A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

沈丁花

2007-02-28 23:03:28 | 所感
 家の前に沈丁花が咲いた。
 とても強い、良い香りが玄関に漂っている。
 思えば僕が初めて田舎から東京に出てきたときにもこの香りを嗅いだ。

 寝台列車が上野に着き、出迎えの叔父に連れられて乗った国鉄。駅の長い階段を降りて乗り換えた地下鉄。

 その地下鉄が地上に出、どんよりとした雲の下、どこまでも続く家並みを「広くて家がたくさんあるなあ……」と思って眺めた記憶は今も忘れられない。

 叔父の家にお世話になり過ごした受験の日々、そして始めての家探し。
 そのときにも沈丁花の香りが街に強く漂っていた。

 期待と不安と寂しさと、わくわくした感情が入り交じった香り。
 それは親元を離れた孤独と、自分の前に拡がる未知なる明日を前にした、武者震いにも似た高揚感と強く結びついている。

 2007年春。故郷を後にして、二十数年目の春。この香りは今も胸に切ない。

二輪ETC初利用!

2007-02-26 22:38:30 | ハード
 2月25日(日)仕事で川崎に行くことになった。仕事先へは高速・湾岸線の東扇島が近いので、計らずとも二輪ETCの初利用となった。
 8:14 エンジンをかけて出発。小学校前を左折、幹線道路へ出て右折、橋を渡って最寄りの高速の入り口に向かう。
 インジケーターは緑色。ETC入り口の信号も緑。異常はない模様。後続車があるかどうかバックミラーで確認。なし。ETCの入り口に近づくとちょっと緊張する。果たして問題なく通過できるのだろうか? トラブルで停止した僕に車が追突してくることはないだろうか?

 ハザードスイッチを押し前後左右のウィンカーを点滅させ、ゆっくりとゲートに近づく。路上の二輪通行レーンに沿い、オートバイをゲート左側に寄せる。
 ゲートにはバーが設置されていないようで、何も遮るものないゲートをあっけなく通過する。特にインジケーターにも異常はない。

 「あんなもんで良かったのかな? きちんと通過したことになっているのかな?」と若干の不安を感じる。しかし、まあ、何か問題があれば、係員に制止されたり、利用記録にエラーが残ったりするだろうから、と思い、そのまま通過。
羽田空港を越え、浮島の料金所に向かう。ここも同様にハザードスイッチを使い、ゆっくりとゲートを通過する。ここもあっけなく通過。東扇島で降り、仕事場に向かう。

 翌日、「ETC利用照会サービス」で、通行履歴を確認する。
 最寄りのICを8:21に通過。浮島の料金所を8:34に無事通過していた。
 (会社への交通費・雑費精算は、この画面印刷を証拠として行うのだ)

 思えば料金所で、いちいちオートバイを停め、グローブを外したりバッグから現金を支払う煩わしさが全くなくなるというのは、なんと負担が軽くなることだろう。本当にありがたい話だ。

 今日、たまたま大井料金所のゲート前で、ETCゲートの方が混んでいて時間がかかる……という事態に遭遇した。自分がETCを装着したから言うのだが、もっとゲートの数を増やして欲しいと図々しく思う。

 ……でも、四輪車にはまだ装着していなかったりして。(^^;

あてこすり

2007-02-20 19:47:29 | たわごと
 「地球に優しくないクレーム」は、かつては2~3ヶ月に1件届くか届かないか……という頻度だった。
 それが今月に至っては、既に5件の案件が届いている。

 内容を確認してみるが、やはり同様の内容~弊社ではなくグループ会社宛のクレームである。
 そのうちの1件なんか、何の契約におけるクレームなのかすら書いていない。

 あのね。「非常識」だの「筋違い」だの「たらい回し」だの「無駄な時間を使わされた」だの仰いますがね。
 そもそも「客観的な内容を」、「事実確認をした上で」、「正しい問い合わせ先に」、「理路整然と」伝えることができれば、たらい回しにされることも無駄な時間を使うこともないんじゃないでしょうかね?

 ……と、つい『あてこすり』のひとつも言いたくなるってものさ。

 うっ。-☆ 

 『あてこすり(当て、擦り)』 ……当ててから、擦ったって、まるで土曜の夜の僕の車のようじゃないか。
 
 思い出して、また一気に落ち込んでしまった……。(;_;)

へこんだ。

2007-02-18 18:34:46 | つれづれ
 土曜の夜、体調悪いのに雨の振る中、本屋に向かった。
 本屋の駐車場の一番奥に頭から駐車しようと思ったら、どこでどう目測を誤ったのか車の右前の角が接触している(ように見える)。
 慌てて何も考えずにそのままバックしてしまった。

 力ずくで戻らずに、ゆっくりハンドルを確かめて車を動かせばよかったんだろうが、そのときはただ「早くこの状況から抜け出さねば」ってことだけで頭が一杯だった。体調は悪いし、他に待ってる車もいたし。
 結局、車の右前をこすって、盛大に傷をつけてしまった。

 へこんだ。車も僕も。
 もう何にもやる気しないや。寒いし、雨は降ってるし。
 あー、もう、本当に何もかもいやだ。せめて明日は晴れてくれないかな……。

同期会の夜

2007-02-17 09:41:30 | つれづれ
 昨日、同期会があった。20数年前、同じ会社の新入社員だった仲間のうち12名ほどが都内某所の中華料理店に集まり円卓を囲んだ。

 今も同じグループ会社にいるやつ、会社を辞め自分で起業し社長になっているやつ。一番上の子供が成人したやつ、相変わらず未婚のやつ。太ったやつ、やせたやつ。老けたやつ、あまり変わらないやつ。
 20年ぶりに顔を合わせたやつもいて、昔話、知人の消息、お互いの健康状態と、まことに中年らしい話題で盛り上がった。

 宴席は瞬く間に終わり、二次会のセッティングが告げられる中、僕のいつもの悪い癖が頭をもたげる。くだんの孤独癖だ。

 二次会を辞退して挨拶をして歩き去ろうとすると何人もの人間が~特に久々にあった奴らが~握手を求めてきた。
 正直な話、嬉しかった。そして、その途端に気づいた。

 僕が二次会を固辞したのは孤独癖なんかじゃない。劣等感によるものだ。
 僕がのうのうと今の会社で自分を追い込まず、ぬるま湯のようにサラリーマン生活を続けていっているのに比べ、やつらは皆大人だった。社長としていろいろな責任を背負っているやつ。私生活でいろいろあって、それでも懸命にがんばっているやつ。
 僕はそんなやつらに引け目を感じてしまったのだ。

 でも、やつらは「また会おう」と言ってくれた。握手をした掌は暖かかった。
 こんな情けない僕でも同期の末席に名を連ねていていいんだと思えることが嬉しかった。

  >>友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
  >>花を買ひ来て
  >>妻としたしむ

 同郷の詩人はこう謳う。

 花こそは買ってこなかったが、そんな気持ちで玄関の戸を開けた。
 犬が「ワン!」と元気よく吠えた。家内が笑いながら「お酒くさい」と言った。

久々の洗車

2007-02-12 15:39:01 | ハード
 昨日、久々にCBを洗車した。昨年の11月以降何も手をかけてやらなかったのだからひどいものぐさなオーナーだ。

 CBをセンタースタンドで直立させ、ホースで水をかける。バケツに市販の洗剤を泡立てて柔らかいスポンジでメーター、タンク、シート等、上の部分から洗ってゆく。車体の下半分は別のスポンジで、ホイールは洗車ブラシを使って洗う。

 一通り洗い終わると、今度はチェーンクリーナーを使ってチェーンにこびりついた泥と脂が固まった汚れをおとしてやる。ボロのTシャツを1枚ダメにするつもりで、丹念にチェーンの間をふき取る。
 次にチェーンの一コマ一コマにチェーンオイルを差す。洗い終わったホイール等に飛ばないように、後ろにウェスを当てながら、慎重に。

 給油が終わると、比較的きれいなウェスにスプレーオイルを拭きかけ、このウェスで車体を拭いてゆく。
 少し油分があった方がツヤがでるし錆びにくいのではないかと思うので。

 最後にエンジンをかけて、近所を簡単に数100mひとまわり。
 これで簡単に洗車を終える。

 CBは購入してすぐに「CR-1」という車体全体をガラス皮膜で覆うというコーティングを施してある。このためプラスティックの劣化も少なく、ねじ等の細かい部分に錆が浮くことも少ない。これが結構全体的にきれいに見える理由になっている。

 転倒してへこんだタンク、傷の入ったミラー、さすがに汚れが付着してきたホイールの奥……等々、購入2年半分の劣化は否めないが、それでもまだ比較的きれいな外観ではないかと自惚れている。

 今日は寝坊して出かけることはしなかったが、暖かくなってきた昨今、そろそろツーリングのプランを立て始めようかと思っている。

梅の花

2007-02-10 14:30:53 | 所感
 窓の外の梅の木を眺めている。その花は木の枝に直接ついている。
 梅の木の新しい鶯色の枝。その枝は昆虫の伸びた触手がそのまま固まりでもしたかのように、まっすぐにすらっと天空の上を指して伸びている。

 そんな梅の木の枝の中に、たった二輪しか花の咲いていない枝がある。天空をまっすぐに指し示した枝。その枝の先の方にほんの二輪。咲いている花と咲かんとしているつぼみ。

 何故かはわからないが、亡くなった祖母のことを思い出した。

 死の床についた祖母。娘を連れて行った孫の僕に、「かわいいねぇ。かわいいねぇ。幸せだねぇ」……ただそれだけを繰り返し、繰り返し、笑顔で語りかけてくれたのだった。

 何かを見たとき、あるいは何かを聞いたとき、時間を超えてその人を思い出すことができるのであれば、死の恐怖というものになんの意味があるだろうか。

 梅の花は、ただ春風に揺れている。

地球に優しくないクレーム

2007-02-09 12:50:33 | たわごと
 会社で「何でも屋」みたいな仕事をやっていると、じつにいろんなことに出くわす。
 今日のトピックスは、会社のホームページのアドレスに入ったクレームメールである。

