今朝、朝食後に妻に数学・物理通信の3巻6号を17日に発行したら、武藤徹先生から「なかなか精力的ですね」との返事をもらって、うれしかった話をした。そのときに数学・物理通信の発行はあなたの「生きているしるしだもんね」と言われた。
それでドイツ語には「生きているしるし」という言い方に対する「Lebenszeichen(レーベンス・ツアィヘン)といういい言葉があるよ」といったら、自分の経験を話してくれた。
彼女のお母さんがもう10年ほど前に突然亡くなったのだが、その後で実家にあった植木鉢の木や花が枯れだした。これはもちろん植木鉢に毎日水をやる人がいなくなったためである。それで妻はあわててそれらの植木鉢にあった、木や花を実家の庭に移植したという。
まだ、そのときに父は生きていたのだが、母とは違ってもう植木鉢に水をやったりはしていなかったから、そのままにされれば、当然植木鉢の花も木も枯れるだろう。ああ、植木鉢の花や木が生き生きとしているのは、逆に人間が「生きているしるし」なのだと思ったという。
Lebenszeichenという語を知ったのは朝永さんが1947年か48年に彼のくりこみの論文をHeisenbergに送ったら、あなたの「生きているしるし」Lebenszeichenを見たと返事をくれたどこかでと語っていたからである。
そのときに手紙の原文がIch habe dein Lebenszeichen in dem Aufsatz gesehenとなっていたのか、deinではなくてIhr Lebenszeichenとなっていたのかは興味あるところだが、多分私の推量ではdeinとなっていたのだろう(注)。
フランス語でもドイツ語でも親称のtuとかduとかは身近な家族、仲間とか恋人につかう語であり、どれだけ身近にその人を感じているかを示す。
敬称のvousとかSieは敬称という語が誤解を生むのではないかと思われるが、心理的に距離の遠さを示す語である。
朝永さんは2年ほどライプチッヒのHeisenbergのところで研究をしていたから、研究仲間として認知されていたろうと思う。だから当然duzenされる間柄であったとは思うが、その辺が私の想像でしかない。
(注) Zeichenは多分中性名詞だとは思ったが、確信がもてなかったので、辞書を調べたらやはり中性名詞であった。ちなみに英語なら「生きているしるし」とはどう表現するのだろうか。the proof of lifeとでもなるのであろうか。
コメント有難うございます。
私たちはnative speakerではないので、いろいろな言葉がまず思い浮かぶことが肝心なことではないかと思います。
表現が適切かどうかはその先のことですね。その候補として頂きました。