今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

最終章 大怪我のお話し 思いがけない大きなお誕生日プレゼント

2014-04-27 07:57:25 | 暮らし

今日は、大けがのお話しの、最終章を綴ります。

今日も過去の思い出話が突然現れたり、とまとまりのない文章ですが、宜しければお目を通して下さいませ。

 

では最終章です。

 

脳外科病院で待つこと、1時間半くらいでしたでしょうか。

私の名前が呼ばれ、中待合室で、さらに数十分が経過しました

そして、いよいよ診察室へと。

 

実は、待ち時間の間、色々と思いを巡らし、不安が次第に増幅していった私です。

外科で脳の診察を受けるのは、我が家の前の雪道で転倒し怪我をして以来、数十年ぶりのこと。

三回、頭にけがを負った私ですが、割と簡単な外科的治療で事なきを得てきました。

けれど、自分の年齢を思うと、何か嫌な事を言われそうな予感がして、仕方がなかったのです。

 

若い時の怪我は、若気の至りによる知識不足もあったのでしょうか。

頭の怪我の怖さへの認識も薄く、一度は傷口を縫うほどの処置を受けたにもかかわらず、さほどの心配はしませんでした。

いえいえ、一概にそうとは言えないかもしれませんね~

自分の事となると、いい加減だっただけ。

いざ我が子の怪我となると、実に念を入れた対処をしたからです。

 

その当時より、一年経過した頃の次女のMちゃんの写真です。

入院中も、ぬいぐるみを抱いて過ごしていました。

 

次女が、三歳の時のことです。

同じ社宅の奥様と、子供達の遊びを見守りながらおしゃべりに興じていました。

娘は、友達とすべり台を上がったり降りたりして、楽しそうに遊んでいましたが、突然、私の目の前で、真上から、真っ逆さまに転落したのです。

落ちた場所には、石ころがあり、娘の頭上と石に血のりが付いていました。

恐らく、私は顔面蒼白になるほどの、驚愕だったに違いありません。

 

余りに昔のことゆえ、正確にその時のことを記憶しているわけではありませんが・・・・・・・

でも、ことが事だけに、かなり鮮明に覚えています。

普通でしたら、このような場合、救急車を呼ぶか、タクシーで病院にまいりますよね。

ところが、私は余りに動転していて、適切な判断が出来なかったのでしょうか。

我が子を抱きしめて、1キロ以上の道のりをひたすら駆けるように歩を進め、病院に向かったのです。

 

 

 

そしてそのまま入院となり、一週間、私も病室に泊まり込んで付き添うことに。

その間、私も至れり尽くせりでしたが、看護士さん達にもとても可愛がっていただいた我が子。

入院生活とは言え、次女のMちゃんは、終始、ご機嫌で、とても居心地が良さそうでした。

 

頭頂の頭蓋骨が一部陥没している、との診断を下されたにもかかわらず、一週間後には退院。

しかし、私は心配でたまらず、名医と言われるような医師の診断を仰ぎ、OKが出なければ、安心できない、と思いました。

どのようにして、その医師に決めたのか、今では全く思いだせませんが、総武線に乗り、千葉の果ての方にある病院に、数時間かけて出かけたのをよく覚えています。

その結果は、前の医師の誤診で、全くの正常。

異変は見つかりませんでした。

どんなに安心したかわかりません。

 

 

ところが、過去の自分の頭の怪我では、そのような丁寧な検査を受けた覚えが、ほとんどありません。

それが、今回、脳外科専門の病院で診察を受けるにあたって、多少気がかりなことでした。

その痕跡が、この年になり、脳で悪い影響を引き起こしていないかしら、と・・・・・・

考え過ぎと思いつつも、ちょっぴり心配でした。

 

いよいよ診察が始まりました。

診断の結果は、耳たぶが内出血し、その付け根が腫れているとのこと。

脳内出血があるといけませんから、CTを撮りましょう、と言われました。

 

「胸の痛みも気になるようなら、その前に外科の診察も受けて下さい」と。

外科では、胸のレントゲンを撮ることに。

その画像を見つめながら医師が発した言葉は、あまりに意外で、私は仰天。

何と、「五本目の肋骨が骨折しています」との診断でした。

 

私が大けがとの印象を抱くに十分な診断名でしたが、その割にはその後、元気に暮らしています。

痛みを緩和するコルセットを胸に装着して、数日間は暮らしていました。

けれど胸が圧迫され、今にも、去年の夏あたりまで数年間苦しんだ、息苦しさが再発しそうな雰囲気となり、身につけるのを止めました。

痛みを緩和するだけで、治療には関係がないと言うことでしたから。

大怪我のタイトルを記事に付けましたから、この内容では、皆様、拍子抜けなさったのではないかしら。

ごめんなさい。

 

でもどなたでも、肋骨が骨折していると言われたら、驚きませんか?

最近まで胸の痛みは続きましたが、ここ数日で急にそれもやわらぎ、快方に向かっていることが実感できています。

夫の介護にも支障はなく、ある意味不幸中の幸いだったのかもしれません。

足や手の骨折ですと、夫の世話だけでなく、主婦業もままならない不自由な生活を強いられ、大変な苦労をするところでした。

 

 

一方、一番気がかりだった、脳のCT検査の結果報告は、意外にも意外で、実に喜ばしい内容だったのです。

「とてもきれいな脳で、問題は全くありません。小さな白い影がありますが、それは脳の石灰化で、今後悪さをすることはありませ」と。

私が

「認知症の兆候は見られませんか?」

と伺ったところ。

全く大丈夫ですよ、とのこと。

 

その知らせで、肋骨の骨折のショックは、どこかに吹っ飛んでしまうほどの、喜びと安堵でいっぱいになりました。

これで、70代は、体の健康はいざ知らずですが・・・・・・

正常な意識と感情と理性は保てそう。

気力さえ充実させれば、しばらくは精神的には健全な暮らしが出来ると、確信することができました。

 

記念すべき70歳のお誕生日に当たって、これ以上に素晴らしいプレゼントがあるでしょうか。

コルセットで痛みをカバーした胸に、何よりの素敵な贈り物をしっかり抱きしめて、私は病院を後にし、家路につきました。

 

この調子で、70代を生き生きと、元気に暮らしたいものです。

最近新聞で目にした素敵な言葉を最後に書きとめ、一連の怪我の記事は終わりにします。

 

 

米国の詩人ウルマンの「青春」より。

 

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。

年を重ねただけでは人は老いない。

理想を失うとき、はじめて老いる。

 

      

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