朝晩涼しく日中陽が出る。
片付けでいくつか処分しに処分屋さんや清掃工場へ行く。回収屋さんには古くなった鉄製品などいっぱいである。
帰りに種屋さんで苗を買う。今年は低温で諸々育ちが悪いと店の主が言っていた。そうかもしれない。もう毎年の挨拶みたいになってるけど。
宅配便、若い女性が届けに来た。やはりオッサンよりは若い子のほうがいい、とオッサンは思った。
今日も食べすぎ。
朝晩涼しく日中陽が出る。
片付けでいくつか処分しに処分屋さんや清掃工場へ行く。回収屋さんには古くなった鉄製品などいっぱいである。
帰りに種屋さんで苗を買う。今年は低温で諸々育ちが悪いと店の主が言っていた。そうかもしれない。もう毎年の挨拶みたいになってるけど。
宅配便、若い女性が届けに来た。やはりオッサンよりは若い子のほうがいい、とオッサンは思った。
今日も食べすぎ。
陰暦で端午の節句は朝方さわやかな五月晴れとなった。風が心地いい。
その後どんどん気温があがって、動くと汗が出るほどになる。
夕刻からパソコン屋さんが来てくれる。
メール送信できても受信できないのをナントカ、とお願いしたもの。5月20日ころからピタリと受信できなくなった。ワシがなにかとんでもないことをしてしまった気がするのだけれど。どっか変なところクリックするとか。
パソコン屋さんのお兄さん、うーん不思議ですねえ、と言いながらちゃっちゃっとキイボード打つけれど、なかなか原因がわからない。パソコン操作しながら、これは初耳だ、これは初耳だとつぶやきながらいろいろやってくださる。そういうの初耳といわないんとちゃうか、と思いながら横で見ている。
結局2時間近く悪戦苦闘してくれて、無事に開通。でも、なんで5月20日を期に受信できなくなったのかは謎のまあ、ということらしい。
ま、ともかくよかった、ありがとう。
夜も気温落ちずに、やや熱帯夜ぽくなる。
日曜日だから朝からがんばって、と思っていたけれど、生来の怠け癖治らずやっぱりさぼってしまう。
朝からずうっと曇天で、今にも降りだしそう。
昼近くなってようやく草取りに手をつける。ずいぶんと繁らせてしまった。
その後夕刻まで断続的に草とり続ける。まだまだだけど。
畑も気になる。
草、伸びただろうな。
このところメール来ないなあ、とは思っていたのだけれど、どうも来なさ過ぎるなということで他のPCから送信してみたりすると、どうも受信機能がまったく機能していないことが判明。送信はできてるらしいのだけれど、どうなっているのか。受信できないとか、そういう表示関係も一切でなくて、ただ受信不能であるらしい。どうなっているのやら。
で、朝から全く未知の某家を訪問。城下町の、そのお城のそばの、小さな、でもきれいに手入れされているかんじの家であったが、ワシ、インターフォーンての苦手なんだよなあ。門の外から家人に怪しまれずに身分と用件を伝えるというのは難しい。ことに今回のように先方では全く予期していない用件で、全く接触のなかったヤツが来るというのは、立場が逆だったらケンモホロロに追い返すところである。
ともかく、やや心配しながらインターフォン越しに用件を述べたのだけれど、案外あっさりと玄関に入れて、案外あっさりと話ができた。
出てきたのは、30代くらいのちょっと不思議な感じのする女性で、どうやら一人暮らしの様子だけれど、育ちがよさそうというか、ひとを疑わないというか、ちょっと、待ってましたよう、みたいな会話の流れになって、はたしてほんとに伝わっているのかあとから少しだけ心配になるのでありましたが。
お城のそばで、武家の末裔かもしれない。少なくともわしの暮らす町のことは全く何一つ知らないらしい。いちおう隣町なんだけどね。
ついでに図書館に寄る。
奈良のガイドブックを借りてくるように頼まれてたんだけど、不思議なことに一棚ガイドブックの中に奈良関係が殆ど見つからない。奈良ってけっこうな観光地やんなあ。それともみんなで借り出し中なのかしらん。
奈良は見つからなかったけれど、『決定版 神保町』というムックがあったので借りてくる。
他には、以下を借りる。
野見山暁冶『いつも今日 私の履歴書』(2005 日本経済新聞社)
窪島誠一郎『鼎、カイ(木に鬼)多への旅』(2007 信濃毎日新聞)
内田樹 石川康宏『若者よマルクスを読もう』(2010 かもがわ出版)
あとで考えたら、最後のやつは前にも借りたことがあったな。
それで、野見山本、夜にかけて一気に読んでしまう。
