N響の番組で吹奏楽の「ディスコ・キッド」という曲を聴いた。なんということだ。この曲は知っている。確か中学生か高校生の頃の、吹奏楽コンクールの課題曲だ。
うちの学校の吹奏楽部は(それが中学校であっても高校であっても)地区予選突破が課題のあまり上手いとは言えない小さな部だったから、この曲を選ぶことすらできなかったんじゃなかったかな。
県大会常連の大きめな編成の部が、多彩なパーカッションを駆使して演奏すると、とても映える曲だったんだよな。
「参加する意義」だけに終始した弱小吹奏楽部の僕。
地区予選の当日、早々に自分らの出番も終わり、審査発表までの時間を潰した公園。
不来方のお城の草に寝転んで、空を眺めながら何を考えていたんだっけな?
自分の力のなさを練習量以外の何かに転化して卑屈な生活を送っていた情けない学生だった僕が、前向きな事を考えていた訳ではないだろうから、自分で努力することなしに「環境が変われば僕だって」と、根拠のない間違った自信を抱えていたんだろうな。
タイムマシンがあったら、その頃の自分に説教のひとつもしてやりたいが、多分、まともに聞きはしなかっただろうな。本当に我ながら情けないいじけたガキだったと思うよ。(-_-;)
うちの学校の吹奏楽部は(それが中学校であっても高校であっても)地区予選突破が課題のあまり上手いとは言えない小さな部だったから、この曲を選ぶことすらできなかったんじゃなかったかな。
県大会常連の大きめな編成の部が、多彩なパーカッションを駆使して演奏すると、とても映える曲だったんだよな。
「参加する意義」だけに終始した弱小吹奏楽部の僕。
地区予選の当日、早々に自分らの出番も終わり、審査発表までの時間を潰した公園。
不来方のお城の草に寝転んで、空を眺めながら何を考えていたんだっけな?
自分の力のなさを練習量以外の何かに転化して卑屈な生活を送っていた情けない学生だった僕が、前向きな事を考えていた訳ではないだろうから、自分で努力することなしに「環境が変われば僕だって」と、根拠のない間違った自信を抱えていたんだろうな。
タイムマシンがあったら、その頃の自分に説教のひとつもしてやりたいが、多分、まともに聞きはしなかっただろうな。本当に我ながら情けないいじけたガキだったと思うよ。(-_-;)