

ついでにいうと,生まれつき足の悪いパンミちゃんはそういうキャットフードが大好物で,ぐてっと力なく横になっていても,そばにエサをおくとすぐに食いついてくる。なかなか野性味あふれる肉食系なのである。

さて,猫を元気にするおまじないはエサだけではなく,よく可愛がることである。もともと猫を見かけるとしょっちゅう声をかけたり,寄ってきたら頭をなでたりしているしているが,ピピちゃんに対してはかまう時間をいつもより少し長めにするよう心がけた。

ただ,体をなでながら腰のところをつかんでみると,かなり痩せていることがわかった。やはり何かの病気なのかもしれない。

ともかく,そうした甲斐あってか,それともここ数日少し涼しかったおかげか,ピピちゃんの仕草がほぼ普段通りになってきた。

「ピピちゃん」と声をかけながら首や背中を撫でてやると,目を細めながら「ウニャ」と小さい声で鳴く。
撫で始めてすぐにはなかないが,そろそろ鳴くんじゃないかなと思ったちょうどそのころに鳴くので,以心伝心である。

口元に顔を近づけると鼻の頭を舐めてくれる。鼻を舐める猫はピピとラーディしかいない。

そして今日,ピピちゃんの代名詞ともいうべきロケットジャンプの誘導に二回成功した。

ピピちゃんが足元でちょっと立ち止まって目を大きく見開いて僕の顔を見上げているときは,かなりの確率で「ボロッ」と鳴きながら人の胸元目掛けて飛んできたものである。

最近ご無沙汰だったが,おいでおいでと胸元を叩きながら呼ぶと,ためらいながらも飛んできたのである。

飛んできたら抱きとめて,顔を鼻の近くにもっていってやると鼻の頭を舐めてくる。そしたらすぐに下ろす。鼻の頭を舐めさせるのが,いわば飛んできたご褒美のようなもので,この一連の流れがピピロケット・イベントが発生したときのしきたりである。

またこれから暑い日々が戻ってくるようなので,ピピちゃんの具合が心配であるが,どうにかこの夏を元気に乗り越えてもらいたいものである。
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ゴマダラカミキリ。

2012-07-21 23:27:19 | 爺ネタ
昨日の昼間に,近所の家の外壁にへばりついているゴマダラカミキリを見つけた。

子供の頃,当時住んでいた地域ではよく見かけたものだが,大人になってからはあまり見かけない。久々である。

いたずらでちょっとつかむと,首の辺りをキューキュー鳴らして鳴いた。懐かしい声である。

近所のスーパーに向かっている途中で見かけたのだが,帰りに見たらまだいた。しかし,今日見てみたらさすがに姿はなかった。


昨夜は最寄り駅から帰る途中,ウシガエルだかヒキガエルだか,大きなカエルに気づかず,蹴っ飛ばしてしまった。幸い,蹴飛ばされたカエルはすぐに体勢を整えてあじさいの藪の中に消えていった。そういえば自転車が多く通る道のど真ん中にもカエルがいるのを見かけたことを思い出したが,轢かれずに済んだかどうか。

ヒキガエルが轢かれてしまっては洒落にもならない。
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【高校数学のツボ】 対数微分法で積と商の微分公式を導く。

2012-07-21 00:59:17 | mathematics
数の計算には3つの階層がある。

足し算 3+4=7,

掛け算 3×4=12,

累乗 34=81.

掛け算は足し算を繰り返したもの,累乗は掛け算を繰り返したものと素朴に解釈すると,足し算より掛け算の方が,掛け算よりも累乗の方が,それぞれ計算の手間が多くかかる。初めに「階層」と書いたのは,この計算の手間の多さに関する階層のことである。

これらの階層を一段階ずつ下げる変換魔法がある。それは「対数」である。

掛け算の対数をとると,一段階下の足し算になり,累乗の対数をとると,やはり一段階下の掛け算になる。

そして,微分計算は積より和の方が相性が良いため,対数微分法と呼ばれる手法が威力を発揮する。

u と v を2つの関数としよう。u と v を掛けて得られる新しい関数を y とおく(y=uv)。

このとき,

log|y|=log|u|+log|v|

であるから,両辺を微分すると,それぞれに合成関数の微分公式を適用すれば

y ' /y=u ' /u+v ' /v

が得られる。この両辺に y=uv を掛ければ

(uv) ' =u ' v+uv '

