A Rider's Viewpoint

とあるライダーのものの見方

僕がFacebookを使わない理由

2012-06-29 21:43:46 | 所感
僕がFacebookを使わない理由は、煩わしいことをこれ以上増やしたくないからだ。

例えばまず、望みもしない広告。
今だって、「○○のセットがお買い得」というファーストフードチェーンからのメールや、過去の購買履歴を元に送ってくる「お勧め商品」のメール。これらはまだいい。

煩わしいのは、ひどいときには1日に3通来る安売りクーポンのメールや、僕の名前も知らないくせに「2億円を差し上げます」というメール、「私と夜のおつきあいをしてくれたら一晩で30万円差し上げます」というメールや「バイアグラや偽ブランド商品を斡旋販売するメール」に対応するのが面倒でしょうがないのだ。(たとえゴミ箱にたたき込むだけにしても)

これらに加えて自分の発言やら嗜好やらを分析判断されて、勝手な押しつけメールが来るのは嫌でしょうがない。

次には、望みもしない人間関係。
昔、別な街に住んでいたとき、わざわざ僕を訪ねて中学校時代の級友が訪ねてきたとカミさんに聞いた。
その時はたまたま出張中だったので、本人とあうことはなかったが、要件をカミさんから聞くと、「今度の総選挙で、ぜひ宗教系の○○候補に投票して欲しい」……ということだった。正直言って、幻滅した。

またわざわざ僕の電話番号を探して、自宅に電話をかけてきた小学校時代の級友がいた。
彼の用件にしても、最終的な結論は「○○県人会に入ってくれ」……ということだった。
個人的には会いたいけど、県人会は勘弁して欲しいと断ったら、その後、何の連絡もなかったよ。

そもそも僕は仲の良い友人達とはメールででも電話ででも連絡が取れる程度の交流は続けているから、今更、他人から押しつけられるような人間関係を構築しようとは思わない。
お義理でつきあわなければならないような関係をわざわざ構築して、それに時間が割かれるのは苦痛だ。

もし僕が自分の本名と、連絡先と、おまけに顔写真まで晒してしまったら、逃れられない煩わしさを呼び込んでしまうことに疑いの余地はないだろう。

また、僕は、プライベートと仕事は、きちんと切り分けた生活をしたいと思っているから、全てが実名で、フラットにつながる関係に違和感がある。

「会社での顔」、「ライダーとしての顔」、「家庭での顔」、「大学の友人達との顔」、「故郷の友人達との顔」、「ツイッターやブログでの顔」。
少なくともこの6つは僕にとって別のものだ。それぞれ別の重要度と距離感がある。一緒にはできないし、したくもない。

仕事をして、休日は家のこともして、晴れたらツーリングに出かけ、雨だったら本を読み、家族と連れだってうまいものを食いに行き、時には友人と痛飲して二日酔いを後悔する……こんな日常で僕は十分幸せだ。

さようなら、Facebook。
僕は君にメリットすら感じない。君のルールが今のままなら、それは僕とは相容れない。
お互いに住む世界が違ったのさ。僕は君とは袂を分かつけど、君は君で頑張ってくれ。

書くとき読むとき

2012-06-24 23:48:45 | つれづれ
文章を、言葉を、生活の中の楽しみとするものは、その興味が外側に向く時期と内側に向く時期があるように思える。
要は言葉を、文章を綴ることを楽しみとし、自らの思いを表現したくなる時期と、いろいろな人が操る言葉を堪能したくなる~読書に没頭したくなる時期があるように思える。

端的に言うと僕は今読書の時期である。

ブログはともかく、Twitterですらあまり言葉を書き込まない。その反面、この土日で三冊の小説と一つの短編をWebで読んだ。
だからどうだというつもりはない。今僕がそんな時期なのだと、ただ言うだけだ。

梅雨の合間の薄曇りの休日。本を片手に活字が織りなす物語の世界に浸る。そんな時間も、大切な僕だけの時間なんだな。

友に会いに行く

2012-06-17 20:03:29 | つれづれ
友人宅に泊まりがけで遊びに行ってきた。
友人夫妻は二人とも大学の同級生で同じ課程を専攻していた。
雨が降らなければCBで出かける予定だったのだが、そこは梅雨時の週末。予報通り雨が降り、車で出かけたのであった。
前週からおみやげを、ワインを、ワインのつまみを買いこんで準備して、土曜の昼前、意気揚々と車で向かったのであった。

