担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

正直,なじみが薄いんだけど。

2011-10-31 23:43:11 | 爺ネタ
G○○gle のロゴがまたおかしくなっていたので,ハロウィンを思い出した。

西の友で Kit Kat の「パンプキンチーズケーキ味」なるものを発見したので,一も二もなく買った。
これは完全に季節モノであって,下手すれば明日には棚から撤去されてしまっているかもしれない。

僕には「買う」というたった一つの選択肢しか最初から与えられてなどいなかったのだ。

お味はというと,まあ,甘い。

ちょっとかぼちゃっぽい香りがしつつ,残りの99%は,甘い何かで出来ている。

それなのに,1枚あたりたったの(?)68kcal だそうだ。
それが13枚入っている。

一気に食べると,884 kcal の摂取となる。三度の食事のうちの一食分は優にあるカロリー量である。

甘さを押しのけてついつい食べ過ぎてはいけない。
甘すぎると思うのは,とりあえずそこまでにしておけ,という体の防衛反応に違いない。
体の声には素直に耳を傾けるとしよう。

全然関係ないが,Sweet or tweet! という掛け声はどうかな,と思いついた。

韻を踏んでいるだけで,意味は全くないのだが。
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「量の理論」続報。

2011-10-29 22:52:37 | mathematics
ちょうど一週間前に,雑誌「数学セミナー」のバックナンバーを調べて,「量の問題をめぐって」というシリーズ連載に出会ったことについて書いた。これはその続報である。

あれから一週間経つものの,まだちっとも肝心の文献を読んではいないが,ちらりと田村二郎氏が連載の結びとして書かれた「それでも量と数は違う」という太字の文言が目に飛び込んできて,この一週間の間,ずっと違和感と共に頭の中をグルグルしていたが,今日,図書館で借りてきた単行本「量と数の理論」の「はしがき」に目を通したとき,ようやく理解できた気がした。

そうだ,量と数は違う!

今では僕は違和感ではなく,心からこのスローガンに賛同している。

ちょうど一ヵ月ほど前に僕が達したある一つの理解は,まさにこの言葉に集約されているということにようやく気づいたのである。


ある性質を持った「量」たちに「実数値」を割り振る。それがその量の「測定」という行為に他ならない。


こう書くと実に当たり前のことだが,今まではこの事実を表面的に理解できていた(つもりな)だけだったことに気づいたのである。やっと腑に落ちたという気がする。

そして,ある「量」があったとき,それらを実数化することが出来るか(その「量」たちからなる集合から,実数の集合へのある種の同型写像があるかどうか),というのが測定の問題なのである。
このとき,それらの「量」が満たすべき性質,もっと具体的にいえば数学的な「公理」をどう規定するかが重要な問題として現れる。

これも当然と言えば当然だが,それらの性質が実数の性質と相性がよければ,それらの量を矛盾なく実数へと変換することが出来るが,相性が合わなければ整合性のある仕方で測定値を割り振ることは不可能になる。

こうした理論は,例えば量子力学における測定の概念とも関わりのあることだが,話は物理学に限ったことではない。ヒトの持つ主観的な観念なり感覚なりをどう数値化するかという,人文系の学問とも関連のある話である。

そういった意味で,量の理論は数学ではないというのが僕の到達した見解である。それは科学ですらない。
量の理論は数学や物理学,社会学や心理学などの学問領域の外,あるいは辺縁に位置するものであって,量の理論を研究するのは,科学基礎論というか,科学哲学というか,科学そのものの外にある,別の学問領域の範疇であるという気が強くしてきたのである。

このような理解があながち間違いでないことは,「量と数の理論」の「はしがき」において,H. Weyl の「数学と自然科学の哲学」という本について言及されていることからもなんとなく裏付けられているように思われる。

ちなみに,この本は持っているのでちらりと見てみたところ,今すぐ読まなければならないと思えるほどに,最近僕が気になっていることに密接なつながりがある話題に満ちているようだったが,そういえば,この本を数ヵ月前に手に取ったときは,読むのを先延ばしにしようと敢えて決意したことを思い出した。
(カッコつけてそんな決意をわざわざしなくとも,怠け者の僕はどうせ読みはしないのだが・・・。)

なぜそんな決意をしたかというと,ほぼ似たような話題を扱っていると思われる Poincaré の三部作(あるいは,せめて「科学と仮説」だけでも)を読むべきだと考えたからである。

