おめでとう何て言っては、何だか申し訳ない。
そんな心境になるほどに、今年の新年の世相は喧騒と不安に満ちたものでした。
ウクライナとロシア、イスラエルとアラブの戦争。
その報道を連日目にするだけでも辛いのに、何と元旦の午後に能登半島方面で大きな地震。
更に二日の午後の羽田空港における、信じられないような航空機事故。
その衝撃的な映像がリアルタイムでわが目に飛び込んできて・・・。
もう私は限界。
次女は、その少し前に帰宅し、私一人の時の事でした。
体が今にも震えそうで堪らず、長女にラインを打ちました
「大地震の上に恐ろしい航空機事故。ママ震えている」と。
地震と航空機事故で亡くなられた方々へのお悔やみと共に、
被災した方々にも、心よりお見舞いを申し上げます
寒空で、恐怖と闘いながらの、停電、断水によるご苦労は、私の想像をはるかに超えるものでしょう。
お見舞いのために掛ける言葉もみつからないほどに、私も辛い心境でいます。
でも、私にはどうすることもできません。
自分の置かれた穏やかな今の境遇を、何だか申し訳なく思いつつ・・・。
気持ちを入れ替え、話題を、我が家のお正月に戻します。
例年と全く同様のお節が、今年も娘達のお蔭で、無事に出来上がりました
娘が二人ですべて盛り付けてくれました。
今年のいつもと違う所は、伊達巻が次女の手作りだったこと。
長女が金柑を煮て持ってきてくれたこと。
えびも生きたクルマエビを調理した模様。
二十品以上のお節料理を準備するだけでも大変な事ですのに、さらに新しい物にチャレンジする娘達の元気と意欲、
私は、只々感心するばかりでした。
28日に仕事納め。
お節の準備は、その翌日からスタートしたとのこと。
余程手順が良いのでしょう。
その様に私が言うと、手順と能率は徹底的に考えて準備する、と娘達が言いました。
そして、いつもと全く変わらないお節が完成。
このマンネリが、我が家の幸せの原点の一つ、と言えるのかもしれません。
家族全員、我が家のお節が大好き。
孫達と大人たちでは囲むテーブルが違いましたが、
お箸でそのお節をつまみ、取り皿に載せる時のとても嬉しそうな表情(^^♪
それを見つめながら、それぞれの孫の成長を思い、私の心は新年のおめでたさで一杯になりました。
その上に、更に嬉しい事が。
昨年、社会人になったR君が、年下の三人の子達にお年玉を手渡してくれたのです。
私は感激して、涙ぐんでしまいました。
お正月のめでたさに浸りながら、祝膳の朝食を無事に終え、娘達と一緒に後片付け。
その後、私が日々習慣にしているお昼寝もして階下に降り、お正月用のお菓子で一服。
今度は夕食の準備です。
たまたま長女のMちゃんと、その準備に取り掛かかりはじめた時の事
長女が突然言いました。
「ママ、地震よ」と。
娘に言われないと気付かない程、微小な揺れでしたが、言われれば確かにそう。
頭上のドライフラワーが揺れていました。
ところが、それは冒頭でも触れたように、想像を超えた大きな地震でした。
日本海側の各県を襲った地震の衝撃的な報道をテレビですぐ知ることに。
夕食のお節
私は体調もすこぶる良好でしたので、今年もきっと良い年になると確信したつもりでしたが・・・。
そんなおめでたさは、どこかに吹っ飛んでしまったかのよう。
娘に、お正月早々、こんな目に遭うなんて、被災した人たちが余りに可哀そう。
と言い続け、悲壮な気持ちになりました。
でもその地震が早かれ遅かれ来るのなら、私はお正月の元旦がいい。
家族が全員揃っているので、運命共同体。
一緒に、その不幸に臨み、挑めるからです。
一人暮らしの私だからこその身勝手な思いでしょう。
恥ずかしいです。
不安な世相で始まった今年のお正月ですが、八十歳の壁が目前の私は、気を取り直して頑張るしかありません。
次回の記事ではお正月のエピソードとして、まだ特記すべき二つの話題がありますので、
そのお話をさせていただきます。
今年は、更新の回数をもっと減らし、ブログに気ままに臨むつもりでいます。
不定期更新ながら、本年もこんな拙ブログに、お付き合いいただければ大変嬉しいです。
皆様にとられましても、実り多いい充実した良い年となりますように。
お互いに、頑張りましょう。
売れ切れでない時以外は、ここ数年間、私はこのカレンダーを使用しています。
写真がとても温かくて、心がほのぼのします。
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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございました。