叔母の訃報を受け、忌引き休暇を取って生家に帰っている。
布団を敷いて横になると傍らで水の流れる音が聞こえる。
そう。僕の家は川のほとりにあり、物心ついた子供の頃から高校を卒業して上京するまで、ずっとこの音と共に暮らして来たのだ。
僕の家に初めて泊まりにきた友人は、決まって次の日の朝 、「雨?」と聞いてきたものだった。
それに対して僕は「いや、川の水が流れる音しか聞こえないから雨じゃない」と答え、友人の「何が違うんだ?」という質問には「雨ならば、雨粒が屋根やガラス窓を叩くパラパラという音がするから」と答えるのが常だった。
思えば昔の僕は川の水音と雨音をきちんと聞き分けることができたんだなあ、と思う。
加えて、僕の家はかつての国道沿いであり、鉄道も近くを通っている。
だから子供の頃は水音に加えて、トラックの通過音やら、電車が走る音~車輪がレールの継ぎ目を通過する「タタンタタン、タタンタタン」という音を聞きながら眠りについていた。とても贅沢だったのかもしれない。
饒舌な夜。水音が安らぎを、列車と車の通過音が旅情を誘う。
今、再びその音を聞いて、僕の心が闇に彷徨いはじめる。
そうか。僕が空想することが好きになったのは、こんな体験が下地にあったからかもしれない。
布団を敷いて横になると傍らで水の流れる音が聞こえる。
そう。僕の家は川のほとりにあり、物心ついた子供の頃から高校を卒業して上京するまで、ずっとこの音と共に暮らして来たのだ。
僕の家に初めて泊まりにきた友人は、決まって次の日の朝 、「雨?」と聞いてきたものだった。
それに対して僕は「いや、川の水が流れる音しか聞こえないから雨じゃない」と答え、友人の「何が違うんだ?」という質問には「雨ならば、雨粒が屋根やガラス窓を叩くパラパラという音がするから」と答えるのが常だった。
思えば昔の僕は川の水音と雨音をきちんと聞き分けることができたんだなあ、と思う。
加えて、僕の家はかつての国道沿いであり、鉄道も近くを通っている。
だから子供の頃は水音に加えて、トラックの通過音やら、電車が走る音~車輪がレールの継ぎ目を通過する「タタンタタン、タタンタタン」という音を聞きながら眠りについていた。とても贅沢だったのかもしれない。
饒舌な夜。水音が安らぎを、列車と車の通過音が旅情を誘う。
今、再びその音を聞いて、僕の心が闇に彷徨いはじめる。
そうか。僕が空想することが好きになったのは、こんな体験が下地にあったからかもしれない。