モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

日本的りべらりずむⅧ 久隅守景「納涼図屏風」の‶りべらる″感①

2022年03月07日 | 日本的りべらりずむ


雪舟が日本の風景をモチーフにしていわゆる“和様水墨画”の世界を打ち立てると、これに続けとばかりに日本の水墨画が続々と創作されていきます。

雪村、雲谷等顔、海北友松、狩野永徳、俵屋宗達、長谷川等伯、狩野山楽など輩出しますが、
ここでは桃山期を脱けて、一七世紀中ごろから18世紀初頭まで半世紀以上に及ぶ活動を継続した久隅守景(くすみもりかげ)を取り上げます。


守景には「納涼図屏風」という決定的な代表作があります。
100人中100人がこの作を守景の代表作とすることは間違いないと思われるほどです。
画業は半世紀以上に及んでいますからたくさんの絵を残しているとのことですが、「夕涼み図」は極め付きの一作とされます。
守景は優れた絵師であることは間違いありません。
しかし代表作となるとこの一作に極まってしまうところに、日本水墨画の歴史の中でも特異な存在感を放つ絵師であるということが言えると思います。


その事蹟については史料がほとんど残されていないということで、経歴はほとんど不詳です。
画業の大半は狩野派の絵師としての経歴を残しています。しかし後半生は狩野派から離脱しています。
その理由は不明で、研究者の間でも定説はないようです。
作品のカテゴリーとしては、山水画、農耕図障壁画を軸として、花鳥画や人物画も描いています。
農耕図障壁画は農民の年間の作業を四季の移り変わりに沿って描いたもので、中国由来の伝統的な水墨画のモチーフとされています。
守景の作品は山水の中に農作業のシーンを配置して自然と人間の営みを融合させた描き方をしていて、
農民の営みを観察する守景のまなざしには共感的な温かさが感じられます。


「納涼図」は狩野派の雰囲気が感じられませんので、後半生、おそらく晩年の作かと推測されます。
この絵は一見、庶民階層の核家族の姿を描いているように見えます。
たいていの解説文が庶民の家族図だと書いています。
が、よく見てみるといろいろと疑問が生じてくる作品です。
それを3点ほど挙げてみましょう。


第一は、この人達は一体何者か、ということです。
一見農民の家族像と見えますが、ディテールを見るとあまり農民的な雰囲気が感じられないのですね。
女性の体つきなど農婦らしさが感じられません。
周囲の状況描写には農具のような農民であることを明示するような道具立てがありません。
その意味では、家屋以外にほとんど何も描かれていないので、実は職業がはっきりしていないとも言えます。
研究者の中には、身分的には下層の武士と見なす人もいるようです。



第二に、この絵を注文したのは誰かという疑問です。
近代以前の絵画(水墨画)はいわゆる近代的なアート表現の意識で描かれた作例はほとんどなく、大抵は誰かからの注文を受けて制作されます。
誰かというのは、ふつう公家、武家、商家、寺社、といったところが思い浮かびます。
そういった人たちがこの当時、社会的身分が低い人の像を屋内装飾として鑑賞していたとは考えられますか?
描かれているのが農民とすれば、注文者は庄屋ぐらいしか思い当たりません。
寺社関係かとも思いましたが、女性が半裸の状態なので寺社もちょっとないかなと思います。
一七世紀後半の社会状況を考えると、書画骨董に興味を持ち、その他文芸的な教養を身につけた学者なんかが想像されます。
いずれにしても、いわゆる庶民階層の家族(あるいは男女と児童)の肖像を絵画のモチーフとして面白がる空気が、この時代の社会の一隅に生まれ始めているということを思わせる作品です。

第3は、この3人の視線の方向が一致していることですが、彼らは何を眺めているのか、ということです。
画面の左上に満月が浮かんでおり、通常こういう描き方がなされる場合は、彼らは月を眺めていると解釈されます。
たぶんそうなのだろうとは思うのですが、私はちょっと違うことも考えています。

以上の3点について検討してみることを通して、この作品が伝えてくる、江戸期の一人の絵師に宿された“りべらるな感覚”ということを引き出してみたいと思います。
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