A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

iPad欲しいんだが……。

2010-02-28 22:36:11 | つれづれ
 昨日、Twitterで過去最高の1日あたり28発言というつぶやき数を記録した。
なんてことはない、外出してはつぶやき、飲み会の中でつぶやき、おまけにもつ鍋が煮えるだけの様子を動画で実況中継までしてしまった。
「無線LANがつながります」という店を選んでiPhoneユーザーである後輩と一緒に飲んだのだが、いや面白かった。

 もつ鍋もクオリティ高く、焼酎も今年旧友に教えてもらった「黒霧島」をお湯割りで飲めるという店だった。残念なのはヱビスビールがおいてなかった事くらいだが、プレミアムモルツがあったから、まあいいだろう。

 それはともかく、一緒に飲んだ後輩も、この中継を見てコメントをくれた友人も、揃って何の迷いもなく「iPad買ったら、この店に行きたいですね」と言ったことは驚いた。

「おいおい。まだ未発売のiPad。国内では価格さえ決まってないのに、もう買うつもりでいるんかい」(^^;

 ……とはいえ、かくいう僕もiPadに関しては購入意欲満々である。ただ、メモリ容量は最大のものを選ぶとして、WiFiだけの機種にするか、3G併用のものにするのかが悩みどころだ。

WiFiだけの機種だと接続できる場所が限られてくるのだが、かといって3G併用のものを買うと言うことは、携帯電話と同じ常時接続通信回線を増設することになるからランニングコストが月々倍額になるということだ。

 ソフトバンクの方で、iPhone購入者がiPadを追加購入する際は、回線コストが割安になるような回線プランを組んでくれるならありがたいのだが。

 孫さんもTwitterでつぶやいていることだし、今度、そっちの方でつぶやきを振ってみようかなっと。(^^;

訃報、続く

2010-02-20 20:16:34 | 所感
  過日の、ロバート・B・パーカー氏の訃報に続いて、ディック フランシス氏の訃報が飛び込んできた。

  氏の「競馬シリーズ」もハードカバーでは買わなかったものの、文庫化されたらすぐ新刊を購入する小説だった。

  このシリーズも読み始めた当初から菊池光さんが翻訳をしておられ、主人公の苦難とそれに立ち向かう姿勢が恰好よく描写されていた。

  スペンサーシリーズと違い、都度違う主人公(である事が多い)競馬シリーズでは、主人公の考え方の違いがその作品自体の魅力の違いとなっている事が多く、その事からもディック フランシス氏の設定と安心して読める菊池光さんの翻訳により、僕はより深くこのシリーズに接する事ができたのではないかと思っている。

  僕は特にこのシリーズの中では「証拠」という作品が心に残っている。
  妻を亡くし惰性で生きようとしている主人公が巻き込まれる事件。自分の父親に持つコンプレックス。
  物語の最後で彼が乗り越えて辿り着いた境地と、そこに届けられた亡き父の遺品。……泣かせる。

  もし不幸にも(幸運にも?)まだディック フランシス氏の作品を読んだ事がないのであれば、ぜひ手に取って試して欲しい。
  シリーズの他の作品も読んでみたくなる事、請け負いである。

  それはともかく、かくある様に世の中は無情である。人の想いとは関わりなしに時は過ぎ去って行く。

  残された氏の未読作品を、一作一作、味わうように、ゆっくりと読み進めて行きたいと僕は思っている。

地図を見ている

2010-02-13 14:35:12 | つれづれ
  地図を見ている。みぞれ混じりの雨が振るような日、ライダーはやるコトがない。もちろん屋根付きのガレージを持っていれば別だろうが、安心してオートバイが停められる自宅の庭があるだけでもマシ。首都圏近郊で贅沢は言ってられないのだ。

  こんな日は地図を眺めてツーリングのルートを想像する。
暖かい房総を回ろうか、それとも伊豆まで足を伸ばそうか、いやいや逆に山の方に出かけて温泉にでも入ってこようか、などと。

  旧暦上の大晦日の今日。本当に寒い日である。
  明日になれば旧暦上でも初春。啓蟄だってもうそんなに遠くはない。

  寒い冬の巣ごもりライダー。春のツーリングの夢を見ている。

ロバート・B・パーカー氏の訃報に接して

2010-02-06 08:40:00 | 所感
  2月3日の朝日新聞夕刊にて氏の訃報を知った。氏の作品は大学時代の友人から紹介された『初秋』を読んだのが最初だったが、その世界に魅せられ、ハードカバーの新刊で揃える数少ない作家の一人だった。
  思えば数年前に、名訳者であった菊池光さんを失った時も同様の喪失感に襲われたものであったが、今回のそれははるかに深い。
  最近、新しい訳者の翻訳にも慣れ、違和感なく物語を楽しめるようになっていたから、この訃報は余計に辛い。

  当たり前のことだが、世の中は僕が思うと思わざるとに関わらず流れて行く。誰だって止める事も変えることも出来ない。
  それならば僕のやれることは、氏の冥福を祈ることと、未読の作品をこれ以上に味わって読むことしか出来ないではないか。(T_T)

「男が涙を流していいのは大切なものを失った時だけだ」というのは、何のセリフだったろうか? (細かい部分が違っている気もするが)

  過分に感傷的ではあるが、僕は今、こんな気持ちである。