物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「博士の愛した数式」通読

2015-09-30 15:47:08 | 日記
小川洋子さんの「博士の愛した数式」を始めて通して読んだ。もちろん小説としての面白味もあるのだが、そこでとりあげられた数学としてどんなことがあるのかが私の関心事である。

そういう読み方をする人はあまりいないのだろうと思われるが、読んでいて小川さんの対数の理解がまったく正しいのに感心した。これはひょっとしたら、高校生に数学を教えている先生でも知らない方もあるかもしれないのに。

小川さんは常用対数からはじめて自然対数に入っているから、それだとどうしても対数の定義が必要だ。小川さんはいう。

「対数とは何か、からはじめなければならない。対数とは、定数を何乗すれば、任意の数になるかという、指数の値である。」

定数 a^{x}=bとなる、x のことを対数という。もっともここで与えられている数は a, b である。普通に指数というときには a, x が与えられており、そのときに b がいくらかを求める。

一方、対数という用語を使うときには a, b は与えられているが、 x は未知である。このときx=log_{a}bが成り立つ。この x を対数というのだが、 a^{x}=b の表示では x は指数である。だからこの表し方を私は指数表示と呼び、x=log_{a}bと表したときには対数表示と呼ぶことにしている。

指数表示とか対数表示とかいう用語は普通には使われないが、こういう用語を使って区別するのが適切なのではないかと思っている。

さらに

「ちなみに、定数の方は``底”と呼ばれる。たとえば、底が10ならば、100の対数(log_{10}100)は100=10^{2}
だから2となる。」

「普段使っている十進数では、10を底とする対数を用いるのが便利で、これは常用対数と名付けれているが、数学の理論においては、eを底とする対数もまた、計り知れない役目を負っているらしい。こちらは自然対数と呼ばれている。eを何乗すれば、与えられた数が得られるか、というその指数を考えるのである。つまりeは``自然対数の底”ということになる。」

とある。そうか。自然対数の底を使って数 e を導入しているのだ。それなら対数の定義がいる。数 e の導入のしかたはいろいろあるが、この説明が一番初等的であろう。つまり、予備知識をあまり必要としない。

これはこの書の最高点のところであり、e{\pi i}+1=0 を説明するところである。残念ながら、e{\pi i}+1=0 の説明はオイラーの公式と関係があるとしか語られていないが、これが小説であり、数学の書物ではないのでしかたがないであろう。

岩波『図書』800号記念

2015-09-30 13:54:08 | 日記
2015年10月号で岩波のPR誌『図書』が800号となった。私は少なくとも1960年くらいからこの雑誌の購読者であるから、私がもし1960年に購読者になっていたとすれば、すでに55年間の購読者である。

他にこんなに長く講読した雑誌はない。はじめはどこかの書店で手に入れていたかと思うが、その後、数年纏めて振替で雑誌代を払っての購読に切り替えたと思う。

バックナンバーも持っていたが、初期のものは実家に持って帰って物置に保管してもらっていた。母が存命中は自分の三男の大事なものというふうに思ってもらっていたが、母も父も亡くなり、後を継いだ次兄にとってはくず以外の何物でもなかったので、もう残ってはいないと思う。現在の自分の家の書庫にあるものと押入れの天袋にいくらか残っているくらいである。それらもしかし、30年分くらいはあろうか。

ほとんど欠号はないはずだが、もうほとんどとりだすことなどできないようになっている。一年だけドイツに留学をしたので、その年の分の一号がどこか欠けてしまったという記憶だけがある。この分は1976年4月から1977年3月のなかの一号がどこか欠けている。

図書館に行っても普通の図書館では場所をとるだけなので保存しているところは少ないのではなかろうか。E大学の図書館にバックナンバーがあるかどうか尋ねたことはないが、多分ないであろう。

800号記念ということで文芸評論家の斎藤美奈子さんと作家の池澤夏樹さんが対談をされていた。それを読んでいたら、この二人はブログを書かないとのことで、斎藤さんにいたっては原稿料をもらわないで、タダで文章を書くなんて想像ができないとかあって、ブログを書く私にはちょっとおかしかった。

いや、文芸評論家は原稿料で生計をたてておられるのだろうから、当然でもある。もっとも作家の村上春樹さんくらいのベストセラー作家は別として作家といっても小説だけで食べていくのは難しいとか聞いたことがある。

じゃあ、何で生計が立てられているのかというと講演によばれてそれの謝礼によって生計が立っているのだとか。これは映画化された小説もある方の話であるから信憑性がある。

いま、斎藤さんは『図書』で文庫の解説のいろいろを評論されているので、このブログでも一度とならず、話題にしたことがある。

ブログはつまらない文章が書かれていて消耗品的ではあるが、ちょっとは芸になったらいいと考えて今日もブログを書いている。ブログも馬鹿にはできないですよ。斎藤さん。

ホームページ

2015-09-30 10:46:22 | 日記
インターネットにホームページをつくりたいと思いながら、まだ果たしていいない。しかし、この欲求は強いのだが。

これは私が勉強してきた数学(とはいっても私の場合には高校程度でのエッセイが多くてレベルは低いが)のエッセイをインターネットに出しておきたいという気があるからである。

ところが、昨日自分のファイルに持っているエッセイを調べてみたのだが、どうもあまり整備がされていない。もっと整備をして図がきちんと入ったPDFのファイルをつくる必要があるのだが、その図が欠けたのがかなりある。

一端、自分のファイルの中できちんと整理がされないともちろんインターネットに出すことなどできない。

なかなか難しいものである。

ビジターと投稿

2015-09-30 10:39:36 | 日記
ビジターと投稿とはここで意味することはつぎのようなことである。

たとえばであるが、昨日は3つの記事をブログに書いた。だから、このブログに訪問者が多いかと思って今朝来てみたら、ビジターは98人しかいなくて、100人をきっている。

普通に考えたら、私の投稿がないときにはビジターは少ない。すなわち、日曜日には私が仕事場に来ないから、投稿はしない。それでビジターは少ない。これが当然と思っていた。

逆に、3つも投稿したら、ビジターも多いのではないかと単純に思っていたのだ。どうもそう単純ではないらしい。