どういうことかというと,どうせなら相対性理論の出現前に書かれた Poincaré や Mach の本と,出現後に書かれた Weyl の本を比較したいと,余計なことを考えたのである。
それならば時系列順に読む方が面白かろうということで,未だにろくに手をつけていない Poincaré の本を優先することにしたのだった。

ところが,よく考えてみると,Poincaré も数の話を深く取り上げているが,Dedekind の「数について」というエッセイに基づいた解説がなされているようなので,上の論理に基づけば,Poincaré よりも先に Dedekind を読まなければならないことになる。

それでもし Dedekind を読んだならば,今度は和製「量の理論」の道をたどることも可能になる。
それは,高木貞治の「数学雑談」(15年前に共立出版から復刻版が出版された;まだ入手可能かどうかは知らないが)の第4章「無理数」である。
そしてそれらをベースに南雲道夫氏による「南雲理論」が作られ,それは最終的に田村二郎氏の「量と数の理論」にも大きな影響を与えたとのことである。

これでようやく寄り道から本題に戻った。

南雲理論とは独立に,「数学セミナー」1977年7月号の特集をきっかけとする小島理論の展開があり,それら双方の影響を受けた田村理論を学ぶには,Weyl の本も経由しなければならないらしいので,なかなか道のりは遠い。
もちろん,小島理論を学ぶには,小島順氏の「線型代数」の教科書にも目を通しておくことが望ましいだろう。

と,ここまで書いてきて,ろくに数学の本や記事が読めない僕にとって,このような学習計画は全くの机上の空論だということに気がついた。

まあ,それはそれとして,こういう計画を立てているときが一番楽しいというのは世の中の真理の一つであろうから,もう少し続けることにする。


「数学セミナー」のバックナンバーの目次を公式サイトで調べてみたところ,少なくとも前回挙げたリストに次のものを付け加えなければならないことがわかった。

  • 江沢洋,物理量ノート,1979年7月号,10月号と1980年2月号;
  • 倉田令二朗,量の理論と諸問題,1980年5月号~8月号。

倉田令二朗氏の連載がこのシリーズの最後なのかもしれない。
壮大な内容のようなので,締めくくりにふさわしかったのだろうか。
またそのうち時間を作ってもう少し調べてみようとは思うが,問題提起からすでに丸3年が経過しているので,量の問題自体への関心が薄れて下火になってしまった可能性は高いと思う。

ただ,江沢氏と倉田氏は量子力学や熱力学などの物理理論における量について考察しているようであって,話題が広汎になりすぎて収拾がつかなくなったのかもしれない。

けれども,量と数の関係は科学の根底に横たわる基礎理論に関わる問題であるから,現代科学を担う我々にとっても無関係ではないし,むしろより考察を進めて発展させていくべき課題の一つであるように思われる。

そういうわけで,とても大きな風呂敷を広げられるところまで気分がノッて来たので,このテンションでもってすでに膨大な量になった文献を読破していきたいものである。

何しろ,前にも書いたかもしれないが,海外では Hölder を始祖の一人とする量と測定の理論の伝統があり,その流派に属すると思われる Suppes によれば,こうした話は Newton にまで遡れるというのだから,だんだん話はヤバくなってくるのである。
あるいは,ドイツ系の人々の理論の思想的な母体は Kant 哲学にあるようなので,Kant も読まなければならないという話に広がっていく。

これら,先人たちの業績も踏まえた上で,21世紀の「量の理論」を構築するのが,今では僕の壮大な夢の一つである。
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『高橋秀俊の物理学講義』にまつわる思い出。

2011-10-29 22:02:07 | Weblog
※ 高橋秀俊先生の講義を直接聴講したとか,そういう話ではありません。
※ 単に,つい最近『高橋秀俊の物理学講義』という本が出版されたことを知って,その本の中身とはほとんど関係ない周辺的なことについて個人的な思い出がいくつかあるのでそれを書き記しただけという,ただそれだけの話です。

