A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

孤独な空腹

2013-08-31 05:09:11 | たわごと
昨日の夜、疲れていたのか9時すぎに電気つけっ放しで寝落ちしていた。
午前2時に気がつき改めて寝直したが今度は寝つけない。

結局、午前4時から『孤独のグルメ』のDVDなんか見始めて現在に至る。
もうすっかり明るくなってきていて、あとは「日の出を待つだけ」という風情だ。

しかし、それにしても腹が減った。
Kでどこかに何かを食べに出かけようかな。
待て!しかしこの時間だ。開いている店は限られるぞ。
どうしようか?どこに行こうか?

……逡巡している僕は、ふとくだんのDVDに書かれているセリフに目を止める。

「焦るんじゃない。俺は腹が減っているだけなんだ」

……全く、その通りです。m(_ _)m



この原稿をアップロードしたら、じわじわと睡魔がやってきた。これ幸いとばかりに目を瞑る。
結局、また寝直して8:30頃まで寝ていたのである。寝直したのが原因か、空腹感もリセットされたようで、朝食もいつも通りに食べて現在に至る。
さて、また『孤独のグルメ』の続きをみようかなっと。
……また同じ繰り返しのような気がするが。f^_^; (8/31 9:45 追記)

五郎 を気取って昼食の前に「俺の腹はいま何腹なんだ?」……と言ってみる。聞きつけたカミさんいわく、「あんたのは二段腹? 三段腹?」
……くっ!_| ̄|○
(9/1 8:20 さらに加筆)

夏休み最後のツーリング20130818

2013-08-27 19:16:46 | ツーリング
母の新盆に合わせて有給休暇を取得した。
このいわゆる「今年の夏休み」も 8/18(日)をもって終了である。
世間的には 8/16~17 が「 Uターンラッシュのピーク」ということで、主要交通機関が混雑したが、最終日の 18日が渋滞しないかといえば、絶対にそんなことはないだろう。午後以降は確実に渋滞すると思われる。
だから、早朝に出発しお昼過ぎには帰ってくるようなルートでのスケジュールを立ててツーリングに行こうと 8/17に画策した。

朝早く……というと店はまだ空いていない事も多いだろうから食べ物目当てのツーリングにはならない。……というか僕の現在の選択肢としては、「早朝=ほったらかし温泉」という単純な図式ができていた。
ルートとしては、ほったらかし温泉の後、高速道の狭間に降りる塩山~奥多摩~青梅ルートではなく、雁坂トンネル~秩父~定峰峠~嵐山小川を選択、帰りは関越道でバビューンと帰ることにした。これは 2011年の10 月、 Nさんと一緒に行った「ビギナー卒業ツーリング」の逆回りパターンのルートでもある。
ルーティングが定まったので早めに寝ることとする。 22:00過ぎに床についた。

8/17 3:35 起床。まだ空は暗い。食事は途中で取る予定だし、行き先は温泉なのでシャワーすら浴びない。身支度を調え、下着一式とタオルをコンビニ袋に詰めて準備完了である。
3:55 表に出てK にシートバックを装着する。南の空にオリオン座が見える。オリオンというと晩秋から初冬のイメージがあるが、そうかこの季節はこの時間に輝いているんだな。
ツーリングに出かける旨をツイッターでつぶやいて出発。 Kのデジタル時計が4:00から4:01 に変わった瞬間に走り出した。

4:06 葛西IC より首都高に入る。バックミラーに見える東の空は少し明るくはなっただろうか? 常時点灯のヘッドライトの光が、まだ頼もしいほど辺りは暗い。
辰巳~箱崎~竹橋の各 JCTを辿り、首都高4号へ。そのまま中央道へと進む。
中央道の三鷹あたりを走っている時だったろうか、急に「出発時にトリップメーターをゼロリセットしないままで走り出したこと」を思い出した。
このままでは「本日の走行距離○○ km」という記録を算出するのが大変だ。このため調布 ICを通過するあたりでトリップメーター2(TRIP2)をゼロリセット。自宅から調布 ICまではネットで調べて加算し、本日の走行距離を算出することとする。調布 ICの合流口付近で「TRIP2」をゼロリセット。無事目的を果たす。

