モノ・語り

現代のクラフトの作り手と作品を主役とするライフストーリーを綴ります。

Ⅳ‐5後白河法皇(と梁塵秘抄)ーー信仰・遊び(美)・労働を一体化した浄土的世界への夢

2021年09月04日 | 日本的りべらりずむ

後白河法皇が夢に思い描いた浄土王国のイメージを改めて整理して表すならば、
それは、遊び・信仰・文化(現代で言うアート)・労働の4つのカテゴリーで成っていると見ることができるでしょう。
(政治・経済・法律などは地上権力としての武家による統治に付託。)

各々のカテゴリーを象徴的に担っている事象は、遊びは歌謡集『梁塵秘抄』に編纂された今様と庶民の間で流行した遊戯、
信仰は千手観音と熊野権現への度重なる参詣、文化(アート)は蓮華王院で営まれた絵巻物などの創作や、
和歌集・仏典などの典籍の収集、ということになるでしょうが、
労働に関しては、特にこれという具体的な事績が残されているわけではありません。

しかし平安中期あたりから庶民が従事する職業にさまざまなヴァリエーションが発生してきて、
白河上皇(後白河法皇の祖父)から始まる院政期あたりになると、多様な職種が見られるようになってきます。

そして『梁塵秘抄』にもその反映が見られるわけです。

鎌倉期から室町後期にかけてのこの職の発展・展開が、日本中世史の下層社会での庶民の暮らしぶりの内容をなし、
またそこで醸成されたカウンターカルチャーが上層階級へと浸透していくことで、日本中世独自の芸術・文化事象を形成していきます。

そのような展開の端緒を成し、その後の推進のはずみをつけていったのが後白河法皇による、職の領域に向けての政策的な対処です。

後白河法皇の項の最後となる今回は、そのあたりのことに少し触れておくことにします。



平安・鎌倉期に天皇や上皇が発布した法令は新制と呼ばれていますが、後白河法皇が発布した新制の中に、
職の体系・身分体系の整序という項目があって、棚橋光男の『後白河法皇』によると、

「殺生禁断の宗教イデオロギーを振りかざして、山野河海で働く広範な人々の意志の領有とその生業にたいする統制を実現せんとしたのである。そして、これらは、とりもなおさず治天(院=天皇権力)の至上高権の明示(朝儀復興)に寄与し、職の体系・身分体系の整序にも貢献したのである」

とあります。

中世期を通して庶民階層に営まれた職のさまざまな展開は、「職人歌合」という文献史料がその詳細な内情をリアルに伝えています。

五七五七七の短歌形式で職人の仕事や振る舞いや姿形をおもしろおかしく詠った歌を集めた歌集で、職人歌合というひとつのカテゴリーをなす文献です。

その第1号は『東北院職人歌合』という鎌倉初期のもので、後鳥羽上皇や藤原定家が制作にかかわっていそうだとされています。


東北院というお寺では毎年9月13日の夜に念仏会という行事が行われており、『東北院職人歌合』の序文には次のように書かれています。

「東北院の念仏に九重(宮中)の人々男女たかきもいやしくもこぞり侍りしに、みちみちのものども人なみなみにまいりて聴聞し侍りけるに…」

そして歌を詠んだり連歌をなどして時を過ごし、夜も更けてくると歌舞音曲も交えて場は次第に騒がしくなってくる。別の文献にはこうあります。

「糸竹声の調、歌舞面々の態、視聴の感、これもかれも飽くなし。然る間、凶党十余人、俄かに口論或は手刃に及ぶ。恐戦の処、後悔益なし」(『釈氏往来』守覚法親王著)

騒いでいるのは都に住んで仕事をしている職人たちです。

後白河法皇在世時には、このような光景はすでに定着していたと思われます。


次回からのテーマは「鳥獣戯画絵巻と院政期の絵巻物」(仮題)です。




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