この間,友人の gk 氏から,ちくま学芸文庫から『高橋秀俊の物理学講義』という本が出たことを教わった。

僕は一も二もなく本屋に走った。

実は gk 氏には1ヵ月か2ヵ月前に,雑誌「数理科学」2001年5月号に掲載された霜田光一氏による記事「高橋秀俊の物理学」に感銘を受けた由の話をしたことがあった(gk 氏は覚えていないそうだが)。
このとき,二人して「物理学汎論」というものに強い興味を覚えたのだが,それがタイムリーにもちくま学芸文庫として復刊されたとは。

本書は全部で40講からなる講義録であるが,まだ全然読んでいない。

パラパラと見ていると,どれもこれも面白そうな講義である。
例えば第7講「いろいろな自由度の間の交渉」には,僕が不勉強なため全く知らなかった「熱磁気効果」やら,「熱磁歪逆効果」やら,非常に興味深い現象などが紹介されている。

第4講の「ルジャンドル変換」では,Legendre 変換の物理的な意味を詳しく考察しており,Legendre 変換を単なる数学的な技巧だと思っていた僕には衝撃的な内容であった。

Legendre 変換にも物理的な解釈が可能なのか!

と驚くと同時に,Legendre 変換の式に対しても物理的な解釈を試みるべしという,物理学者としていわば当然の心構えが身についていない己の不明に恥じ入り,深く反省させられた。

それ以外には,Hilbert 変換に関する講義(第25講)が目に付いた。

これについてはある友人と話したことを思い出した。

10年近く前,京大の数理解析研に行ったとき,当時まだ京大にいた高校時代の同級生と落ち合い,京大のそばの定食屋で食事をした。
その際,「Hilbert 変換については高橋秀俊の物理学講義に載っているよ」というような話を聞いたことを思い出したのである。
その後しばらく,その友人とメールのやり取りをしていたが,高橋秀俊の本が手に入らないことを伝えたところ,Arfken の物理数学の教科書にも載っているということも教えてくれたので,そちらはさっそく全4巻を買い揃えたのも良い思い出である。

もっとも,当時も今も僕には Hilbert 変換の理論は必要ではなく,なんでそういう話になったのかは思い出せない。何か因果律に関する話をしてたんだっけかなぁ。因果律と Hilbert 変換の関連って何だっけ・・・?

それはともかくとして,このような事情もあって,その頃から「高橋秀俊」という学者の名前は僕の脳裏に刻み付けられていたのだが,実はそれよりも前にこの名前には出会っていたような気がしてきた。

それはどういう話だったか,よりいっそう思い出せないのだが,日本で独自に開発されたコンピュータ素子として名高いパラメトロンのことを何かで読んで興味をそそられたことがあり,その時に「高橋秀俊」の名を目にしたのだったかもしれない。
当時は電気工学者だと思っていたが,「数理科学」の記事でれっきとした物理学者であったという認識に改めることとなった。

これ以外にも,高橋秀俊はロゲルギストという日本の物理学者数名のグループの一員としても有名である。
ロゲルギストの「物理の散歩道」シリーズは,面白そうな話題に満ちているものの,見掛けとは裏腹に僕には難しく感じられ,敬遠していたが,そろそろ読める年頃になってきたのかもしれないので,近いうちにチャレンジしてみようと思う。

なお,本稿の最後に,上記とは関係がないが,「高橋秀俊の物理学講義」の「まえがき」の終わりに挙げられている参考書の一つ,Pippard の本は1988年に共立出版から日本語訳が出ている(自然の応答と安定性 : 現代物理学への招待 / A.B.Pippard 著 ; 加藤鞆一 訳)ことを書き添えておこう。

ついでに思い出したので,それも書き記しておこう。
訳者の加藤鞆一(ともかず)先生は今ではすっかりご無沙汰してしまっているが,やはり10年ほど前に個人的にお世話になったことがある。
特によく差し入れと称して大変美味などら焼きを持ってきて下さった。
初めていただいたとき,とてもおいしかったので,ついぶしつけにもお土産に持ってきて欲しいと,それとなく催促したところ,それ以降,孫におやつを持ってくるような感覚で毎回のように買ってきて下さったのは,本当に楽しい思い出である。
(ときどき本物の孫に負けて,孫にあげたから僕たちの分までは買ってきて下さらなかった,という悲しい思い出も,今となっては懐かしい思い出である。)

Pippard の本も,そろそろ手にとって吟味する時期が来たということなのかもしれない。


ともかく,何らかの形で,「物理学汎論」という精神を継承したいものだと切に思う今日この頃である。
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裏切られた期待と,残された苦悩。

