[1] 今回も、参考にしました。聖書プロジェクト「第一テサロニケ概観」。大竹護牧師「一書説教 テサロニケ人への手紙第一~キリスト・イエスにあって」四日市キリスト教会
[2] Ⅰテサロニケ5:16~18「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
[3] 「望み」は、本書で6回繰り返されています。1:3「私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。」10「御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」2:19「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。」4:13「眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。」5:8「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。」18「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
[4] アウトライン:
1:1-5 挨拶の祈り
1:6-3:13 振り返りと誠実さの確認
1:6-10 テサロニケ教会信徒の回心 偶像から生けるまことの神に
2:1-12 パウロのテサロニケ宣教 母のように父のように
2:13-16 キリストとキリスト者の苦難
3:17-3:10 パウロの心配と安堵
3:11-13 忍耐の祈り
4:1-5章 成長への励まし
4:1-12 聖く生きること 性的不品行を避ける。勤勉に働く。
4:13-18 死別の疑問とイエスの再臨の希望
5:1-11 主の日の訪れを待つ生活
5:12-22 具体的な生き方の姿勢
5:23-28 祝祷・結語
[5] 詳しくは、使徒の働き17章を参照。
[6] 4:3「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。あなたがたが淫らな行いを避け、4一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、5神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、6また、そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないことです。私たちが前もってあなたがたに話し、厳しく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて罰を与える方だからです。7神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。」
[7] 4:9「兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちで、10マケドニア全土のすべての兄弟たちに対して、それを実行しているからです。兄弟たち、あなたがたに勧めます。ますます豊かにそれを行いなさい。」 この言葉が示しているように、この「兄弟愛」は実際の慈善活動、募金のことだと考えられます。
[8] 4:11「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。12外の人々に対して品位をもって歩み、だれの世話にもならずに生活するためです。」 この繋がり方も、9節の「兄弟愛」が、働くことによって助け合うことを指していると推察できます。
[9] 「喜び」は本書に11回。1:6「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」、2:4「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。」、8「あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。」、15「ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。」、19「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。20あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです。」、3:9「あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。」、4:1「最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。」、5:16「いつも喜んでいなさい。」
[10] 「祈り」は本書に4回。1:2「私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。」、3:10「私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。」、5:17「絶えず祈りなさい。」、25「兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。」また、3:11~13と5:23~25、28は、祈りの言葉そのものです。3:11-13「どうか、私たちの父である神ご自身と、私たちの主イエスが、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。12私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いに対する愛を、またすべての人に対する愛を、主が豊かにし、あふれさせてくださいますように。13そして、あなたがたの心を強めて、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒たちとともに来られるときに、私たちの父である神の御前で、聖であり、責められるところのない者としてくださいますように。」5:23-24「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められることのないものとして保たれていますように。あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。」
[11] 「感謝」は本書に4回。1:2「私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。」、2:13「こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。」、3:9「あなたがたのことで、どれほどの感謝を神におささげできるでしょうか。神の御前であなたがたのことを喜んでいる、そのすべての喜びのゆえに。」、5:18「すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
[12] 新約聖書にはパウロの手紙が13通あります。長いローマ書やコリント書の後に来るテサロニケ書は短めの5章の目立たない手紙ですが、書かれた順番では恐らく一番初めです。ただし、ガラテヤ書が「南ガラテヤ説」という執筆事情の仮説を採れば、テサロニケ書よりも先ということになりますが、現代では「北ガラテヤ説」に軍配が上がっています(ただし、どちらかを決定づけることは出来ないというスタンスは、いずれの説を問わず共有されているコンセンサスです)ので、テサロニケ書が恐らく最初の書簡です。
[13] 旧約聖書には一書が丸々手紙のものはありませんが、新約で手紙形式が採用されて、聖書の後半を占めています。パウロ書簡以外では、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙、ペテロの手紙(第一と第二)、ヨハネの手紙(第一、第二、第三)、ユダの手紙。そして、ヨハネの黙示録も手紙形式です。手紙というジャンルについては、関野祐二「文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 書簡の解釈」第4回(上)、第5回(中)、第6回 (下)が参考になります。
[14] これは聖書を紹介する言い方の一つで、この言い方への反論もあります。ラブレターとはとても思えない内容もありますから。むしろ、聖書は神が私たちに与えられた「物語」、「大河ドラマ」と重厚なイメージがそぐうかとも思います。
[15] そもそも、パウロの第二回伝道旅行は、バルナバと決裂して、体調を崩してか道を閉ざされ、初のマケドニア(ヨーロッパ)上陸。ピリピでむち打たれ、テサロニケでも3週間で追い出され、ベレアまでテサロニケのユダヤ人が追いかけて、アテネに避難した。そこでもほぼ見向きされず、コリントにやってきた。コリントでの宣教の難しさも、使徒の働き18章、コリント書第一第二から見て取れます。そこで、テサロニケの信徒を案じていて、テモテがテサロニケの報告を持って帰ってきた、という状況で書かれた。
[16] 励ましは、5回。2:12「ご自分の御国と栄光にあずかるようにと召してくださる神にふさわしく歩むよう、勧め、励まし、厳かに命じました。」3:2「私たちの兄弟であり、キリストの福音を伝える神の同労者であるテモテを遣わしたのです。あなたがたを信仰において強め励まし、」4:18「ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。」5:11「ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。」、14「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。」
[17] 主にあって励ましをもらい、励ます、一方的でない交わり。お互いの戦い、悲しみ、困難を覚えつつ、「本当は直接会えたら一番だ」という思いが、今の精一杯として、この手紙を書かせたのです。よちよち歩きの教会に、彼らを想って一喜一憂するパウロが書いたテサロニケ書。その手紙を通して、その後の教会も今に至るまで支えられてきました。今ここに生きる私たちのすべてをご存じの神が、あの時代あの現場を生きた教会への手紙を通して、私たちを励まし、支えてくださいます。主は、この手紙を通して、私たちをも励まし、慰めてくださるお方です。私たちに、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことにおいて感謝するよう励まし、成長させてくださるのです。