A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

言葉を探している夜がある

2012-03-24 23:02:19 | つれづれ
何かがわだかまっている。
言いたいことがあるのに言葉にならない、混沌とした形にならない、そんな想いが胸の中にある。
もやもやと、あわあわと、朧のように、泡沫のように。

ジャズのピアノも、クラシックのギターも、傍らに置いている白ワインでさえも、これを解決する助けにならない。

言葉は儚く、そして頼りない。
無力感と諦めが僕の心に忍び込んでくる。

仕方ない。今日は甘んじて目を閉じよう。闇の中に心を投げ出し、まぶたの奥に広がる深海に潜って行こう。
深く静かに心の奥底に。やがて言葉が掬い取れるようになるまで。

僕らはバトンを受け継ぎ、そして走らなければならない

2012-03-20 22:47:18 | 所感
旧友の父親が亡くなった。
まだ小学生の頃、我が家のように上がり込み、飯を食い、TVのチャンネルを変え、寝ころんだり走り回ったりし、妹や弟を泣かせ、いわば我が子のように我が侭放題に振る舞った僕を許してくれた人である。

カミさん(友人の母)に先立たれ、ご自身も闘病の最中であったことは友人からも聴いていた。
自分も数年前、友人の母の葬儀で会って、二言三言言葉を交わしたのが最後となった。

その葬儀の喪主は友人が務める。彼が長男でその他兄弟を率いてきたのだから。

振り返ってみて、時の流れのその早さに思い知らされる。
いよいよ次は俺たちの番なのかと。

親の世代に庇護されて、傍若無人に振る舞うことのできた子供時代はもう既に無い。
今度は僕らが子供の世代を守って、目に見えないバトンを受け継がなければならないのだ。

友よ。君が受け取るそのバトン。しっかりと見守らせて頂く。
いずれ僕もバトンを受け取る身として。
君と一緒に併走する者として。

とある日曜日

2012-03-18 20:48:03 | つれづれ
昨日は研修のため出社した。
その後懇親会で午後五時から四時間ほど飲んで帰宅して寝た。

今日は昼の十一時まで寝ていてブランチにピザを頼んだ。カミさんも僕も体調不良で出かけたくなかったからだ。

ブランチを食べ終え横になって身体を休めているとiPhoneにメール。図書館に予約していた本の準備が整ったらしい。早速取りに行く。

風呂を沸かして洗濯の準備をし、さっきまで着ていた下着を洗濯機に放り込んで、そのまま風呂に入る。至福。
身体の隅々に温かさが染み渡ってゆく。

寝ているカミさんを起こさないように本を抱えてマクドナルドへ。ビバリーヒルズバーガーセットを夕食にする。

コーヒーを飲みながら図書館から借りた『神様のカルテ2』を読んでいる。今回なぜか僕の心の琴線に触れる描写が多い。マクドナルドの末席で本を読みながら涙ぐむような歳ではないのだが。

夕方に降っていた雨は、今は小降りらしい。飛び石連休とはいえ明日は出勤だ。そろそろ家に帰るとしようか。

怒濤の週末

2012-03-12 19:15:50 | つれづれ
怒濤のような週末が終わった。

金曜日の退勤から月曜日の出勤、それも会議前の資料作成のため、全く気の抜けない時間帯を終え、仕事中だというのに机の前で呆然としたり、ちまちまとこの原稿を(仕事の振りして)PCに打ち込んでいる自分がいる。

それでは、この週末に何をしていたのかというと……。

3/9(金)、雨の中、隣の部署の女の子を最寄りのJRまで送って行く。ゲートブリッジ通って、新木場の駅まで約20分弱。驚異的なスピードだ。5分は短縮できているかも。
そのまま帰宅したら娘が旅行でいないためカミさんが夕食の支度をしていず、そのまま外食に出かける。突発的な外食のため目的の店がなく、適当に走り始めてから目的地を決めるという無計画さ。
結局、市川の「ニッケ・コルトンプラザ」まで出かけた。ここの1階はほとんどが駐車場なのだが、今回、たまたま前の車について行って、建物の東側に停めた。そのままエスカレーターを登るとスーパーの中。すでに専門店街が閉まっていて、連絡通路がない。雨も降っているので一旦駐車場まで降り、延々と西側まで回り込んで飲食店街にたどり着いた。和食の定食を出す店に入り、帰宅。比較的早く寝た。