2011-10-29 00:05:59 | Weblog
27日の木曜日のことである。

炭酸ビタミン飲料が欲しくて,100円自販機にお金を入れ,目的の商品のボタンを押した。

・・・。それなのに。

出てきたのは「○茶」のミニペットボトル。

商品の出口をよく調べたが,他には何もなかった。


なにこれ。ありえない。


僕は呆然とした。

ちょっと喉が渇いたから,何でもいいから飲み物が欲しいな,という軽い気持ちで自販機を利用したのなら,目当てのとは違う商品が出ても,「ま,いいや」で済むかもしれない。

しかし,僕の場合はそうではなかった。

ブドウ糖とビタミンを摂取したい,炭酸の喉越しを味わいたい。

そんな切実な期待を胸に,意気揚々と自販機にお金を入れたのである。


それなのに,どうだ。


甘くなければ炭酸飲料でもない,ただの茶を出してきたのである。


とんでもない仕打ちである。


炭酸ビタミン飲料への未練を断ち切れなかった僕は,もう100円を投入してみることにした。


商品のボタンは3つ並んでいる。先ほどは右端のを選んで敗北した。

今度は,左と真ん中のを同時に押した。

真ん中のランプだけが点いたままになり,ガコンという音がした。

取り出し口を見てみると,目当てのジュースが無事に出てきていた。


こうして,僕の手元には「生○」のペットボトルが残った。

<裏切られた期待>完


炭酸ビタミン飲料はソッコーで飲み干したが,問題は残された茶である。

おそらく商品の補充の際に入れ間違えただけだろうが,このご時勢である。
誰かの悪質ないたずらであるという可能性はゼロではない。

もし毒でも入っていようものなら,怪しいとわかっていながら飲んで体を壊しては,ただのバカである。
ただのバカで済めば笑い話で済むかもしれないが,重症になったり,命を落としたりしてはたまらない。

かといって,飲まずに捨てるというのも mottainai の言葉が心にひっかかり,捨てる決意もままならない。

こうして未だに僕の心の迷いの象徴として,茶のペットボトルは未開封のままに置いてある。

<残された苦悩>継続中
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セミファイナル。

2011-10-28 23:55:23 | 爺ネタ
今夜は屋外で吐いた息が白く見えるような,かなり肌寒い気温であるが,25日の火曜日は日中は気温が高く,アブラゼミの鳴き声まで聞こえてくるほどであった。あれはさすがに今年の蝉ファイナルだったといってよいだろう。

蝉の鳴き声が聞こえてきたのは講義中だったが,あまりにも意外だったのでつい耳を澄ませて確認してしまった。
授業の内容とは関係ないことで講義を一瞬中断してしまって申し訳ない。

他にも,あるクラスでは,昼休みに知り合いに紹介された視聴した「5億年ボタン」という動画(静止画を写したスライドショーみたいなもの)に出てきた「~でちゅ」というしゃべり方をするキャラクターに影響されて,説明の最中に「~でちゅ」と言ってしまって申し訳ない。

ちなみに,「5億年ボタン」という話は,無間地獄のようなものの話である。
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基本は完了。

2011-10-24 01:00:59 | 情報系
xyzzy は,他のアプリケーション(例えばブラウザ)からクリップボードにコピーした内容をショートカットキーのみでは yank できないらしい(僕の操作が間違っているのかもしれないが)。メニューの編集→貼り付けはバッチリ機能するので大した問題ではないが。
気に食わないなら自分でカスタマイズすればいいだけの話であって,ちゃんとソースも公開されているようだ。
ただ,哀しいかな,カスタマイズするだけの腕が僕にはないのが問題といえば問題である・・・。

お気に入りのソフトを3つ入れた;gnuplot,maxima,そして(仮称)十進BASICである。
それぞれちゃんと動くことが確認できた。

ただ,gnuplot の描画ウィンドウのサイズを変更するときに挙動がおかしいのが気になっている。
Windows 本体の文字サイズを変更してあるせいなのか,それとも一種のバグなのか。
もしバグなのだとしたら,最新版の4.43ではなく,4.40にすれば大丈夫なのだろうか。
いずれにせよ,あとは使い勝手を良くするための微調整をすればいいだけの話なので,基本的な設定はほぼ完了した。

