恨みも怒りも優しさも、人とコミュニケートしたいのが本質で、それが攻撃なのか、それとも優しさなのかに大きな違いは無い。
自分がどちらかを選んだかで、社会のその人に対する反応が変わる。
世界はひたすらにそのままで、それが素晴らしく見るのか、恨ましく見るのかは自分次第。
-- 為末 大 (@daijapan)
◆
ある日、ツイッターで上記の言葉に出会った。僕が直接にフォローしている方ではないので、どなたかがRTをしてくれたのだろう。
その中の「世界はひたすらにそのままで」という言葉に打たれた。
これはまさに「無情」ということではないか。
昨年の震災から約一ヶ月後、このブログに桜のことをこう記した。
“桜はただ、あるがままにそこに咲く。人間の意図や思惑などにとらわれたりはしない。”......と。
桜を見る人間の方にのみ心がある。
桜を愛でられる僕と、震災直後で桜を愛でる余裕がなかった僕。
世界に変わりはなかったけれど、それに相対する僕自身が違っていたんだな。
世界はひたすらにそのままで、ただじっとそこに存在している。
その世界を見る僕らの目が曇りませんように。
いつも真っ直ぐに世界に向き合うことができますように。
自分がどちらかを選んだかで、社会のその人に対する反応が変わる。
世界はひたすらにそのままで、それが素晴らしく見るのか、恨ましく見るのかは自分次第。
-- 為末 大 (@daijapan)
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ある日、ツイッターで上記の言葉に出会った。僕が直接にフォローしている方ではないので、どなたかがRTをしてくれたのだろう。
その中の「世界はひたすらにそのままで」という言葉に打たれた。
これはまさに「無情」ということではないか。
昨年の震災から約一ヶ月後、このブログに桜のことをこう記した。
“桜はただ、あるがままにそこに咲く。人間の意図や思惑などにとらわれたりはしない。”......と。
桜を見る人間の方にのみ心がある。
桜を愛でられる僕と、震災直後で桜を愛でる余裕がなかった僕。
世界に変わりはなかったけれど、それに相対する僕自身が違っていたんだな。
世界はひたすらにそのままで、ただじっとそこに存在している。
その世界を見る僕らの目が曇りませんように。
いつも真っ直ぐに世界に向き合うことができますように。