中央道、右手に競馬場、左手にビール工場が見えるあたりで、白々と夜が明けてくる。濃紺から青、やがて紫に明けてくる空に高速道の照明が定期的な間隔で伸びている。なるほど、夜空に続く滑走路のようだ。
中央道のどのあたりだったろうか、朝日がちょうど僕の真後ろから射し Kのバックミラーの両方から太陽の光が目に飛び込んできた。思わず目を細めて直射光をやり過ごす。
今日も暑くなることを予感させるような太陽ではあるが、この時間はまだ優しい。風を真っ向から浴びている体がじんわりと暖かくなってくるような光だ。
しばしその暖かさに体を委ねる。
左手に相模湖を望み始めたとき、 Kの左側のバックミラーが緩んで動いた。
「しまった!」何日か前に Kのカバーを外すとき、ミラーに引っかかっていたことに気づかずに力を入れて引いてしまったのだった。その時は何ともないように思われたが、たぶん確実にゆるみ始めていたのだろう。走行風と振動で緩みが限界に達したに違いない。通勤時間だったのでそのままにしていたが、やはり締め直しておくべきだった。
幸いもうすぐ談合坂 SAだ。朝食を取った後で締め直そう。ぐらぐらするミラーは危ないので、手で回して固定する。鏡面が明後日の報告を向いているが仕方ない。
早めに左の車線に寄って、つまりは左のバックミラーを使わなくても支障がないようにして、無事談合坂 SAにたどり着いた。

談合坂 SA到着をつぶやいて食事を摂りに向かう。結局のところあまり食欲もなく 2つ買ったサンドイッチを 1つだけホットコーヒーと一緒に食べた。サンドイッチ660円、ホットコーヒー150円。
朝食後シート下からスパナを取り出す。ミラー根本のカバーを引き上げてネジを露出させて締めようとするが、逆ネジのアダプターがついていて、上下のどっちのナットをどっち側に回せばいいかわからない。試行錯誤したがうまく行かない。
そこで Evernoteに保存しているKのマニュアルをiPhoneで呼び出してバックミラーの頁を開く。
マニュアルに目を通し回すべきナットを確認。一度緩めてからミラーの位置を確認し改めて締め直した。マニュアルがどこでも参照できるのは便利だとしみじみ思った。
その後、給油をして談合坂SAを後にする。ガソリン代2,225円。

中央道・笹子トンネルを抜け甲府地方へ入る。このトンネルも抜ける前と後では気温も天候も違う峠を貫いたものだ。多分昔はこの峠が異国への境界線だったのだろう。
体感時間数分でトンネルを抜けると勝沼ICを左に通過し、一宮御坂ICが近づく。同ICを6:10に通過し一般道に降りる。R137~県道312号と乗り継ぎR140西関東道路へ。バイパスのような延伸予定の道路を降りるとそこがフルーツ公園入り口。ほったらかし温泉に向かう分岐点である。つづら折りを軽快に登りほったらかし温泉に到着したのが6:28。ツイッターで状況をつぶやいたら談合坂SAにいる時点で僕がほったらかし温泉に向かうことがばれていた。まあ定番のルートだからね。
あっちの湯の入浴料700円とコインロッカー代の100円を払って風呂へ。まずは露天風呂。ぬる湯にゆっくりとつかって甲府方面を見下ろす。

** 風呂にはカメラ等の持ち込みが禁止されていたので脱衣所のデッキから人のいない方向を狙って撮影。念のため。**

さすがにすっかり明るくなっているので夜景のような灯りは見えない。おまけに残念ながら富士山も雲の向こうだった。
屋内に向かい頭と体を洗った後で内湯に入り直す。こちらは露天に比べちょっと湯温が高い。十分に体を温めた後、屋外に出て体をさます。まだ朝の7時半だ。明日の今頃は朝食を取り終えて会社に向かう準備の真っ最中だなと思う。夏休み最後の休日の朝はちょっと寂しい。