まるでそれ自身がウィルスであるかのようにことあるごとにポップアップしてくる,デフォルトでインストールされているセキュリティソフトの「体験版」たちを駆逐して Windows Security Essentials で凌ぐことにしたし。

ブラウザは IE9 と Google chrome,そして Firefox の3つを揃えてあるし。

PDFファイルのプレビューアはデフォルトの Adobe Reader X で十分だし。

考えてみると,僕のコンピューターライフというのはこの程度の機能しか必要ではないので,実に慎ましやかなものだな。

あ,Office 関連のソフトが入っていないので,OpenOffice を入れなくちゃいけないのを忘れていた。
まあ,必要とあらば大学で提供しているサービスを享受すればよい。

とりあえず無料で構築できる環境はほぼ整った。
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Windows7 で xyyzzy で KaTeX で TeX ライフ。

2011-10-23 23:57:30 | 情報系
「で」過多なタイトルになってしまった。

先週手に入れた新しいPCをいろいろとセットアップしているのだが,ようやく TeX を入れる気になった。

今の世の中,TeX インストーラ3 という大変便利なものがあるので,それを使った。
あるサイトには,この便利インストーラーでしか TeX をインストールできない人は TeX を使うべきではないというようなことが書いてあった。それはまさに今の僕に該当する。十数年前のまだ大学生だった頃は,本の付録を使って TeX をインストールしたり,Linux の一種である Vine に確か自分で導入したり,その後は Windows に Cygwin を入れて TeX を入れたりと,90%くらい自動インストール状態で TeX をインストールしたものだが,数年に一度のペースでインストール作業をしていると,いちいち面倒だし,何よりどこをどう設定するんだかすっかり忘れてしまう。一応,その都度メモは残すのだが,そのメモ自体のありかを忘れてしまうのだから仕方がない。

僕は TeX のコマンドを簡単に補完してくれる YaTeX(やてふ;野鳥)というソフトが大好きなのだが,これは Emacs という Unix 系のエディタ用のソフトなので,Windows で使いたければ Emacs like なエディタを導入しなければならない。
これまでは Meadow というソフトを使っていたが,いまいち設定の仕方がわからず使いこなしきれていなかったので,ついに xyzzy という別のソフトに乗り換えてみた。

xyzzy も Meadow も数年前に開発が終わってしまっている,すでに過去のソフトだが,まだダウンロードできるし,検索してみるとまだ細々と使っている人がインストール手順などを書き残してくれている。
xyzzy 用の YaTeX は KaTeX(かてふ;花鳥)という別のソフトとして提供されており,ダウンロードファイルを適当なフォルダに移し,システムの環境変数をいじれば簡単に使うことができた。
それにはインストール手順を解説してくれているありがたいサイトのお世話になった。
適当な設定ファイルも作成しなければならないが,そのサイトの設定例をコピペすれば手間は省ける。

xyzzy は Windows7 でもちゃんと動いた。
テスト用に作成した TeX ファイルもちゃんとコンパイルされたし,DVIファイルをPDFに変換することもできた。
あとは描画ツールである MetaPost(それはもう時代遅れだというなら Asymptote)が使えればもう言うことはない。

実はデフォルトでは KaTeX からDVIOUTを呼び出すのがうまく行かなかったのだが,そのままでも多少不便だがなんとかなるし,たぶんどこかの設定(KaTeX の本体である katex.l)をいじればなんとかなるだろう。

※ katex.l(Emacs における el ファイルに相当すると思われる)を除いたら,ほとんど YaTeX だった。
Windows 環境に合わせた修正を施したものが KaTeX なのだろう。
それを見てもどう修正すればよいかわからなかったが,むしろ DVIOUT が入ったフォルダにパスを通せばいいだけなのかもしれない。ちょっと試してみよう。

※※ システムの環境変数 Path に DVIOUT がしまってあるフォルダのパスを追加したら,ちゃんと C-c t p のコマンドで DVIOUT が立ち上がってプレビューできた。
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懐古趣味。

2011-10-22 22:09:13 | mathematics
量の理論についてここ数ヵ月ずっと調査を続けているのだが,また新しい鉱脈を発見した。

雑誌「数学セミナー」1977年8月号から1978年1月号にかけて小島順先生が「量の計算を見直す」というテーマで連載されたことを,谷村省吾氏の雑誌「理系への数学」2011年9月号掲載の連載記事の参考文献リストで知った。

