路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

郭公が里にひと鳴き梅雨晴れ間

2011年06月04日 | Weblog

 このところメール来ないなあ、とは思っていたのだけれど、どうも来なさ過ぎるなということで他のPCから送信してみたりすると、どうも受信機能がまったく機能していないことが判明。送信はできてるらしいのだけれど、どうなっているのか。受信できないとか、そういう表示関係も一切でなくて、ただ受信不能であるらしい。どうなっているのやら。

 で、朝から全く未知の某家を訪問。城下町の、そのお城のそばの、小さな、でもきれいに手入れされているかんじの家であったが、ワシ、インターフォーンての苦手なんだよなあ。門の外から家人に怪しまれずに身分と用件を伝えるというのは難しい。ことに今回のように先方では全く予期していない用件で、全く接触のなかったヤツが来るというのは、立場が逆だったらケンモホロロに追い返すところである。
 ともかく、やや心配しながらインターフォン越しに用件を述べたのだけれど、案外あっさりと玄関に入れて、案外あっさりと話ができた。
 出てきたのは、30代くらいのちょっと不思議な感じのする女性で、どうやら一人暮らしの様子だけれど、育ちがよさそうというか、ひとを疑わないというか、ちょっと、待ってましたよう、みたいな会話の流れになって、はたしてほんとに伝わっているのかあとから少しだけ心配になるのでありましたが。
 お城のそばで、武家の末裔かもしれない。少なくともわしの暮らす町のことは全く何一つ知らないらしい。いちおう隣町なんだけどね。

 ついでに図書館に寄る。
 奈良のガイドブックを借りてくるように頼まれてたんだけど、不思議なことに一棚ガイドブックの中に奈良関係が殆ど見つからない。奈良ってけっこうな観光地やんなあ。それともみんなで借り出し中なのかしらん。
 奈良は見つからなかったけれど、『決定版 神保町』というムックがあったので借りてくる。
 他には、以下を借りる。
 野見山暁冶『いつも今日 私の履歴書』(2005 日本経済新聞社)
 窪島誠一郎『鼎、カイ(木に鬼)多への旅』(2007 信濃毎日新聞)
 内田樹 石川康宏『若者よマルクスを読もう』(2010 かもがわ出版)
 あとで考えたら、最後のやつは前にも借りたことがあったな。

 それで、野見山本、夜にかけて一気に読んでしまう。
 この人のは『四百字のデッサン』に感銘受けたけど、昨年読んだ『パリ・キュリー病院』は、私小説というか、ドキュメントというのか、ともかく異郷で死にゆく妻を描いてそれは確かに真率なのだろうが、読んでいる方としては息苦しくなるというか、読み通すのが困難というか、ともかく、その救いの無さに困惑したのだったけれど、今回はほんとに面白かった。
 なぜ面白いのか。文体的にはそれほど好きだというわけではないのに、結局最大の理由は登場する人物たちの面白さ、もしくはその描き方の秀逸さ、これに尽きるのだろう。人生でもっとも重要なのは社交、ということを今になって気づかされる読書であった。(もう手遅れだけどね)

 そういうわけで、梅雨のはずがよく晴れて暑い。

 メール、どうなってるんだろう。