7:54。風呂から上がって腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲む。120円。爽快。まだお腹は減っていない。雁坂トンネルと大滝ループ橋を超えた後、秩父のマクドナルドあたりでコーヒーでも飲もう。そう考えて身支度を整える。

7:59。ほったらかし温泉・駐車場を出発。R140雁坂みちより秩父方面を目指す。
日曜日の朝、まだそんなに車は混んでいない。R140を快適にとばし、8:38雁坂トンネルの料金所に到着する。通行料金は軽自動車と同じ560円。
雁坂トンネルはとても長いトンネルである。……ということは間違いなく中は寒い(だろう)。Kの温度表示がどう変わるかも楽しみだ。
ちなみに現在の気温は21℃。トンネルの中は何度まで下がるかな?


** 料金所のところでトンネル入り口の写真を撮り、トンネルに入る。**

トンネル内を進むうちに体がしんしんと冷えてくる。結局、その時の最低気温は18.5℃。外気温とは数字としては2.5℃しか違わないが、体感温度はもっとあるような気がした。真夏でありながら太陽の光がありがたいと思えた。
トンネルを越え埼玉県側に降りる。壮大なループ橋を通り、道の駅・大滝温泉を9:06頃通過、日が高くなるにつれ、加えて峠からふもとに下りてくるにつれ、高くなる気温を実感しながらマクドナルド140秩父店に9:35到着。

クーラーの効いた店内に入り、アイスコーヒーとナゲットを注文する。談合坂SAで食べ損なっていたサンドイッチを食べようと思っていたのは内緒だ。ツィッターを確認するとほったらかし温泉名物「揚げタマゴ」は食べなかったのか?……という質問があったので、「あの時間では店、開いてないよ」と回答する。
20分ほど休み、次のルートを確認し、9:58 マクドナルドを後にする。
R299から県道11号に左折。道なりに定峰峠を目指す。途中、対向車に会うこともほとんどなく、無事、10:31 定峰峠に到着。ジャワティーを買って休憩。140円。

定峰峠には、自転車はもちろん、オートバイと車で「峠道命!」みたいな人たちが何組もいた。彼らは峠に上がってはすぐにUターンして下に下りてゆく。排気音がうるさい。そしてすぐまた途中で上がってくる。僕のようなへたくそがとろとろと峠を走っているとあおられそうで怖い。

しかし、いつまでも峠にいるわけにも行かないので、腹を決めて峠を下りることにする。一世一代の決意だ。
『追いつかれたらとっとと道を譲って、僕は無理せずゆっくり下りよう』(^^;;

幸いあおられることもなく無事に峠を下りて小川町を経由し、11:17 嵐山小川ICに着いた。
ここからまっすぐ自宅に帰ることとする。自宅に電話したらカミさんが起きたばかりだった。あと2時間程度で帰ることを告げ関越道に乗る。

盆休みを含む最後の日曜日とはいえ、時刻はまだ午前。関越道は渋滞もなく快適に行程をこなす。11:44 三芳PAで給油。1,980円。思ったより早いペースだ。
よく考えると関越道を通るのはいつも夕方。関越道自体も料金所も結構渋滞している。いつも渋滞しているので通過時間の感覚が違っているようだ。

三芳PAを出ると大泉JCT、和光ICのあたりで多少渋滞気味。しかし戸田東ICを過ぎると渋滞は落ち着き、川口JCTから首都高川口線に入る。
その後は順調に走り抜け、12:35、無事自宅に帰り着く。自宅から調布ICまでの距離を加算して、本日の走行距離を算出。概算361.6km。
4:00にでかけて12:35に戻る、夏休み最後の日の早朝半日ツーリング、無事帰着である。

本日のコスト、交通費(高速代+雁坂トンネル)4,460円。ガソリン代4,205円。……とここで、食費と入浴代の金額を合計しようとして、マクドナルドの料金(アイスコーヒーMとナゲット)を控えていなかったことに気づきホームページを調べたのだが料金が乗っていない。そうだ! マクドナルドって確か地域別の料金体系に変わったんだ……ということに気づく。ネットで探したら、ちゃんと価格データベースを作ってくれている人がいた。感謝。このDBによると埼玉地域のアイスコーヒーは150円、ナゲットが190円とのこと。うん。確かこんな金額だったかな。
ということで、その他合計、2,210円。総計10,875円のツーリングだった。

