担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

こーゆーのばっか。

2015-08-31 23:22:08 | Weblog
お盆過ぎから台風の影響か気温が20℃台前半の日々が続く。涼しいのはありがたいのだが,秋雨前線全開の雨模様が続いているのはありがたくない。

先月末に大量に仕入れた期末試験答案の採点も一段落し,新学期が始まるまでの間,いい年のオッサンにしては長い夏休みを満喫したいところだが,こう雨ばかりが続くとどこにも出かける気になれない。といっても,もともと出不精なので実のところ雨はほとんど関係がないのだが。

今日は歩いて25分ほどかかる隣駅に繰り出そうと計画していた。

主目的は『ピザのお持ち帰りで,一枚無料でゲットだぜ!フー!』という,憧れの企画を実行に移すことだった。

やっぱりMサイズだよな。いやいや,Lサイズもいけるかもよ・・・?

などと腹の肉を増やす妄想を楽しんでいたのだが,予算がおいくら万円かかるのか事前でネットで調べることにした。お目当ての店舗は店内での飲食も可能なところだったので,そういう店舗でもお持ち帰り一枚無料になるのか気になったのである。


ところが,店舗検索をしたところ,隣駅の駅前の店が・・・無い!


閉店したらしい。


この間行こうと考えていた回転すしチェーン店はそこからそう遠くないところにあるのだが,一体どうしたというのだ,あのエリアは。


それにしても,一週間ほど前のある夜に近い方の駅前の松屋に行ったら「ごはんが切れた」ということで門前払いをくらい,じゃあ久々にマックでも行くかと傷心の身に鞭打って15分ほど歩いて近場のマックに行ったら,24時間営業だったはずが朝から午後11時までに営業時間が変更されていて,すでに午後11時を過ぎていたため撤退せざるをえなかった。

数か月前のことだが,今日はあそのこラーメン屋に行こうかなと珍しく立ち寄る気になったラーメン屋がちょうどめったにない休みの日だったとか,もうそんなのばっかりでうんざりする。


僕のささやかな食の楽しみを先回りして奪う,なんらかの悪意の存在が感じられてならないのである。

僕なんぞをピンポイントで陥れてもなんの得もなかろうに。まったくもう。
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ぐるーっと回って。

2015-08-30 11:21:16 | Weblog
とある出来事がきっかけで,確率の基礎についての文献をいくつか収集した。その過程で van Fraassen という気になる学者の存在を知ったのだが,それはさておき,Rudolf Carnap や Richard Jeffrey,David Lewis を通じて,久々に Nelson Goodman の名に巡り会った。Smullyan の言う "the Nelson Goodman Principle" というのが具体的に Goodman のどの文献を指すのか,未だに原典がさっぱりつかめぬままである。せめてもの手がかりになればと期待して Goodman の "Axiomatic measurement of simplicity" という気になるタイトルの論文を眺めていたら,次の記事が "Two measures of complexity" と題する,また面白そうなものだと気付いた。著者は一体誰だろう?ネットの力は偉大である。記事のタイトルで検索しただけでただちに著者名が判明した。John Kemeny という人であった。

うん・・・? Kemeny とな・・・?

確か僕が通っていた高校の図書館に『社会科学における数学的モデル』という Kemeny と Snell の共著の翻訳があったような気がする。当時もタイトルに惹かれて手に取り,生物学に関する問題が微分方程式によって定式化されているのに非常な感銘を受けたおぼえがある。具体的な自然科学の現象の数理モデルを作って解析するという手法になぜだか強く憧れたものである。そうした体験がのちのち偏微分方程式論を専攻する結果につながったといえるかもしれない。一種の原体験であったろう。

現在の僕は生態学の微分方程式による数理モデルよりも公理的な方法による選好の順位付けの章に興味があるのだが,味覚のように数学の好みもじんわりと変遷している。にしても,歳を取るだけで身に着けた知識や技能がちっとも増えないままでいるのだが。

それはさておき,Kemeny の文献をネットで検索していたところ,当然のことながら有名な学者であった氏の人となりがついでにある程度明らかになった。驚いたのが,僕が唯一そこそこ使える(?)プログラミング言語,BASIC の生みの親の一人が Kemeny 氏まさにその人であったことである。

あー,なんか昔名前を聞いたことはあったけど,『社会科学における~』の著者の Kemeny さんと,プログラミング言語の開発者の Kemeny さんとが同一人物であるとは,若かりし頃の僕にはイメージがかけ離れすぎていて全く結びつかなかったわー。