この人のは『四百字のデッサン』に感銘受けたけど、昨年読んだ『パリ・キュリー病院』は、私小説というか、ドキュメントというのか、ともかく異郷で死にゆく妻を描いてそれは確かに真率なのだろうが、読んでいる方としては息苦しくなるというか、読み通すのが困難というか、ともかく、その救いの無さに困惑したのだったけれど、今回はほんとに面白かった。
なぜ面白いのか。文体的にはそれほど好きだというわけではないのに、結局最大の理由は登場する人物たちの面白さ、もしくはその描き方の秀逸さ、これに尽きるのだろう。人生でもっとも重要なのは社交、ということを今になって気づかされる読書であった。(もう手遅れだけどね)
そういうわけで、梅雨のはずがよく晴れて暑い。
メール、どうなってるんだろう。
雨が降り続いて、寒い。
なかなか能率の上がらない仕事を細々と。なんか疲れる。
午後市内をあっちこっち。雨が上がるような上がらないような、傘を閉じたり開いたりしながら歩き回る。いろいろと思いがけない用事ができてくる。街角で人に会って立ち話したりする。
ついでに本屋に入る。別に買いたい本もない。欲しい本はあってもたいがい高いし。平台に、中島岳志『朝日平吾の鬱屈』(2009 筑摩書房) が数冊置かれてるのを見つける。ナンデ今頃?一昨年出たときに買おうかどうしようか迷って買わなかったものが、なんで2年後に新刊みたいな顔して並んでるんだろう。田舎の本屋だからかなあ。
で、結局、まあ予想通りみたいに買ってしまう。なんで買うかなあ、と思いながら買ってしまう。
夕方には雨やむ。
雨やむと、鳥たちが騒がしい。
明日は、暑いらしい。
入梅ってほんとに雨が降るんだ。曇天、いつでも降りまっせ、みたいな天気。で、時々ほんとに降って、夜には大雨。
所要で某家を訪ねる。まったく初めての訪問。老女一人暮らしであるらしく、初めて会うその方と話をする。話進むうち、その家が中学時代の同級生のT君の実家であることを知る。つまりT君の母上と話をしていたわけで、彼の消息を尋ねて、4年前に亡くなった旨聞かされる。まったく知らなかった。甚だ衝撃を受ける。
それほど深い付き合いではなかったが、自宅の方向が同じだったので時々一緒に帰ったことを思い出す。恐ろしく運動神経のいい少年で、殊に器械体操系というか体が信じられないくらい柔軟であった。つまりはワシとは全く対称的で、ワシなぞやろうとも思わない前転(手を使わないやつ)やバク転を平気でひょいひょいこなし、しかも他の人がやるよりも人一人分くらい高いトンボを連続で易々と切るのであった。ついた綽名が「忍者」。このニックネームほどピッタリとその人物を表したものをワシは知らない。
ある下校時、途中の湖にかかる橋の欄干にT君がヒョイと飛び乗って、そのまま対岸まで渡りきってしまったことがある。悠揚迫らざる、というか普通の道となんら変わらないように、時々片足で立ってみせたり、欄干の上で立ち止まって話しかけてきたり、一歩誤れば湖面に落下するわけだから、高所嫌いかつ運動音痴のワシとしては彼を見上げるだけでマサに生きた心地がしなかった。
中学卒業以後は全く付き合いもなかったから、その後の彼がどのような人生行路を辿ったのかも知らないが、まだ若い壮年の死は、さぞ無念であったことだろう。遅まきながら冥福を祈る。
というわけで、寒い雨音。
雨の後晴れた、のだっけ。ともかく、一日中力仕事していたら汗が滝のごとく噴出して、われながら気持ち悪い。気温的にはそんなに高くないのに少し動いただけで熱気がやたらこもる、そんな季節がまたやってきてしまった。
新聞に清水昶の訃報が出ていて、驚く。掲示板に移転の書き込みがあったばかりなのに、ほんとに急逝だな。
そのかみの現代詩の青春、混沌の60年代から70年代へと詩の前衛を駆ける白面の貴公子、といった印象、というかそのような存在だったけれど。もっともワシ的にはお兄さんの清水哲男の模倣ちゃうか、みたいなところがあったけれど。ともかく、かつての颯爽と、近年のモーロクぶり、というか、たまに発表される詩や俳句のヘタクソさにしばしばオドロク、ということではありました。ってお前ナニサマ、でスンマセン。
ともかく、胸張って明るく後退して行く兄を見ながら、内面にこもって身動きならなくなった詩人の突然の訃、そういった印象でありました。(生意気スンマセン)
でも驚いたな。
・・・・・
かたくなに閉じたきみは
ただ艶やかに匂い
しめやかな五月の夜に
嵐のような吐き気がきみを吹きぬけ
数千の籾殻と一緒に
光る果実を吹きとばしたことなど
わたしは知らぬ
・・・・・
(清水昶 「暗い五月」抄)