故郷とは何だろう・2

2013-08-16 21:01:19 | 所感
叔母が亡くなって2週間経つ。
僕はまた故郷に帰っていた。そもそもはこちらが本予定。母の新盆のため、旧盆に合わせて帰省したのだった。
帰省当日は、昼食を作り、墓参りと菩提寺への挨拶に行き、2日目は父の名代として、親戚の家を2件回って来た。
友人達とは都合が折り合わず、法事以外は特に何もすることはなかった。
退屈だった。
持ち込んだ文庫本は行きの新幹線を含め早々に3冊を読み終え、帰りの新幹線用の1冊を除くと他に読むものはない。
高校野球と新聞が暇つぶしの切り札だった。
今回、「一人暮らしは大変なんだ」と愚痴る父の対処に困った。
母や叔母が亡くなり自分の世話をしてくれる人がいなくなった大変さと寂しさを父は訴えるが、それに具体的な対策はない。僕は就職先のないこの町には戻れないし、戻る気もない。
父だって勝手気ままに暮らす生活や知り合いを捨てて都会に出てくる気もない。
つまりは具体的な解決策がない問題に対し、ただただ感情的な愚痴を聞かされるのは滅入る。理屈ではなく感情だから反論する気もない。事実を冷静に指摘したところで詮ないことだ。
だから僕は黙る。黙ってやり過ごそうとする。
しかし、一日に同じことを何度も繰り返す父が疎ましく思える。正直、嫌悪感すら覚える。どうしようもないことではあるのだが。

父が健康でいられる期間がどれだけ残っているのか解らない。いずれは病に倒れる時が来るのだろう。
そして、その先、父が亡くなる時がくれば、その「後片付け」に奔走しなければならないのだろう。
今でさえ、親戚や近所の人の名前と顔が一致しない。
高校卒業時からまともに関わっていない町で僕は一体何をすればいいのだろう。

故郷はいまや僕の心の中で、また違う意味を持つようになった。

それは感傷の中に存在する失われた過去。取り戻せない幸福だった時間。煩わしい未来の予感。自覚すると気になる心に刺さった棘。

だから僕は逃げるように自分の家へ帰って来た。自分で築いたことに多少の矜持を感じている自分の城へ。自分の世界へ。

新幹線が白河を越え、みちのくから関東圏に入る。ここで風景も季節も僕の心も切り替わる。
僕は、北上川に架かる橋のたもとに住んでいる父の息子から、遊園地の近くに住んでいる娘の父に、オートバイが好きな普通の会社員に戻る。

しかし、目を背けてきた「故郷」は、現実として存在する。
逃げ帰ってきた僕が現実に立ち向かうのに、あと何年の猶予が残されているのだろうか?


格好悪いぞ、それ。

2013-08-10 08:26:20 | ライディング
久々の朝マックでコーヒーを飲みながら2階席の窓から表を見ている。
目の前の道路をたまにスクーターが通るのだが、赤信号で停まったスクーターが走り始める時、身体を前に傾けて足を前に出し、地面を蹴り出して加速の手助けをしようとしているのを見かける。非力で軽いスクーターならその行為もわかるが、たまにビックスクーターで同じようなことをしているのも見かける。あれ、どれだけの効果があるんだろう?

それはともかく、たまにスクーターのフットレストに足を乗せず、両足をブラブラさせながら走っているヤツがいる。あれ、見た目も良くないし危ないぞ。
ニーグリップができないスクーターなんだから、加減速やコーナリングの際は、きちんとフットレストに加重しないと車体が安定しないだろうに。

ハングオンさながら、両足を開いてスクーターに乗っているヤツらもかなり格好悪いが、フットレストやステップに足を乗せないヤツは「オートバイの基本的な物理特性を知らないバカ」というのは、僕の中での決定的な評価である。

