A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

饒舌な夜

2013-07-31 23:18:59 | つれづれ
叔母の訃報を受け、忌引き休暇を取って生家に帰っている。
布団を敷いて横になると傍らで水の流れる音が聞こえる。
そう。僕の家は川のほとりにあり、物心ついた子供の頃から高校を卒業して上京するまで、ずっとこの音と共に暮らして来たのだ。

僕の家に初めて泊まりにきた友人は、決まって次の日の朝 、「雨?」と聞いてきたものだった。
それに対して僕は「いや、川の水が流れる音しか聞こえないから雨じゃない」と答え、友人の「何が違うんだ?」という質問には「雨ならば、雨粒が屋根やガラス窓を叩くパラパラという音がするから」と答えるのが常だった。
思えば昔の僕は川の水音と雨音をきちんと聞き分けることができたんだなあ、と思う。
加えて、僕の家はかつての国道沿いであり、鉄道も近くを通っている。
だから子供の頃は水音に加えて、トラックの通過音やら、電車が走る音~車輪がレールの継ぎ目を通過する「タタンタタン、タタンタタン」という音を聞きながら眠りについていた。とても贅沢だったのかもしれない。

饒舌な夜。水音が安らぎを、列車と車の通過音が旅情を誘う。
今、再びその音を聞いて、僕の心が闇に彷徨いはじめる。
そうか。僕が空想することが好きになったのは、こんな体験が下地にあったからかもしれない。


夏は「企画展」が面白い

2013-07-22 13:03:58 | つれづれ
去年の夏、埼玉県近代美術館で開催された『ウルトラマンアート!』と東京都現代美術館で開催された『館長庵野秀明 特撮博物館』を観に行った。
両方とも“芸術の皮を被ったオタク(学術的だが中身はマニアック!)”が堂々と楽しめる展示会だった。

さて今年。
友人のつぶやきでサンダーバードとダイオウイカの展示会うんぬんという話が出た。
調べてみたらこれも美術館・博物館の企画展だった。

どれどれ?
今年面白そうなものはどれかな? ……と調べてみたら、こんなものが僕のアンテナに引っかかってきた。

・東京都現代美術館 特別展「手塚治虫×石ノ森章太郎 マンガのちから」
・国立科学博物館 特別展「深海 ―挑戦の歩みと驚異の生きものたち―」
・日本科学未来館 企画展「サンダーバード博~世紀の特撮が描くボクらの未来~」
・三井記念美術館 大妖怪展 ─鬼と妖怪そしてゲゲゲ
・横須賀美術館 企画展 日本の「妖怪」を追え!
・そごう美術館「幽霊・妖怪画大全集」展

うーん。なかなか面白そうなものばかりだ。

去年は特撮ものをおっかけたから、今年は「和モノ」を追っかけてみようかな?

ささやかな悪意の洗礼

2013-07-09 19:35:18 | つれづれ
今日、K1300Rを仕事に使った。
……といっても急ぎの書類を届けるために、セルフバイク便となり、四谷の司法書士事務所に行ったというだけだ。
四谷四丁目交差点にほど近いコンビニの手前にKを停め、20分ほど離れる。
書類を無事受領いただき、表に戻って帰り支度をしてKを発信させる。

「ん?」

左のサイドミラーが明後日の方向を向いている。
Kのサイドミラーは比較的ゆるみやすい。このため極力、サイドミラーには触らないようにしている。
しかし、サイドミラーは完全にゆるめられていて、ぐらぐらと揺れている。
危ないことこの上ないのできちんと止まる位置までサイドミラーを回す。もちろんちょうどいい位置で止まるはずもなく、左のサイドミラーは後方視認の役には立たない位置でむなしく路肩を映しだしている。

続いてライトのハイビームがONになっていることに気づく。
晴天の炎天下。自分も周囲の車も、ハイビームには気づきにくいかとは思うが、目の前の車だけは眩しかったかもしれない。申し訳ないことをした。すぐにスイッチをノーマルに戻す。

しかし、オートバイに乗っている人間でなければ気づきにくい微妙な嫌がらせではある。
サイドミラーの右側をゆるめられると、発進時の後方確認の際に危険だ。右側の後方確認ができなくなると、最悪の場合事故に結びつくこともある。左側だけなら、そんなに実害は大きくない。
またハイビームにしたところで、せいぜい前の車のドライバーから罵詈雑言を浴びせられる程度。こちらも実害はそんなに大きくはない。

ライダーだから気づく、ライダーが困るようなちょっとした嫌がらせ。
相手が事故になることまでは望んでいないが、あきらかに悪意を感じさせるような嫌がらせ。
たぶん同じようにオートバイに乗る仲間の、思いがけない心の狭さに僕は失意でめまいがしそうだ。

こんな嫌がらせをしたヤツは、きっと「ざまあみろ」と溜飲をさげたつもりになっているんだろうな。

残念ながら、それは逆だ。
僕は、そんな嫌がらせしかできないヤツに哀れみを感じる。
本当に可哀想な考えの持ち主だと思う。

そいつは、今日、何か面白くないことがあったのかもしれない。
僕のオートバイそのものが、あるいはKに乗っている僕が、妬ましかったのかもしれない。

でもその感情を実際の「嫌がらせ」という行動に簡単に移す軽率さ、嫌がらせをされた人間が自分を哀れむかもしれないという考えまで至らない洞察力のなさ。中学生レベルでも恥ずかしいほどの品性の低さとマナーの悪さ。想像するに哀しくなる。

世の中には自分でコントロールできることとできないことがある。
今日Kに乗って初めて受けた、ささやかな悪意の洗礼。
これは今後もあり得るものだと考え、駐車場所や使用用途に気を配っていこうと思う。

本に巡り合う

2013-07-06 10:52:43 | つれづれ
年間読書100冊計画を実施して3年目、そろそろこんな長続きしそうもない計画は取りやめにしようかとも思う。
何故なら「義務感で読む本はつまらない」から。

第2期目の終わりをあと1ヶ月残した頃、つまりは今年の3月末、このまま読みたい本を図書館の予約だけで待っていては絶対目標には達しないと思い、新刊と古本屋で10冊近くの本を買い、やっと目標を達成した。
実際のところ、1年目は115冊、2年目は103冊とそうギリギリではないのだが、それでも自分で自分を追い込んで読書の楽しみを減じてしまうのは本末転倒ではないかと思うのだ。

反面、新しい本との巡りあいという意味では、目標達成というノルマを意識する上で、今までは読んでみようと思わなかった本に手が伸びるという効果は確かにある。
昨年度でいうと坂木司という作家との巡りあいは本当に幸運だったと思える。図書館で借りたものも多いが数刊は購入もした。読書目標を立てていなければ巡りあうこともなかっただろう。

さて、本との巡りあいということを考えると、たまに不思議な出来事がおきることもある。

某スーパーに買い物に行ったとき、なぜか「この近くにある図書館の分館に寄れば、面白い本に巡りあえる」という予感がした。
その予感に素直に従い、何気なく手に取ったのが海堂尊の『チーム・バチスタの栄光』、確かに面白かった。苦労せずにページをめくれる読書の快感を久しぶりに味わった。

その一週間後の今日。同じ分館でその続編ともいえる『ナイチンゲールの沈黙』、『ジェネラル・ルージュの凱旋』、『イノセント・ゲリラの祝祭』、『アリアドネの弾丸』の4冊を一気に借りた。
ページを繰る楽しみを想像して、僕は今からワクワクしている。


さてと、スーパーに寄って、読書のお供の酒とつまみを買って、家に帰ろうかな。