となるが,これは積の微分公式に他ならない。

ちょうど,「積の対数は対数の和」であることから,積の微分公式に和が出てくることが了承される。

また,y=u/v であれば,

log|y|=log|u|-log|v|

なので,

y ' /y=u ' /u-v ' /v=(u ' v-uv ')/(uv)

であるが,両辺に y=u/v を掛ると

(u/v) ' =(u ' v-uv ' )/v2

となり,商の微分公式が得られる。

「商の対数は対数の差」であることが,商の微分公式の分子に差が出てくる理由であると理解できる。

このように,すでによく知っている(はずの)対数の計算規則と積や商の微分規則を結びつければ,積の微分や商の微分で和なのか差なのかで迷うことはなくなるだろう。

ちなみに,y=tan(x) のとき,tan(x)=sin(x)/cos(x) であるから,

log|tan(x)|=log|sin(x)|-log|cos(x)|

であり,両辺を微分すると

(tan(x)) ' /tan(x)=cos(x)/sin(x)+sin(x)/cos(x)

となり,log|sin(x)| の導関数が cot(x)(tan(x) の逆数)であり,-log|cos(x)| の導関数が tan(x) になることが発見される。こうして,敢えて tan(x) を対数微分してみることで,cot(x) と tan(x) の原始関数が log|sin(x)| と -log|cos(x)| であることを見出すことができた。すでによく知っていることでも,少し違った方向から光を当てると,思いがけない副産物に出くわすことがある。そうやって自分の持っている知識をいろいろ試して「遊ぶ」ことは,物事を深く理解することに役立つ。

問題集などの問題を解くだけでは不十分であり,自分で何か思いついたらその疑問を自力で追及するという,いわば自分で問題を考えるという段階までいかないと,習ったことの理解を深めることにはならないだろう。問題集の問題は,解いたり答を見たりしたらすぐに忘れてしまうが,自分で疑問に思ったことは,解決するか,あきらめるまでにずっと頭の中をぐるぐると回り続ける。そして,解決するために役立ちそうな知識を得るため,教科書やノートを調べる必要が生じる。つまり,自ずから勉強するはめになる。また,他人に解けと押し付けられた問題ではなく,自分が好きで考えていることなので,その問題に取り組むことはさほど苦ではない。自分で考えたいと思っていることをずっと考え続ける。そうすると,丸暗記しようとしてもなかなか身につかない公式などもだんだん覚えられるようになってくる。要は,その話題についてどれくらい考え続けたか。公式などをどれくらい長いこと頭の中を循環させたか。ある事柄を,他の事柄と関連付けられないかどうかを,どれくらい試してきたか。こういったことはそれほど特別なことではなく,その気になれば誰にでも出来ることだと思うのだが,どうだろうか。そして一旦そのようなモードになってしまえば,取り組んでいる科目をある程度まで極めるのは容易なことであろう。「好きこそ物の上手なれ」とはまさにそうした脳の特性をいうのだろう。


さて,もう一つ累乗の微分が残っている。これもやってみよう。

y=uv のとき,対数をとると log|y|=vlog|u| だから,微分すると,積の微分公式により

y ' /y=v ' log|u|+u ' v/u=(ulog|u| v ' +u ' v)/u

となる。両辺に y を掛けると

(uv) ' =(ulog|u| v ' +u ' v)uv-1

となる。これはあまりすっきりしていないので記憶すべきような公式ではないが,a を適当な定数とするとき,u=a,v=x(独立変数)とすれば (a) ' =0 なので

(ax) ' =(alog(a))ax-1=axlog(a)

という指数関数 ax の導関数が得られ,u=x,v=a とすれば

(xa) ' =axa-1

という,x のべき(累乗)xa の導関数が得られる。

こうして,対数関数の導関数と合成関数の微分公式を組み合わせた対数微分法から,積と商の微分公式や,指数関数や累乗の微分公式が得られることがわかった。

対数微分法とは,かくも強力な手法なのである。まさに人類の知恵というに相応しい計算法ではないだろうか。
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【高校数学のツボ】 指数と対数。

2012-07-20 23:43:38 | mathematics
三角関数の単元と比べると,同じく高校で新しく出会う関数であっても,指数関数と対数関数については覚えるべき公式はそれほど多くはない。