Solitude Long Distance.<孤独に。長い距離を>

2013-08-08 20:28:17 | ツーリング
かつて那須高原にソロツーリングに出かけた際、気分が悪くなって途中で帰ってきたことがあった。
那須ICから県道17号に抜け、この道をどん詰まりまで行った後、県道30号と国道400号の交差する場所にあるコンビニで休み、そのまま西那須野塩原ICまで降り、東北道をまっすぐ帰着したのである。その時読んでいた文庫本~佐野SAで休憩したとき読んだ~の読書履歴からブログを遡ると2011/9/18に出かけたツーリングであったことが判明した。
今回のツーリングは、このリベンジでもあり、Kでゆく長距離ツーリングでもある。
目的は「霧降高原道路」の踏破。ルートをさっと確認すると「日塩もみじライン」も通ることができる。どちらも関東圏では屈指のツーリングロードだ。きっと素晴らしいものになるに違いない。

   *

2013/8/3。朝5:00に目覚める。
ツーリングへの衝動はいつも突然だ。
梅雨明け後に雨が多くなった関東圏ではあるが、本日の天気は概ね曇り。栃木エリアを午前中に通過すれば、15時すぎからの雨の予報には影響を受けないだろう。
「行こう!」そう決め、早速ツーリングへの準備を開始した。タンクバックにレインウェアは常備してある。いつものポーチから免許証、クレジットカード、健康保険証と少しばかりの現金を抜き取り、薄めの財布に移す。立ち寄り温泉用のタオルをコンビニ袋に詰めてこれもタンクバックに。歯を磨いてシャワーを浴びる。OK。
朝食も途中で摂ることにして、6:03、出発をツイッターでつぶやいてKのエンジンをかける。
電源をオンにするとオンボードコンピュータが立ち上がり電送系のセルフチェックが始まる。同時にETCユニットがカードの有無を確認し、グリーンのランプを返してくる。
三角の中の「!」マークの赤表示が黄色に変わって消え、セルフチェックが終わる。スターターボタンを押すとギュルルンとかん高い金属音がしてエンジンが起動する。シートバックの固定を確認しクラッチを握ってギアをローに踏み込み、静かにクラッチを繋ぐ。258kgの車体が僕を乗せてゆっくりと動き出す。
最初の角を右折、次を左折して信号のある交差点を左折。小学校の手前を左折して突き当たりを左折すると次がR357・湾岸道路に繋がる交差点だ。
交差点を右折して湾岸道路に出る。ちょっと走った後で舞浜大橋を超えれば、すぐに首都高、葛西ICの入り口である。
6:10。ICを通過。そのまま左側を走り、葛西JCTから中央環状線・東北道方面に進む。

無事合流を果たし速度が安定すると、僕の頭は回想モードに入る。それは数日前に亡くなった叔母のこと。大切な記録としてブログ等に残しておきたいと思ったのだが、どんなエピソードを書こうか、どんな思い出がそれにふさわしいか、どんな書き出しにしようか、……等々を考える。亡くなった人間は誰かが思い出すことによって現世に甦る。今日は叔母の追悼ツーリングでもあるのだと思う。

首都高を抜け東北道に入り、岩槻IC付近を通過する。ここまでで乗車開始から40分弱。休日の早朝で車が少ないとはいえ免許が心配になるようなペースである。バックミラーで周囲を確認し、少し走行ペースを落とす。ふと気づくと蓮田SAを通過。平日であればそろそろ朝食の時間である。羽生PAで軽食でも摂ろうかと思ったが、起きてから何も口にしていないし、多分今日は長丁場のツーリング。佐野SAまで足を伸ばししっかりと朝食をとることとした。

7:10頃、佐野SAに到着。駐輪場にオートバイを停める。たまたま通りかかった子供がKを指さし「あの黒いオートバイカッコいい」と言ってくれる。
思わず「ありがとうね」と口にだすと親御さんと一緒に破顔一笑。ささやかな嬉しいコミュニケーションである。
気分を良くしてフードコーナーへ。佐野だけあってラーメンモチーフのメニューが特徴的だ。(麺をモンブランで模したケーキまであった)
今日はその中から「男飯」というものを頼む。\980。ご飯の上に白もつとラーメン用の煮豚、刻みネギが乗っていて、付け合わせのスープは醤油味のラーメンスープだ。

