「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

入院日誌 帰省

2012年06月05日 21時53分56秒 | 日々是佛滅
明後日から帰省します。

父が帰って来いというので一次帰省です。

11日に病院に帰ってきます。

すっかり病院を離れると、不安になるようになってしまいました。

ん~、超長期入院?

いえいえ、その前に自分でピリオドは打ちますよ。

では、明日に朝まで・・・。

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入院日誌 いのちについて

2012年06月05日 03時31分50秒 | 日々是佛滅
いのちは、生きとし生けるもの全てに備わっている。

そしてそのやり取りも行われている。

これは、野生、人類問わず行われている。

そして、自殺は人類特有と言っていいほど行われている。

日本では、11年連続3万人を超えている(確か・・・)

わたしはこれを人類が増えすぎたことの微調整だと思っている。

わたしもその微調整の中に入ろうとしている。

微調整故、罪悪ではない。

自殺ほう助という罪はあるが、自殺罪や自殺未遂罪というのは日本ではない。

つまりは推奨はしていないが、黙認している形になるのではないか!?

罪になるとやりにくいが、黙認されているとやり易い。

問題は「いのちは誰のものか」ということであるが、

人間社会に居ると、社会を構成する一部とみなされ、

個人の手からいのちの所有権は離れてしまう。

これは正しいようで、おかしくないですか!?

いのちは個人に備わっているのに、所有権は社会に移っている・・・。

これこそ、すり替えではないか!?

でも、あまり人は気付かない。

そして惜しむようになる。

「生きていれば良いこともあるさ」よく聞く言葉である。

私の身に置き換えれば、生きていれば生きているだけ嫌なことが起きる。

これを生き損と言いたい。

良いこともあるさ・・・誰が知っているのだろう。

それは単なる成功体験から言っているのであって、

わたしの未来を知って言っているのでは決してない。

しかし、わたしは知っている。この先の人生を。

決してよくない未来を・・・。

それはわたし以外誰も知りおおせないことも・・・。

おっとこんな時間。

横臥しましょう。


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