今回は,底 a と対数の記号 loga が「約せる」という現象をテーマに,いくつかの事実を述べることにする。

正の数 a を b 乗したら正の数 c になる,という3つの数 a,b,c の三つ巴の関係は

ab=c

という等式で表現される。それぞれの数の担っている役割の名称で書けば

指数=真数

となる。

ここで,指数を主役にした式に書き換えると,新たな記号 log を導入して

b=logac

という等式になる。

この式を頭から読むと「指数 b は a を底とする真数 c の対数である」となる。

ここで,指数と対数は同じものなのか,違うものなのかが気になる人も出てくるかもしれないが,なんというか,人間社会でいえば,「課長」と「上司」といった呼び方の違いというようなもので,そんなに気に病むものではない。

「X さんは私の上司です。」という表現と,「2 は指数です。」という表現は似たところがある。「私」の職位がわからないと,X さんの職位もわからない。2 がどのような底の肩に乗った指数なのかわからなければ,真数はわからない。

ところが,「X さんは平社員である私の上司です。」と言えば,X さんは主任とか,課長クラスかな,などとわかる。2 が底 3 の肩に乗っている指数であることがわかれば真数は 32,つまり 9 だとわかる。あまり良いたとえではなかったかもしれないが,ともかく,「対数」という言葉は底が何かという情報と共に使われるものであり,漠然と何かの数の肩に乗っている数を表す用語である「指数」よりも詳しい話をするときに指数の代わりに用いられる用語だと思えばよい。

三角関数の単元においては逆関数という視点はほとんど現れないが,指数関数と対数関数とは互いに逆関数の関係にあるので,これらの関数の性質について学ぶときは,そのような観点を意識することが大切である。

まず,指数法則にせよ,対数の性質にせよ,「底がそろっている場合」が一番の基本である。

したがって,指数計算や対数計算をするときには「まず底をそろえる」というのが鉄則となる。

あともう一つ,さまざまな公式を証明する際に威力を発揮するのが「指数関数は単調に増加するか,または単調に減少する」という,指数関数の単調性である。これは,真数同士の間に成り立つ等式 ax=ay が,肩の数(つまり対数)同士の等式 x=y に言い換えることができることの根拠となる。なお,ax=ay という真数同士の関係式を x=y という対数同士の関係式に置き換える操作を,「ax=ay の両辺の,a を底とする対数を取る」と言い表すことがある。この言い回しは一般には p=q という等式の両辺に loga を書き加えて logap=logaq という新たな等式を作り出すことを指すことが多いが,先に述べたことと少し見かけが異なるだけで,意味に違いはない。

以上のことをふまえて,指数と対数の間に成り立つ基本的な公式をいくつか見ておこう。

まず,ab=c と b=logac という,a,b,c という3つの数の間の同じ関係を表す2つの等式を組み合わせて,2つの重要な基本公式を導こう。

c を消去すると,a と b の間の等式 b=logaab が得られる。
ここで,記号の書き換えという観点からこの等式を眺めると,右辺において loga と a という記号が「打ち消しあって」,b だけが残る,というように解釈することができる。この現象を「底と対数を約す」と言い表すことにしよう。

今度は b を消去してみよう。すると,alogac=c という a と c だけの関係式が得られる。 ここでも,意味を考えずに記号だけに着目すると,aloga という「底と対数」が約された結果,c だけが残る,と解釈できることに注意しよう。

このような打ち消しあいの最たる応用は,底の変換公式である。底の変換公式は通常分数の形の式で述べられることが多いが,その積バージョンともいうべきものは

logab・logbc=logac

であり,ちょうど左辺の中央の b・logb が打ち消しあって,左端の loga と右端の c のみが残って右辺になる,と解釈することができる。このような打ち消しあいの規則に着目すると,

log35・log57・log79=log39=2

という計算があっという間にできる。これは,5・log5 と 7・log7 が連鎖を起こして打ち消しあっているという感じである(正確には,落ちゲーの連鎖とはちょっと違うが)。


このように,底と,同じ数を底とする対数の記号が隣り合わせに並ぶと,それらは打ち消しあうという現象が指数・対数の計算の大きな特徴である。


では,底の変換公式を導いてみよう。その過程において,この文章の初めに述べた重要事項がふんだんに使われていることをよく味わってほしい。また,逆に,それらの重要事項だけを用いて底の変換公式が導かれるということにも気づいてもらいたい。指数関数と対数関数の性質を余すところなく理解するために必要最小限の知識は何か,ということを正しく把握しておくことは,これらの関数の性質を理解する上でとても大切なことである。他に自分の知らない知識が使われていたら公式を自力で再現するのは難しいが,重要事項だけを身につけておけば,それらを組み合わせることで他の公式はすべて導けるのである。

