秋のお彼岸も、帰広しなかった私ですが・・・。
夫の菩提寺のご住職様には、認めたお手紙と共に、お布施をいつも同封し、お送りしてきました。
お布施は、ご供養していただいた後に手渡すのが、本来のしきたりでしょうが・・・。
コロナ禍にあり、遠方のお寺ゆえ、それが叶えられません。
そのため、失礼ながら、このようにしています。
お手紙を認める時は、とても気持ちが張り、一言一言、いつも以上に丁寧に文章を書くように心がけています。
お相手は、高尚なご住職様ですから。
でも実際にお会いすると、本当にもの柔らかな優しいお人柄で、親しみやすい御住職でいらっしゃいます。
とは言っても、私はやはり緊張してしまうのですよね。
無地の便箋を使用するのが礼儀に叶うのかもしれませんが、
今回、お礼状を書くに当たって、親しみも込め、この便箋を使用しました。
昨年、夫の七回忌で、帰広したときのこと。
娘家族は無論、妹も姪家族も参列してくれました。
法要が終わった後、私は代表でご住職様にお礼の挨拶をし、席を後にしたのですが・・・。
娘二人はその後、長い間、ご住職様と会話を交わしたようです。
そのあと、感激した面持ちで私に、「本当に立派なご住職様」と言って、只々敬服しきっている様子でした。
「そうでしょ。ママが何時も褒めている訳、納得いってくれたでしょ」
と言ったものです。
両親が眠っているこのお墓を、最終的には墓じまいし、両親も私も、
夫の菩提寺の墓地で眠るつもりです。
私の一生に於いて、このようなご住職様に巡り会えた幸運は、計り知れないものがあります。
私は、幼い時から、キリスト教に縁のある暮らしをしてきました。
大学もミッションスクールでした。
娘達の日本人学校もミッションスクールで、この時は週末には熱心に教会に通いました。
ところが帰国後は、教会に通う事もなく、今日に至っています。
そして晩年になった今、夫の菩提寺のご住職様と、お手紙のやり取りで、思いがけず、親しい交流ができるようになってきました。
私は宇宙の神様はお一人との信念があります。
風土や民族性により,宗教の形態が変わるのは仕方のない事。
宇宙の神様は、きっと寛大なお方で、それは容認なさっていらっしゃるに違いありません。
もちろん偽宗教には厳しい目を向けておいででしょうが。
母も私が幼い時は教会に通っていて、牧師さんの家に泊めていただいたこともありました。
でも最後は、両親とも、先祖の仏教の曹洞宗のお寺で今は眠っています。
では私はどうするか?
ずっと悩ましい問題でしたが、郷里の夫の菩提寺(浄土真宗)のご住職様が、私の願いをすべて受け入れて下さることになりました。
その願いとは、夫の菩提寺に新たなお墓を建てるか、あるいは永代供養でも構いません。
私と両親も、夫の遺骨と共に、そのお寺で供養してもらうことに。
秋のお彼岸の時、この件のお願いを認めたお手紙を差し上げたところ、快く承諾してくださいました。
そして、返信のお手紙と共に、歎異抄が同封されていました。
私が前からずっと読みたいと思っていた書物でしたが。
何だか敷居が高くて、まだ紐解いていませんでした。
尊敬して止まない、ご住職様が贈って下さったことで・・・。
私にはこれ以上、値打ちのあるものはない、と思えるほどの人生の宝物になりました。
聖書も我が家には数冊あって、同様なのですけれどね。
夫が導いてくれたのでしょう。
晩年のご住職様との親密な交流が、私の心を一層平安にしてくれています。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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