そこである大学の図書館でバックナンバーを調べたところ,件の連載記事を発見した。
それだけでなく,この連載は大変刺激的だったようで,田村二郎氏が小島順氏に送った私信が掲載された後,結局田村二郎氏も量と数の理論に関して連載し(その後「量と数の理論」という単行本も出版された),その後も数人の先生方が連載された。

この一連の連載は途中から「量の問題をめぐって」という題目でシリーズ化された。
僕が調べた範囲では,発端は1977年7月号の特集「線型代数を考える」で,その後

  • 小島順,量の計算を見直す(全6回),1977年8月号から1978年1月号;
  • 田村二郎「“量の計算”を見直す」を読んで―小島順氏へ,1977年11月号(シリーズ中の記事としてはカウントされていないが);
  • 銀林浩,発生的立場からも考えよう,1978年2月号;
  • 田村二郎,量と数の理論(全4回),1978年3月号から6月号;
  • 竹内啓,量概念の意味と役割(全5回),1978年8月号から12月号;
  • 南雲道夫,量と実数(全2回),1979年1月号から2月号;
  • 木下信男,経済学と「量」,1979年4月号

と発展した。

バックナンバーの目次をもう少し調べれば,他の関連記事も見つかるかもしれない。

発端の1977年7月号は見落としていたので,それも読みたいところであるが,どうやら小島順先生の1976年に出版された「線型代数 現代数学への序章3」(日本放送出版会協会)という問題作が話題の中心らしい。
この本に関する書評を齋藤正彦氏が1976年9月号に書いているが,書評には「論争を呼ぶ本」というタイトルが付けられている。
その書評がきっかけとなり,齋藤正彦氏は1977年7月号の線型代数の特集記事の一つとして,書評の内容を詳しくした「意味オンチ党宣言」という文章を書かれているが,それは2007年にちくま学芸文庫として出版された「数のコスモロジー」に再録されている(p.154)。

僕は小島順先生に直接教わったことはなかったが,僕の先輩が教わったことがあり,噂は聞いていた。
僕が学部生か大学院生だった頃,小島順先生の講演を聞く機会があったが,どんな話だったかもう思い出せない。
ただ,小島先生が「森毅には相手にされないでしょうけどね」というような冗談をおっしゃったのが強く印象に残っている。森毅氏の名前が出てきたのに驚いたのである。
後にして思えば,例えば Bourbaki 関連の著作の翻訳などで森氏と小島先生の間に接点があったとしても全く不思議ではなかったし,もっと深い付き合い(因縁?)があったようでもあるから,実のところ,小島先生の口から森毅氏の名前が飛び出してもなんら不思議はなかったのである。

こうして「量の問題をめぐって」というシリーズ連載を掘り当て,じっくり読もうとコピーをしてきたのだが,それは数時間前のことなので,まだ全然目を通していない。

ただ,南雲道夫氏の記事の冒頭に,1944年の日本語の原稿を下書きとして,1977年に Osaka Journal of Mathematics に "Quantities and real numbers" という論文を発表したとの旨が述べられているのが目に入り,強い興味を抱いた。
特に 1944年の原稿は「全国紙上数学談話会」に掲載されていると書かれており,この「全国紙上数学談話会」は数年前に大阪大学数学教室が web で公開していることを覚えていたので,さっそく読んでみようと調べてみた。


ところが,目次を調べたところ,1944年,すなわち昭和19年に刊行された号には載っていない!


もしや幻の論文か,と絶望的な気分で目次をさかのぼっていくと,昭和17年12月14日の日付がある第246号に1086番目の記事として掲載されているのを発見した。
(目次
http://www.math.sci.osaka-u.ac.jp/shijodanwakai/indexvol_192_vol2_015.pdf
の55ページにある題名をクリックすると本文に飛べる。
このように古くて入手しづらい重要な文献や Osaka Journal of Mathematics に簡単にアクセスできるシステムを構築して下さった大阪大学数学教室には本当に頭の下がる思いである。)

題して,「正ノ量ト實数トニ関スル一考察」。(「数」が旧字体で表せないのがもどかしい!)

