A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

語れ、自らの言葉で!

2011-04-30 22:09:45 | 所感
最近ツイッターでも多くの人の意見を目にするようになった。
また、比較的多くの人からフォローをしてもらえるようにもなった。

たかだか100人前後のやりとりで意見を言うには僭越なのではないかとも思うが、それなりに思うところはある。

それは、「自分の意見を持たない奴の発言は面白くない」ということだ。

発言をすることは自分の意見、立場、スタンスを表明することと同義だ。自分の立場を決めることは、それに反対する人に敵対することを表明することでもある。それはある意味敵を作る覚悟を決めることでもある。

意見の違いはある。それに反対したくなることもある。しかし、自分の立場を決めて意見を述べる人は、それなりに皆潔い。自分に責任を持とうとしているが故にすがすがしい。
たとえ自分と反対の意見だとしても検討する価値があるように思える。

反面、信用に値しないのが、人の発言を引用だけして、文句を言ったり、難癖をつけたり、責任のない感想を言ったりするだけの奴等だ。

お前さぁ、人の意見の尻馬に乗って文句言ったり、煽ったりするだけの卑怯なやり方はいい加減見苦しいから止めろよ。意見があるなら自分の言葉で、自分の責任で語ってみろよ!
あと、何だか知らねぇけど、延々広告しかしない奴、あいさつと飲酒報告しかしない奴、お前らもつまんねぇよ。ちゃんと自分の意見を言えよ。お前自身の考えを聞かせてくれよ!

ちょっと酔ってるが酒のせいにはしない。思い上がった暴言かもしれないが、あえてこの意見はこのまま表明しておく。

近況20110424

2011-04-24 18:22:51 | つれづれ
 昨日、午前三時から降り出した雨は、僕の部屋の窓の埃を洗い流すように、静かに、しかし絶えることなく降り続いていた。
 市のニュースによると震災後サービスを休止していた中央図書館が明日の25日から再会されるらしい。早速自分の利用状況を見てみたら、予約完了の本が2冊確保されたままだった。また、現在貸し出し中の本は昨日現在で延滞42日。一ヶ月以上も借りっぱなしだったことになる。

 昨日の新聞広告で、いつもは図書館に予約して読んできたシリーズの新刊が発売されたことを知った。図書館が新たな受け入れをするのか、新刊がいつ頃から読めるのか、全く見当がつかなかったので、今回は書店で新刊を買うことにした。
 買い込んでいた白ワインと甘栗を読書のお供にして、ゆったりとした雨の休日を過ごすのも悪くない。
 ……そう思って書店に行き、帰りにスーパーに寄って昼食用のパンを数点、ワインのつまみに生ハムのスライスを追加して13:30過ぎに自宅に帰ってきたのだった。

 しかしまあ、相変わらず人間というものは「易きに流れる」ものである。買ってきた本は開きもしないで、先週日曜日にTBS系で21:00から始まった『JINー仁ー』の再放送を見ながらワイン一瓶を開けてしまい、そのまま寝てしまった。

 結局のところ、夜に何度か目覚めたものの、昨日は夕食もとらずにそのまま寝続け、7:30頃に起床した。
 今日は地域の復興説明会の第2回目が開催される。午前11:00からの開始に備え、早めにカミさんと朝マックで食事。10:00過ぎに集会場に集合し無料送迎バスで会場へ行ってきた。結論から言うと我が街三丁目の行動力は素晴らしい。今後の復興計画に期待したい。

 帰宅後は、選挙と買い物に行った後、洗濯機を回して風呂に入り、現在に至る。
 後は夕食をとって『JINー仁ー』の第2話が始まるのを待つだけだ。

 明日からは連休前の怒涛のような仕事を片付ける気の抜けない一週間が始まる。フル・スロットルで駆け抜けるために、せいぜい心の準備をしておこう。

震災後一ヶ月と一週間の状況。

2011-04-17 09:05:46 | つれづれ
 震災後5時起きの習慣がついていた。まあ、その、仮説トイレが混んだらイヤだな……という理由から。

 今日は休日としては早めの7時半に起き、朝シャンを済ませて朝食の支度を始めた。
 コーヒーメーカーでコーヒーを沸かし、ハッシュドポテトをフライパンで火にかけ、ソーセージを茹でてトーストを焼く。
 仮面ライダーかなんか見ながら朝食をとり、洗濯物を洗濯機にかけ、今はコーヒーを飲みながらこの原稿を書いている。
 もうしばらくしたらカミさんと娘が起きてくるだろうから、朝食を食べて、今日は庭の雨水マスから泥の抜き取りをしておこう。

