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精神科医や他の治療者、精神療法科、精神福祉職、特に医師が誤解してしまうのは「私には人生の全てを話してくれている。」という錯覚や驕り。
すべて話す人はいるのはいます。少数ではないと思いますが。ですが、そんな脳みそ差し出して「これが私の考えや今までの出来事の全てです」って、当事者側も忘れていることもあるだろうし、全て自分を開け放つ必要は無い。でも、「打ち明けてもらわないと治療が進まない」ということだろう。昨今の精神科医療は所詮、「処方箋書き」が医師の役割で、結局「付け焼き刃療法」でしかない。そんな「処方箋書き業」に自分の過去や考えを全てぶちまける必要は無い。こちらからいうことがあるならば「こんな症状がある」「こんな事があって困っている」ということ。医師はそんな存在に「落ちぶれて」しまっているのに、意識だけは「私に全て打ち明けてくれているだろう」という根拠の無い自信に満ちあふれていて、「今まで言ってなかったのですが、こんな事で困っています」というと、怒ってしまう医師もいる。たかが「処方箋書き業」ごときに怒られるいわれはないわけです。落ちぶれた貴族が気位だけ高いみたいなもんです。
私は心理職には寛容な部分があるのですが、なぜかというと「知らないけれど、教えてくれますか?/知りたいです」という意識があるように思えるからです。というか、そうでなくてはいけないと思います。医師が大上段に構えて、心理職は下段の構えという感じ。(剣道的に言うと-解りにくいね)
嫌みな言い方をすると、「3分診療」の精神科医は多いですが、そういう医師は「分をわきまえている医師」ということになります。「私が処方箋書き」と自認しているようなものだから。
医師はサービス業なんだから、そこらを解って欲しいね。
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