これにメンマとナルトとノリが加われば完璧なのだが、まあ食べて美味しかったから文句は言うまい。

7:30頃、出発。しばらくしてオンボードコンピューターの表示が<FUEL!>に変わる。給油だ。あと約81km走れるから、先の上河内SAで給油しよう。
8:12。上河内SAで給油。12.78Lで\2,198。やっぱりハイオクはちょっと高いかな。

給油後、何のストレスもなく西那須野ICに到着。8:31。まだまだ走行車両は少ない。国道400号で日塩もみじラインをめざす。
きちんと表示が出ていたので、分岐点を間違うこともなく日塩もみじラインに入る。早々、前を走っていた車2台をまとめて追い越す。

Kのエンジンは余裕のある出力を持っている。トップギア6速4,000回転で約105km/hというものだが、そこから登り坂や向かい風、あるいは追い越しをしようとしてスロットルを開けると、Kはまるでそれが低いギアであるかのように力強く加速する。前述の登り坂や向かい風、あるいは危険回避等、いろいろなことを考えても、この高機動力はありがたい。
たとえそれがCBと比較して若干低い燃費であったとしてもだ。(実際のところCBは1Lあたり平均16km前後、Kはまだデータも少ないが平均15km前後である)

余裕のある高機動エンジンでKはコーナーを次々とクリアして高原の道路を駆け上がる。
Kの大きな特徴のひとつ「デュオレバーサスペンション」をひと言で説明するにはメカニックに造詣が深くない僕には難しい。ただ従来のテレスコピックサスペンションに比べ、前輪ブレーキを強くかけても車体が前方に沈み込むことがないということは言える。また前輪の接地感が強く、コーナーでの不安感が少ないため、自分で思っていたよりも早くコーナーを抜けることができる。そうかこれが他の方がインプレッションで言っていた「自分が巧くなったと錯覚するコーナリング」か。
いずれにせよ運転が楽しい。コーナーを安心して回れるということが、オートバイの基本的な楽しみになんと彩りを添えてくれることか。

やがて道路は下りに転じる。安心感のある前輪のおかげで、怖い思いをすることもなく料金所についた。\400の料金を払って交差点手前の駐車スペースにKを停めて一休みする。現在時刻9:43。ツイッターに返信をしたり、状況をつぶやいたりした後で発進。霧降高原道路へ向かう。

日塩もみじラインの出口から右折して国道121号に出る。道なりに進むと川俣温泉方面に向かう県道23号。これが霧降高原道路に向かうルートである。川治ダムを右手に見て超えたあたりで休憩。自動販売機でレモンウォーター(\130)を買って川沿いのベンチに腰をおろす。
下方を流れる鬼怒川は水量がとても少ない。都内でゲリラ豪雨が頻発する昨今であるが、首都圏に水を供給するこのあたりに雨が降らないのは残念に思える。

ちょっとして再スタート。地図だけでは分岐点を見落としそうだったが、思ったよりわかりやすい看板があったせいで容易に霧降高原道路方面に曲がる。つづら折りの道路を快適に駆け上がり、牧場のT字路を右折すると霧降高原道路である。薄曇りであった天気は山の上の方から雲が降りてきて、まさに「霧が降るような」光景を見せている。整備された道路と相まってとても雰囲気がよい。もちろん抜けるような青空に白い雲が浮かんでいるようなロケーションは最高だろうが、この「霧降高原」という名前にふさわしい今日の天気も悪くはない。
ただしこのときの気温は17度。下界では28度あったことを考えると正直言って肌寒い。しかし特に凍えることもなく、霧降高原道路を堪能して日光市に降り立ったのであった。