雰囲気は,この方面の初期の基本文献の一つである1901年の Hölder の論文と良く似ている(なんて書くと専門家ぶってて偉そうに見えるかもしれないが,この論文を知ったのはつい一ヵ月ほど前だし,60ページ超もあるドイツ語の論文なので全く読んでいないから,「似ている」という程度の感想しかもてないのである)。

ざっと目を通したが,「証明ハ簡単ナノデ略ス」のオンパレードで,なかなか手応えのある練習問題に満ち溢れているようで,取り組み甲斐がありそうだ。

ともかく,1944年という年号は間違いで,正しくは1942年であった。

このブログ記事で本当に書きたかったのは,実はその情報だけである。

ちなみに,田村二郎氏の著書「量と数の理論」を web で検索したら,南雲氏の理論に言及しているサイトも見つかった。

なお,南雲氏が考えたような理論は,上に書いたように世界的には Hölder の理論に端を発して,応用的には measurement theory,数学においては ordered semigroup の理論という,それぞれ一大分野を形成している(ということがここ数ヵ月の文献リサーチで明らかになった)。

せっかくの日本発の理論があったのだから,なんとかそれを取り込んで発展させた形で世界に発信したい。
そんな大志を抱いてみようか,という気になってきた。

まずは小島理論や田村理論,ひいては遠山(数教協?)理論という和製「量の理論」を学ぶこととしよう。

実は小島先生の元ネタの一つではないかとひそかに見当をつけている,デュドネ(Bourbaki の一人)の「線形代数と初等幾何」(雨宮一郎訳;原著は1968年発行,訳書は1971年発行)も図書館から借りてある。
もちろん小島順先生の問題作「線型代数」も一緒に借りた。
とても全部は読めないだろうが,理論展開の雰囲気だけでも味わおうと思っている。
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あまり緩めすぎるといけない。

2011-10-21 00:11:22 | mathematics
雑誌「数学セミナー」1968年7月号に掲載された荒木不二洋氏の「定義のうらおもて 数学の一つの学び方」というエッセイを読んで考えたことがある。

このエッセイは,群の公理系はさまざまな形のものが知られているが,そのうちのひとつを紹介し,その公理系からいくつかの基本的な定理を導いてみせた後,公理系をほんの少し変更するとどういうことになるかを吟味するという,題材は初等的であるものの,大変教育的かつ興味深い内容である。

始めの方を読んでいて,「公理系のこれをこう変えたらどうなるのかな」と思いついたことがあるのだが,読み進めるとその考えはすでに想定済みだったようで,僕が思いついたのと全く同じ改変を公理系に施すとどうなるかが詳しく(そして僕が予期していなかった程度の深みまで)解説されていた。

この記事が面白かったので友人の gk 氏に紹介したところ,もともとの公理系の正確な内容に関する問い合わせがあり,その質問内容からヒントを得て,また別の改変の仕方を思いついた。

それは次のようなものである。

集合 G には,その任意の2元 a,b に対して,それらの積 ab と呼ばれる G のある要素を対応させる演算が定義されているものとする。
積は結合則を満たす,すなわち,G の任意の元 a,b,c について,(ab)c=a(bc) が成り立つものとする。

さらに G には次のような性質を満たす元からなる部分集合 E があるものとする。

  1. G の任意の元 a および E の任意の元 e に対し,ae=a が成り立つ。
  2. G の任意の元 a に対し,G のある元 b と E のある元 e があって,ab=e が成り立つ。


このような性質を満たす E の元は右単位元と呼ばれるが,僕が考えたかったのは,これらの仮定から,E が実はただ一つの元だけからなること,つまり右単位元の一意性がいえるか,という問題である。

右単位元の一意性が証明できればそれでよし。
もし一意性が必ずしも成り立たないならば,そのことがはっきりわかるような反例を作りたい。

しばらくあれこれ試行錯誤した結果,自分なりの解答を得た。

久々に頭を使う体験をした。

自分にはこの問題は解けないような気がしていたが,考え続ければそれなりに成果が出るという,研究の基本を思い出すことが出来たのでこのような遊びはとても有意義だった。

※ この記事で述べた体験から学んだことは,その後,ちょっと違った話で役に立った。
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いい響きの言葉のようだが。

2011-10-20 23:52:13 | もじりあーの。
葬儀やお墓関連の宣伝にありそうなキャッチコピーを思いついた。

毎日が,命日。

音の響きはしっくりくるんだけど,意味を考えると,ねぇ。
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