と,さっき初めて知ったような心持ちでいるが,実は昔から知っていたはずなのにすっかり忘れていただけかもしれない。高校で手にした訳書の奥付もしくは訳者のあとがき等に著者の略歴が記されていた可能性が高いからである。近いうちに訳書に接する機会があったら確認してみようと思う。

ちなみに,確率や統計の科学における役割については科学哲学の分野で盛んに研究されており,冒頭に述べた van Fraassen と,測定の理論について調べているときに知った Patrick Suppes とが知りいだとか,Tarski の名が出てくるだとか,Nelson Goodman や Hilary Putnam もその界隈の人だとか,論理学の基礎に携わっている人々も当然同じグループに属しているのだということをようやく知った。もっと遡ればルーツは Boole や de Morgan,否,それよりもずっとずっと古いだろう。科学基礎論は西洋哲学のメインテーマの一つだと思われる。

しっかし,20世紀に限定しても科学哲学の巨人を列挙するとかなりの数に上るような気がするし,そういった偉人たちの著作を読んで研究するというのは,僕には無理だわ。
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ありそうでないものかと思ったのにあったもの。

2015-08-29 13:35:56 | もじりあーの。
ありそうで無いもの。

AKB

解散総選挙。



念のためググったら,昨年末にこんな感じのタイトルのTV番組があったそうな。

発想が安易だった。反省。
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Truesdell's famous quote.

2015-08-06 23:08:09 | mathematics
Truesdell が Mathematical Reviews 12, p.561 に記したとされる有名なコメント

"This paper gives wrong solutions to trivial problems.

The basic error, however, is not new."

を見て,元の記事を探してみようと思い立った。一体どんな論文がこんな風に酷評されてしまったのかと,ゲスな好奇心を抱いたのである。

Mathematical Reviews は今年で75周年を迎えた。今では MatheSciNet® というオンラインの検索サービスにおいて reviews が提供されている。
このサービスは無償で一般公開されているわけではないが,理系の学部がある大学の端末からならば利用可能であろう。

始めはどうやってこの記事をピンポイントで見出すかがわからず,とりあえず著者名 Truesdell で review 記事を検索したが,ヒットした500件もの候補の中から該当記事を見つけ出すのはかなりの時間と労力を要するように思われ,数十分間取り組んだのち,別のアプローチを試みることにした。

MatheSciNet® のフル検索画面で MR 番号という検索キーが使用できることに気づき,"12 #561" というキーワードで検索してみた。
巻数とページ数をこのように入力するのではないかと他の review 記事に割り振られた番号から類推したのである。

その結果,7件のヒットがあり,その中に該当記事が見つかった。めでたしめでたしである。

レビューがこの簡潔な二行足らずの文章なのかと思っていたが,真相はそうではなかった。そもそも,上に引用した文章の最初の文からして正確な引用ではなく,原文を一部省略している。また,この引用文の後には「もし評者が著者の未定義語や誤植を正しく理解しているならば」と続け,論文の著者は,後に Brill と Bessinesqu によって誤りを指摘された St.-Venant の応力と歪の関係式を用いていると述べている。これが "The basic error, however, is not new." という指摘の具体的な内容である。

また,"wrong solutions" というのは,等方的な物質を伝播する波の速さとして著者がスカラー量とは異なるものを得ていることを指している。

というわけで,もしも論評が冒頭に掲げた簡潔な文章であったとすると,まさに一刀両断に切り捨てた冷徹なコメントという感じがするが,原文を見るとその印象はずいぶんと和らぐ。

冒頭に挙げたバージョンの引用は,おそらく Paul Halmos によるものではないかと思われる。少なくとも彼は "I want to be a Mathematician" という自伝の中で,review コメントの中で強く印象に残っているものとしてこの Truesdell のコメントを,冒頭に述べた形で引用している。そしてこの文章は現在もいくつかの web サイトで原典にあたることなく孫引きされている。

果たして天国の Truesdell や Halmos はこの現状を見て何というのであろうか。


なお,Truesdell が論評した論文はスペイン語で書かれたもののようだ。Truesdell はこの他にもイタリア語,ドイツ語,ロシア語の文献のレビュー記事を書いているので,少なくとも数か国語に精通していたと思われる。St.-Venant らの論文はフランス語なので,当然フランス語も解したのであろう。こうした昔の大学者と比較すると,わが身のなんとお粗末なことかと嘆息を禁じえない。
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