 応急措置とはいえ下水道が復旧し、表面上は震災前の生活を取り戻したかのように見える。
 しかし、剥がれた玄関の階段のタイルやひびが入って割れている玄関の階段そのもの、どう傾いているのかわからない家自体の傾斜。(震災と直接関係はないが)何故か開かなくなった車の助手席側の窓、等々、メインテナンスをしなければならないものはたくさんある。

 敷地の液状化対策は同じ区画の隣家と一緒にやらなければ意味がないらしく(自宅に対策を施しても隣がやってなければ、そっち側の土砂が抜けて隣に傾くとのこと)、向こう三軒両隣ではなく、裏側三軒両隣との連携プレーが必要になりそうだ。

 仮復旧はしたものの、本復旧、復興への道のりは遠い。
まだまだ気を抜かずに頑張っていこう。

風呂に入れたよ

2011-04-10 20:10:54 | つれづれ
 震災後初めて自宅で風呂に入った。お湯入れの機能が不調だったので、シャワーを湯船の中に転がしてお湯が溜まったところで風呂釜に点火。無事に暖かい浴槽にお湯がいっぱいに溜まった。
 浴槽の外で体を洗い、頭を洗ってシャワーで泡をすっかり流した後で浴槽に浸かった。

 ああ、なんて気持ちが良いんだろう。体はともかく指先にまで暖かさが広がってゆく。
 つい一ヶ月前までは当たり前だった日常。これがこんなにありがたいことだったなんて……。

 幸せは当たり前のことに隠れている。
 青い鳥は紛れもなく僕の家にもいたんだなあ。そう思ったらふと涙ぐんでしまった。

 本当に本当にささやかな幸せ。取り戻した一つの日常。復旧はこんなところから始まっているのである。

桜咲く春に想う

2011-04-09 17:57:16 | 所感
 今年も桜の咲く季節がやってきた。

 前回このブログで桜のことに触れたのはもう二年も前のことになる。
 その時は桜というものを「一年が経過したことを否応なしに人間に突き付ける装置」とし、それ故、それを認めたくない人間の焦燥感から「桜には死と狂気のイメージが付けられたのではないか」と言った。

 改めて今年、震災を我がものとして体験した今年、また違った意味から桜を捉えてみたい。

 今年、我が街の川沿いの桜が満開の季節を迎えた。この桜は路の両側に植えられていて毎年桜の枝が伸びる度に路の上側で枝を交差させる「桜のトンネル」として意図されたものだった。
 毎年毎年「もう少しでトンネルができるね」とその成長を楽しみにしていたのだが、今年はなぜか感慨が湧かない。

 それでも「綺麗だな」とは思うのだが、心のどこかで「それどころじゃない」という声が聞こえて、心から桜が楽しめないのだ。花を愛でる余裕そのものがなくなってしまったかのようだ。

 たぶん僕も知らず知らずのうちに心に傷を負っていたんだろう。自分が被災者として鈍感であり過ぎなかったようで、ほっとした感もあり、反面悔しい気持ちでもある。
 咲く花自体に変わりはない。ただそれを見つめる人間の側に違いがあるのだ。

 また、このご時世、やたらと「自粛」という声が聞こえて、いささか腹立たしい。
 僕らは別に花見を楽しむ人を妬んだりはしない。
 ライトアップが電力供給の都合でできなかったり、仮設トイレが被災地に送られたため設置できないなどという不都合はあるだろうが、自分らで花見を楽しもうとする人を止めようとする気はない。

「不謹慎だ」などと解った様なことを言うヤツの方が、よほど被災者に対して失礼だ。お前の狭い心と僕達が一緒だと思われるのは心外だ。
「不謹慎だ」と思うのも勝手だが、自分一人で自粛してればいい。他人にそれを、お前の狭い心故の卑称さを、強制するな!

 桜だってそうだ。桜は被災地を避けて咲くものか?

 桜はただ、あるがままにそこに咲く。人間の意図や思惑などにとらわれたりはしない。それが自然というものだ。だからこそその姿に畏敬の念を抱いたり、癒されたりするのだ。

 ……ちょっと熱が入りすぎたかな。f^_^;)

 でも、来年は桜を楽しむ余裕を取り戻したい。
「去年は大変だったよな」と笑って語れる自分でいたい。
 そうなれるように、明日からも頑張ろう。