友人宅は車で一時間半弱のところにある。渋滞さえしなければさほど遠い距離ではない。(……ということに今回改めて気付いた)
荷物を積み込み、RX-8のナビをセットして、一般道から高速に上がる。途中叩きつけるような雨が降ったところもあったが、渋滞はせず、出発から一時間二十分が経過した頃、無事、友人宅につく。
車を停め、早速友人おすすめの蕎麦屋に車で向かう。蕎麦に煮上げたニラをまぶすように絡めたニラソバが旨い。おすすめのモツ煮込みも永井食堂のそれに似てこちらも旨い。
満足しての帰り道、「昔より食が細くなったよね」という話で共感する。「なに、量を求めなくなっただけ、質に向かうことができるじゃないか」と確認。鯨飲馬食をするような歳でもないしね、もう僕ら、決して若くないし。それ相当の大人になったかな。

今回の目的の一つは、友人が家族と買ったiPhoneの設定だ。面白そうなアプリをダウンロードして操作をレクチャーしようと思ったが、どうやらまだ家庭内LANの設定をしていなかったらしい。無線LANの設定がしてあるPCを借りて、iPhoneの設定をしようと思ったが、かの家に設置してあるケーブルテレビのモデムがマニュアルより古い機種だったので設定の仕方が解らない。ケーブルテレビの会社に電話したら、すぐ訪問設定していただけることになり、三十分ほど待って無事設定が完了する。設定の途中、現設置のモデムに電源の接触不良が見つかり、同等品と交換して頂くというおまけも付いて、無事、設定が完了した。

それから彼とカミさんと娘さんの都合三台、僕の持ち込んだiPhoneとiPadの設定もすませ、iPhone談義をしながら、カミさんの料理とビール、持ち込んだワインで酒宴が始まる。
アプリをダウンロードしあれこれ試しながら話したり、iPadで動画を見ながら批評したり、まるで大学時代に戻ったかのような酒宴は午前一時過ぎまで続き、友人と同じ寝室に通された僕は、彼が風呂に入っている間に瞬間的に眠りに落ちたようだった。
修学旅行の夜のような「青少年ぶっちゃけトーク」が出来なかったのが返す返すも残念である。(*^▽^*)

翌日は、一度、出勤時と同じ時間に目が醒めた後、朝九時に起床。シャワーを浴びて、和風旅館並みの豪華な朝食を頂き、コーヒーを頂きながらまた話し込み、午前十一時頃、僕がやっと重い腰を上げた。

帰り際、彼のカミさんから片手いっぱいのおみやげを頂く。遠慮もせずに有り難く受け取り、娘が待っている家に帰って、昼食代わりに食べさせていただいたが、「いいのかこんなに」という量だった。(^。^;)

今、娘はバイトに出かけ、母親の病院に付き添っているカミさんが帰ってくるのを待っている。
洗濯も終わり、風呂にも入って、晩飯をどうするか考えながら。

ふと気づいたら友人からメッセージが届いていた。「明日からのパワーを補充しました」だって。
馬鹿野郎、それを言うのは俺の方だよ。先週からこの訪問をどれだけ楽しみにしていたか。

照れくさいからメッセージは返さない。(ブログでさらしたら、公開ラブレターのようでもっと恥ずかしいじゃないかという意見は却下。気付いてくれても、返事を返してこないのが僕らの友情だ)

それはともかく、僕も明日から頑張ろう。そして、次回の再会を楽しみにしよう。

おっと、大切なことを書き忘れた。彼のカミさんのお母さんが作ってくれたタケノコの煮物が超絶品!
あの味の染み方、あのきちんとした歯ごたえを残した絶妙の柔らかさ。あれほど旨いタケノコの煮物は食べたことがない。彼のカミさんが食文化の一環として、あのタケノコの味を受け継いでくれることを、心の底から願っている。だってそうすれば、また食べる機会あるだろうし。(*^o^*)

しかし、一体何を勘違いして自分の車をRX-7と誤記していたものか。(訂正ずみ) ぶつぶつ。