まず ax=b という等式から出発することにしよう。

左辺の底 a と,右辺の真数 b を,第3の数 c を底とする指数表示に統一する。

a=clogca,b=clogcb であるから,これらを ax=b に代入し,その結果において左辺を指数法則を用いて書き換えると

cxlogca=clogcb

となる。この等式を肩の数同士の等式に置き換えると

xlogca=logcb

となるが,そもそも ax=b であったから,x=logab なのであった。よって

logca・logab=logcb

という,積バージョンの底の変換公式が得られた。

この両辺を logca で割り,新しく導入された底 c を用いた対数を右辺に集めると,いわゆる底の変換公式

logab=logcb/logca

が得られる。

なお,この式の覚え方として,「底は恥ずかしがり屋なので下に隠れる」というフレーズを数年前に編み出した。分数の分母と分子を分ける横棒を「地面」,分子のある側を「地上」,分母のある側を「地下」にたとえているのである。ちなみに,なぜ底は恥ずかしがり屋なのかはよくわからないが,対数を表す記号 logab において,底 a を log の右下に小さくひっそりと書く慣わしなので,底 a は恥ずかしがり屋なのではないかと思われるのである。それと対照的なのが大きく堂々と書かれる真数 b であり,真数はやましいところが何もないので,底を変換した後も堂々と「地上」(=分子)に姿をさらしているのである。

ちなみに,真数が累乗のとき,その指数を対数の前に出すことを「肩の荷を降ろす」と言い表すことも最近考え付いた。この考え方で行くと,逆に対数の前にかかっている係数を真数の指数として対数の中に取り込むことは「荷をよいしょと肩に背負う」ことになる。

理屈は理屈としてきちんと理解した上で,計算で公式を運用する際には,こじつけでもよいから計算規則を思い出しやすいようなフレーズを関連付けると思い出しやすくてよいのではないだろうか。それは語呂合わせでもよいが,僕は語呂合わせが得意でないし,語呂合わせ自体を覚えるのが苦手なので,自分でフレーズを開発するように心がけている。その方が楽しめるし,自分で思いついたものは愛着があってなかなか忘れないものだから。
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ずいぶん涼しい。

2012-07-20 23:41:16 | 爺ネタ
東京でも35度を超える猛暑日を迎えたところが出てきたかと思えば,今日は最高気温が25度にもならないような涼しい一日となった。

週明けにはまた暑さが戻るらしいが,ほどほどに願いたいものである。
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Kantorovich.

2012-07-18 00:08:35 | mathematics
先週末,紫綬褒章というすごそうな賞を受賞された方の一時間程度の講演を聞く機会があった。

その話の中で初めて聞いた "The Newton-Kantorovich Theorem" に非常に興味が湧いた。

さっそく関連文献を集めてみたところ,1968年の

Ortega, "The Newton-Kantorovich Theorem" (American Mathematical Monthly)

によると,元は1948年の Kantorovich の論文らしいので,さっそく見てみた。
これはロシア語で書かれている上に,97ページもある大作だが,件の定理に関する記述は169ページから始まっているようだ。

1948年の論文において,Kantorovich は写像が2階 Fréchet 微分可能であることを仮定しているようだが,Ortega は写像の1階導関数が Lipschitz 連続であるという,やや弱い仮定に置き換えている。もしかすると Kantorovich と Akilov が共著で出しているノルム空間の関数解析の教科書には Ortega と同じバージョンの定理が載っているのかもしれない。それは未調査である。

Kantorovich の名は,Hilbert 空間の特徴づけを調べていたときに,角谷静夫の論文で見かけたような気がするが,ノーベル経済学賞を受賞されていたとは知らなかった。

ちなみに,講演をされた先生の話では不動小数点数の取り扱いに関する Knuth,Veltcamp,Dekker,Kahan らの業績も言及されていたが,TeX の生みの親でもある Knuth はコンピュータ界のノーベル賞とも言われるチューリング賞を受賞されているそうで,なんだか,すごい賞の受賞者が何人もからんだ話を聞いたようで,ちょっと頭がくらくらしてきた。

熱中症かなぁ・・・。
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ひぐらしのなく頃は。

2012-07-17 23:55:55 | 爺ネタ
昨日の夕方,ちょうど日が暮れる午後6時から午後7時ごろにかけてヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。

その時間帯の気温で鳴くのかもしれない。

今日7月17日には関東は梅雨明けしたと気象庁が発表したそうだ。

このところ各地で猛暑が続いているし,本格的な夏到来といったところである。

さすがの僕も「扇風機,はじめました」。
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