3/10(土)
休日にしては早めに起きて、シャワーを浴びてカミさんを起こす。今日は市の文化会館で「復興対策住民説明会」だ。ちょうど一年ということもあったからかどこぞのTV局が取材に来ていた。早めに会場に行き、市の駐車場で駐車位置を確保してからコンビニで買ったサンドイッチを食べる。朝から降っている雨にときおりみぞれが混じる。とにかく寒い。車の窓ガラスが真っ白に曇る。開場5分前に文化会館に入ったところ、既に大勢の住民が集まっていたのだった。
10:00から始まった説明会も12:00に終了。図書館に視聴覚資料を返却して自宅に戻る。カミさんを置いて、すぐ電車で出かける。
 *
新大塚駅前の友人が営んでいるラーメン屋で昼食。並んで待っていたらちょうど2席が空いたので、僕の後ろに並んでいたカップルを先に座らせる。ほどなく数席が空いて僕も座ることができた。さっきの対応の返礼か、頼んだビールはいつものビールではなくヱビス。大盛りメンマとチャーシューと味玉のお通しスペシャルまで頂いて、逆に恐縮した。常連のようにいい格好したかっただけなんだけどね。(^^; それでも嬉しかった。ラーメンはもちろん旨く。僕が食べ終わった時も店の外に3人並んで入ろうとしていた。近所のおばちゃんが「並んでる~」とかいって通り過ぎたが、「ふふん。食ってみればわかるさ」と心の中でつぶやいた。
 *
この日は大学時代の友人達と、年に2回集まる大切な日。遅刻しそうだったので都立大塚病院の前まで歩きタクシーを拾う。目的地の白山の大学まで10分。集合5分前に無事到着したのだった。
大学時代の友人達と集まっての歓談の後、飲みに行くことになった。(いつもそうだが)
ぶらぶらと巣鴨まで歩いたがまだ16:25。巣鴨駅上、アトレの本屋で時間をつぶす。

17:00近くの居酒屋に入る。結局、6時間も居座って、23:05に解散。楽しかった。毎度のことだが、友人達との再会と別れは、いつもとても淡泊だ。昨日別れて出会ったように、「よお!」のひと言でいつもの会話が始まり、「じゃあまたね」のひと言で、明日会うように別れる。半年間会わなかった時間などなかったような関係なのだ。僕の自慢のひとつだ。羨ましいだろ、こんな人間関係。

それはともかく東京駅発23:34の電車で帰宅。洗濯機を回して、とっとと寝る。

3/11(日)
この日は田舎の友人が車で上京してくる。娘さんが受験に合格してアパートを探しに出てくる。ほぼ一日同行するから今日中にやらなければならないことは早めに終わらせなければならない。バレンタインデーのおかえし購入は、その最たるものだ。会社で快適に過ごすためにはね、義理でも欠かしちゃいけないんだな。
朝起きて、洗濯物を片付け、シャワーを浴びて着替える。朝マックで朝食をとり、そのまま最寄りのケーキ屋へ。チョコクッキーの5枚入りを6セット購入。

まさにそのケーキ屋の中で電話が鳴る。
「ついた!」おいおい俺の想定より1時間は早いぞ。車を仮停車している場所に向かい、僕の車で先導して一旦僕の家へ。改めて荷物を片付けて友人の車で不動産屋に向かった。
学校近くのスーパーで早めの昼食をとり、その近くの不動産屋の広告を眺める。その辺りの相場と予算、何を優先して取捨選択するかの参考とするのだ。4~5件ほど間取り図を眺めて、あーでもない、こーでもないと話した後、予約していた不動産屋に向かう。ざっくりと話をして早速近くの物件を見に行く。
じつはこの局面でiPadが大活躍。物件から駅や学校までの距離、徒歩での大まかな時間、回りのコンビニの状況。初めて行った場所でもそれなりの情報が取れる。おまけにiPhoneコンパスで方位を確認して、日当たりや北枕(笑)の状況も確認。「奥さん、家を選びに行くならiPad、iPhoneは必携ですよ!」ってなもんだった。

結局のところ、物件を2件、一度不動産屋に戻って、情報を整理してさらに追加で2件。合計4件のアパートを見て、その日は終了。自宅最寄り駅の路線まで送ってもらって19:30頃帰宅した。
帰宅したら家が真っ暗。体調不良で寝込んでいたカミさんを連れて、もう面倒くさいから、松屋で牛めし。コンビニで食パンだけ買って帰宅する。

帰宅したらアマゾンで購入した本が届いていた。『手塚治虫エロス1000ページ(上) /(下)』の2冊。(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4904843002/ref=oh_o02_s00_i00_details)
パラパラと下見をしているうちに読みふけってしまった。
22:00さすがに早寝をすることにして、布団に横になる。電気はかろうじて消したが、iPhoneを充電するのを忘れて寝落ちのように寝たのだった。

……とまあ、こんな週末だった。

珍しいことに順番待ち(予約1番)の本が2冊あったのに、その両方とも今週は「準備できました」にはならなかった。もしなったとしても今週は取りに行く時間がなかったと思う。

「きっと神様がいるんだよ」とまでは思わないが、「俺ってラッキー!」と思うほどにはノリの軽い自分である。

諸行無常

2012-03-07 23:04:28 | 所感
友人の娘が受験に合格した。別の友人の父親が終末医療の施設に入った。
受け手の思惑なんか吹き飛ばしてグッドニュースとバッドニュースが同じタイミングで飛び込んでくる。
こんな人生の無情さに僕らは抗う術さえ持たない。

しかし、風の強さに立ち止まるにしても、僕らは歩き続けなければいけない。
変わり続ける世界の中に身を置くことが、生きているということなのだから。