10:57。JR日光駅前にオートバイを停めて、今後の行き先を思案する。今回は「霧降高原道路」を制覇するのが目的だったので、ここから先のルートを真剣に考えてはいなかった。
ここから日光街道の杉並木を走って東北道で戻ろうかとも考えたが、まだ日は高い。
日光市街からいろは坂を登り中禅寺湖から戦場ヶ原を抜け金精峠を通って沼田市へ。道の駅白沢で露天風呂につかった後で永井食堂のもつ煮のおみやげを買って帰宅するという定番極楽ルートを選択することに決めた。
11:05、このルートをつぶやいて出発。いろは坂(登りは久しぶりだ)、中禅寺湖、戦場ヶ原、奥日光を超え、金精峠に向かう。奥日光付近で気温が下がり小雨がぱらついてきた。トンネルに入った時点でKの温度センサーは15.5度を指す。正直に言ってかなり寒い。全体的に寒く、また体の前面にあたった雨が気化熱を奪ったからだろうか、お腹の調子がおかしくなってきた。トンネルを出た先のレストハウスにオートバイを停め、お手洗いを借りることとなった。再出発の際、立ち寄り温泉で使用する予定のタオルを折りたたんでお腹に当てる。もうこれ以上寒くなることはないだろうがお腹の予防だ。ただいまの時刻12:12。現況をつぶやこうと思ったが圏外。そのまま文章を保存して出発する。
その後、お腹の調子が悪化することもなく無事沼田市の「道の駅・白沢」にたどり着いたのは、13時過ぎのことであった。

13:10頃、道の駅・白沢の望郷の湯に入ろうと思い、2時間の滞在料金を払う。\550。レストランを利用すると、この滞在時間が1時間延長されるらしい。昼食を摂っていなかったのでまずレストランに向かいネギトロ丼とノンアルコールビールを注文する。
当然ながら先にビールが運ばれてくる。暑い中を走っていたのでノンアルコールビールだが美味い。『これが本物のビールだったらなあ』という野暮なセリフは心の中だけにしておこう。
のどが渇いてあっという間に飲み干したノンアルコールビールのおかわりが届く直前にネギトロ丼が届いた。ネギトロ丼を肴にノンアルコールビールを飲む。『これが……(以下省略)』

食後、畳の間でしびれた足を引きずりながら風呂に向かう。今日は前回・前々回とは異なり、男湯・女湯が逆だ。初めての風呂はちょっと嬉しい。まずは露天風呂に入り、洗い場で頭と体を洗った後で内湯に入る。その後ジェットバスを堪能し、屋外のテラスで横になって腰にタオルを乗せて仮眠した。うとうとした程度かと思っていたらどうやら30分以上は仮眠していたらしい。もう午後3時を回っている。改めて寝汗を流し露天風呂に入り直した後、着替えて食事代を精算し表に出る。食事代合計\1,950。午後3:20、永井食堂を目指して出発する。

今日(8/3)は沼田市街はお祭りだったようで交通規制がしかれている。見知った道を通過することができず、前の車について裏道を進む。途中であて推量で道を選んで走ったら、何とこれが大当たり。裏道を抜けていつもの道にたどりついた。
そのまま国道17号にでるとJRの線路を蒸気機関車が走ってゆく。何かイベントでもあったのだろう。少しの間SLと併走して国道17号を走り続けた。

16:12。国道17号沿いにある永井食堂の駐車場はいつも通りの盛況である。食事時間が終了しているにかかわらず、何台もの車が駐車場に入ってきてはおみやげのもつ煮を買い、駐車場を後にする。
早速僕も店に入り、おみやげのもつ煮を3袋買ってシートバックに詰め込む。\3,210。
永井食堂をでようとしたら、<FUEL!>の画面になった。走行距離からしても、ちょうど給油のタイミングだ。直接赤城高原ICへ向かうのはやめて、国道17号を南下。給油を終えてから関越道に入ることとする。途中のENEOSのセルフスタンドで給油。12.66L、\2,115を支払い、16:30頃ガソリンスタンドを後にし、渋川伊香保ICより関越道に乗った。

乗った直後の関越道はたいした渋滞もなく順調に走り続けていたが、途中で事故があったらしく高坂SAあたりから嵐山PAあたりまで渋滞していた。この渋滞を(文字通り)すり抜け、高坂SAで休憩を取った。さすがに僕も疲れていたのだろう。少し甘いものが欲しくなったので「焼き芋ソフトクリーム・バニラミックス」を購入。\330。冷たくて甘くて美味い。食べ終わった後、サービスの玄米茶で口直しをして17:50頃出発する。