 ウチは単なる子会社だが、グループの会社が割と名前が通っているせいか、そっちの会社のクレームが飛び込んでくる。
 「社名の数文字が同じというだけで何も検証をせずにいきなりクレームメールを送りつけてくる人」「たぶん関連会社だとは思いつつも確信犯的に自分の要求を通そうとする人」……いろいろである。

 こちらも仕事であるから「この度はお問い合わせを頂きありがとうございます」とか「今後とも宜しくお願いします」とか、やたら低姿勢ではあるが、回答を書いている僕自身にストレスがたまる。どうせ回答はお決まりの「弊社では責任を持った回答ができかねます。然るべき会社にお問い合わせをお願いいたします」だし。

 だいたい、同じスーパーの品物だからって、野菜に虫がわいていたというクレームを洋服売り場にするもんか!
 スーパーならば同じ会社であろうが、ウチの場合は全くの別会社でもあるし。
 おまけに今日対応したクレームメールなんか、6行のメールに「!」の数が24個もあったぞ。
 きちんとした回答が欲しかったら、間違いない問い合わせ先にしろってんだ!

 ……ということで、こんなクレームに対応した後は、帰り道でついついスロットルを開ける角度が大きくなるのだな。(^^;

 「筋違いのクレームは、地球に優しくない!」 こんな環境キャンペーンを始めたくなる「環境審査員(補)」の僕である。

更待月・二十日月

2007-02-07 23:10:05 | つれづれ
 PCを前に机に向かい、「さあ、そろそろ寝ようか」と顔を窓の外に向けると、北東の方向に半月が浮かんでいる。

 弦が上を向いていて一見「上弦の月?」と思ったが、満月を過ぎた今日、上弦の月の訳はない。たぶんこれから弦は垂直に近づき、早朝に沈む頃には下を向く。紛れもない下弦の月だ。

 今日の深夜零時。月齢は二十。更待月(ふけまちづき)と呼ばれる。夜が更ける午後十時頃上がるためこの名が付いたとのことである。

 月を撮影してみようとデジカメを持って窓辺に立ってみたが「夜景モード」で狙う月はシャッターが開いている時間が長く、手ぶれがひどくて使い物にならない。
 どんな手ぶれ補正機能とて1~2秒の長さではとうてい無理だろう。

 またカメラを通して見た月は、肉眼よりもかなり小さく見える。あまり迫力を感じない。やはり月の魅力は肉眼に限るのかもしれない。
 まあいいさ。今日はカーテンを開けて、窓に覗く月を見ながら寝ることにしよう。

娘の携帯を買う

2007-02-06 22:30:41 | つれづれ
 日曜日の夕方、娘の携帯を買いに某キャリアのショップへでかけた。高校に合格したら買ってやるという約束を果たすためだ。前々週からカタログを集めて気に入った携帯を探し、春商戦の新機種が発売になったのを見越して買いに行ったのだ。

 娘が選んだ携帯は「左右非対称デザイン」の二つ折り。色は白である。カミさんは別なキャリアなので僕の携帯と家族割引の制度を利用する。携帯は買ってやるが支払いは本人の口座(郵便局だ)から引き落としのため、最低料金のプランを選ぶ。このプランで一ヶ月、自分の使用状況を確認の上、最も適したプランに変更するという計画だ。

 購入の際、どのような使用方法にお金が多くかかるのかを聞いてびっくり。曲を1曲丸ごとダウンロードするサービスは、ほぼ1曲で数千円(2~3千円)かかるらしい。(シングルCD買うより高いじゃないか!)
 他にもPCサイトを見る場合、画面を切り替えるそのたびごとに課金されるとか、有償の情報料がかかるサイトとか、大人がきちんと説明してあげないと危ないような印象を受けた。また、判断力に乏しい子供をターゲットに1クリックで無駄金を使わせようとする業者が多いことも知った。

 年端の行かない子供を標的にするなんて、なんという卑劣なビジネスモデルだろう。こんな最先端のビジネスに恥知らずや守銭奴が横行しているというのも嘆かわしい話だ。(ありがちな話ではあるけれど)

 閑話休題(それはさておき)、購入して既に2日。今日1日で友達と24通のメール交換をしたという。
 おいおい。メールだって有料なんだからな……と思いつつ、今が一番嬉しいときなんだろうなと微笑ましく見守ってもいる。

 全てのことにコストがかかること、自由や楽しさの代償になる責任。いづれこれら社会の厳しさは否応なしに娘にも降りかかってくることだろう。
 巣立ちの時期を前に、複雑な心境で娘のことを眺めている最近の僕である。