1976年の2月、3月の2か月間、西南ドイツの大学都市フライブルクのゲーテ・インスティテュートでドイツ語の研修を受けた。それは4月からのドイツのライン河畔の都市マインツでの研究前の予備訓練という意味もあった。
それで2か月のフライブルク滞在の機会があったわけである。
このコースでのこと。先生がわからない言葉の意味を辞書で調べている人に、わからない言葉は私に聞けと言ったことだった。私の前には日本人学生の坂口さんがいたが、彼はときどき困って辞書をひそかに引いていた。
そのころから私はその教室で辞書を引いたことはほとんどない。それはいまも週1回のドイツのクラスでもそうである。だいたいドイツ語の辞書は重たいもので、持ち運びには適さない。最近では電子辞書やはたまたスマホでちょっと調べれば、すぐに答えは出てくるので、重い辞書は持ち運びはいらなくなった。
しかし、私にはスマホは使えない。ガラケーはもっているが、ほとんど電話専用である。
そのゲーテで経験したことのひとつ。
ある時、少し遅れてクラスに参加するようになった、ベルギー出身の女子学生が授業中にProfessor「先生」に呼びかけた。フランス語を普通に話す人はprofesseurは別に改まった敬称ではなく、単に先生というくらいの呼びかけである。
だが、そのときWagensonner先生は、
Ich bin nicht so titelsuchtig. (あまり、称号にはこだわらないよ)
といって
Ich heisse Wagensonner.
といいながら、黒板に
Wagensonner
と大書した。
ちなみに、この先生は何年か南米のアルゼンチンのゲーテ・インスティテュートに派遣されたことのある、経験豊富な先生だった。それだからか教え方も上手だった。
もっともフランス語のことをちょっとは知っていた私にはちょっとした言葉の誤解があるかなとそのときに思った。