高速道は休日の都心方向に戻る渋滞が始まっていた。関越道・大泉JCTから外環道浦和IC付近まではほぼ車が連なっている。
このツーリングでだいぶKの車幅感覚も身についた。つまりはあまり怖さを感じることなく車間をすり抜け走行することができるようになった。
外環道浦和ICを過ぎると少し車間が空いたものの、基本的に渋滞気味であることに違いはない。焦ることなくマイペースで走り続ける。
川口JCTから首都高に入りそのまま湾岸線方面へ。葛西ICで降りて舞浜大橋を渡り自宅に帰り着いたのは18:50頃だった。

高速代、有料道路を含めた交通費\5,350、ガソリン代\4,313、食費とおみやげ\7,150。本日の総コスト\16,813。
全走行距離538.3kmのツーリング、無事終了である。

知と情

2013-08-04 20:53:06 | 所感
亡くなった叔母のことにもちょっと触れておきたい。

叔母は父の妹であり生家の近くに住んでいた。僕にとっては物心着いた頃にはそばにいた最も身近な親戚であり、両親、祖父母に次いで僕を育ててくれた人でもある。

叔母は地元の鉄道駅で立ち食い蕎麦を営んでいる会社に勤めていたので、小学校、中学校の帰りに蕎麦やコーヒー牛乳をご馳走になることはしょっちゅうあり、まるで日常の出来事であったかのようだ。

うまいものにも目がなく、それがお店のものなら何々なら盛岡のどこが美味いとか、素材ならどこどこで買ってきて貰うのが良いとか、グルメ情報誌のない時代、口コミと実体験で豊富な情報を手にしていた人だった。
僕がトーストをご馳走になった時、「お前の母さんはしっかり者だから、あまり(トーストにバターを)つけないけど、本当はもっとつけた方が美味しいんだよ」……と言っていたことを覚えている。
「どうせ食べるならより美味しく」という発想は叔母から学んだと言っても過言ではない。

また叔母は人付き合いも広く~過日の葬儀の際、引き出物が足りなくなって葬儀屋が慌てて追加したというエピソードがある~よく町中で声をかけられることがあった。また、飲み会での気配りは素晴らしく、話の輪から外れている人には、必ず叔母が「飲んでるかい?」と声をかけていたことも、人づてに聞いたことではあるが、「確かにそうだ」と思い当たることでもあった。

難しいことは知らず、そういう意味では学もなく、理路整然としていたわけでもなかったが、誰もが叔母を慕い、その言葉に耳を傾けていた。
「知」ではなく「情」で人の心を掴む天賦の才があった。そんな人だった。

思えば母が認知症になり叔母と仲違いをしたというのも、実は母の方に叔母に対するコンプレックスがあったのではないかと思っている。
素直で朴訥ではあるが弁が立たない母が、能弁で人の中心になる叔母を羨んでいたのではないかということだ。
今となっては確かめる術はないが、ほぼ間違いのないことであろうと僕は思っている。

かつて母と叔母をモチーフに「永遠のドロー」という文を書いた。
次がその一文である。

“憎み合う人間同士の争いは、やがて双方が死に至ることで永遠の引き分けとなる。
そこには勝者も敗者もなく、当事者以外には意味がない泥沼へと沈んでしまう。
永遠のドロー。感情は既に消え、結果すら意味を持たない。
それは究極の終末。果てのない闇。全ての人間に等しく訪れるもの。裁きの安らぎ。”

憎みあっていようがいまいが、全ての人間に訪れる「永遠のドロー」
僕らもその狭間で生きているに過ぎない。

母も叔母も逝った。いずれ僕らも逝く。

親しい人の相次ぐ死は、僕に改めて「生きることの意味」を問いかける。

どうせ生きるのであれば「知」だけではなく、「情」も。
そう考えるのは、欲張りすぎだろうか?