僕がFacebookを使わない理由は、煩わしいことをこれ以上増やしたくないからだ。
例えばまず、望みもしない広告。
今だって、「○○のセットがお買い得」というファーストフードチェーンからのメールや、過去の購買履歴を元に送ってくる「お勧め商品」のメール。これらはまだいい。
煩わしいのは、ひどいときには1日に3通来る安売りクーポンのメールや、僕の名前も知らないくせに「2億円を差し上げます」というメール、「私と夜のおつきあいをしてくれたら一晩で30万円差し上げます」というメールや「バイアグラや偽ブランド商品を斡旋販売するメール」に対応するのが面倒でしょうがないのだ。(たとえゴミ箱にたたき込むだけにしても)
これらに加えて自分の発言やら嗜好やらを分析判断されて、勝手な押しつけメールが来るのは嫌でしょうがない。
次には、望みもしない人間関係。
昔、別な街に住んでいたとき、わざわざ僕を訪ねて中学校時代の級友が訪ねてきたとカミさんに聞いた。
その時はたまたま出張中だったので、本人とあうことはなかったが、要件をカミさんから聞くと、「今度の総選挙で、ぜひ宗教系の○○候補に投票して欲しい」……ということだった。正直言って、幻滅した。
またわざわざ僕の電話番号を探して、自宅に電話をかけてきた小学校時代の級友がいた。
彼の用件にしても、最終的な結論は「○○県人会に入ってくれ」……ということだった。
個人的には会いたいけど、県人会は勘弁して欲しいと断ったら、その後、何の連絡もなかったよ。
そもそも僕は仲の良い友人達とはメールででも電話ででも連絡が取れる程度の交流は続けているから、今更、他人から押しつけられるような人間関係を構築しようとは思わない。
お義理でつきあわなければならないような関係をわざわざ構築して、それに時間が割かれるのは苦痛だ。
もし僕が自分の本名と、連絡先と、おまけに顔写真まで晒してしまったら、逃れられない煩わしさを呼び込んでしまうことに疑いの余地はないだろう。
また、僕は、プライベートと仕事は、きちんと切り分けた生活をしたいと思っているから、全てが実名で、フラットにつながる関係に違和感がある。
「会社での顔」、「ライダーとしての顔」、「家庭での顔」、「大学の友人達との顔」、「故郷の友人達との顔」、「ツイッターやブログでの顔」。
少なくともこの6つは僕にとって別のものだ。それぞれ別の重要度と距離感がある。一緒にはできないし、したくもない。
仕事をして、休日は家のこともして、晴れたらツーリングに出かけ、雨だったら本を読み、家族と連れだってうまいものを食いに行き、時には友人と痛飲して二日酔いを後悔する……こんな日常で僕は十分幸せだ。
さようなら、Facebook。
僕は君にメリットすら感じない。君のルールが今のままなら、それは僕とは相容れない。
お互いに住む世界が違ったのさ。僕は君とは袂を分かつけど、君は君で頑張ってくれ。
例えばまず、望みもしない広告。
今だって、「○○のセットがお買い得」というファーストフードチェーンからのメールや、過去の購買履歴を元に送ってくる「お勧め商品」のメール。これらはまだいい。
煩わしいのは、ひどいときには1日に3通来る安売りクーポンのメールや、僕の名前も知らないくせに「2億円を差し上げます」というメール、「私と夜のおつきあいをしてくれたら一晩で30万円差し上げます」というメールや「バイアグラや偽ブランド商品を斡旋販売するメール」に対応するのが面倒でしょうがないのだ。(たとえゴミ箱にたたき込むだけにしても)
これらに加えて自分の発言やら嗜好やらを分析判断されて、勝手な押しつけメールが来るのは嫌でしょうがない。
次には、望みもしない人間関係。
昔、別な街に住んでいたとき、わざわざ僕を訪ねて中学校時代の級友が訪ねてきたとカミさんに聞いた。
その時はたまたま出張中だったので、本人とあうことはなかったが、要件をカミさんから聞くと、「今度の総選挙で、ぜひ宗教系の○○候補に投票して欲しい」……ということだった。正直言って、幻滅した。
またわざわざ僕の電話番号を探して、自宅に電話をかけてきた小学校時代の級友がいた。
彼の用件にしても、最終的な結論は「○○県人会に入ってくれ」……ということだった。
個人的には会いたいけど、県人会は勘弁して欲しいと断ったら、その後、何の連絡もなかったよ。
そもそも僕は仲の良い友人達とはメールででも電話ででも連絡が取れる程度の交流は続けているから、今更、他人から押しつけられるような人間関係を構築しようとは思わない。
お義理でつきあわなければならないような関係をわざわざ構築して、それに時間が割かれるのは苦痛だ。
もし僕が自分の本名と、連絡先と、おまけに顔写真まで晒してしまったら、逃れられない煩わしさを呼び込んでしまうことに疑いの余地はないだろう。
また、僕は、プライベートと仕事は、きちんと切り分けた生活をしたいと思っているから、全てが実名で、フラットにつながる関係に違和感がある。
「会社での顔」、「ライダーとしての顔」、「家庭での顔」、「大学の友人達との顔」、「故郷の友人達との顔」、「ツイッターやブログでの顔」。
少なくともこの6つは僕にとって別のものだ。それぞれ別の重要度と距離感がある。一緒にはできないし、したくもない。
仕事をして、休日は家のこともして、晴れたらツーリングに出かけ、雨だったら本を読み、家族と連れだってうまいものを食いに行き、時には友人と痛飲して二日酔いを後悔する……こんな日常で僕は十分幸せだ。
さようなら、Facebook。
僕は君にメリットすら感じない。君のルールが今のままなら、それは僕とは相容れない。
お互いに住む世界が違ったのさ。僕は君とは袂を分かつけど、君は君で頑張ってくれ。