お久しぶりです。
いつになく、長いご無沙汰でした。
信州にお花見旅行に出かけ、一泊ながら期待以上に愉しめたツアーの一人旅でしたのに、いつもと同様に、旅行後の体調不良にまた見舞われてしまいました。
他にも、相変わらず、ネット上で事実と全く異なる中傷をされ、少々落ち込んでしまった私です。
人の道を外れたその様な行為が平気で日々できる人たちの、気が知れません。
そのため、ブログを書く気力が失せ、一向に記述がはかどらなくて、投稿がこんなに遅くなってしまいました。
私は悪意でもって人に語りかけることは、絶対できません。
私は他人に嫌がらせができる性格では、絶対ありません。
この二つは神様に誓って言えることです。
簡単には解除できない工夫をした強力なフィルターをかけ、お相手のブログを見なくなって数週間が経ちますが、
もしそのような行為を私がしたと、相変わらず書かれているのでしたら、どうか信じないでください。
私はそのようなことは、絶対していません。
そんなことに心身のエネルギーを使い、疲れてしまうような、愚かな暮らしは絶対にしたくありませんから。
今日の話題は、まだ春のお彼岸の京都旅行の続きになります。
マイペースもいいところ。
なんだか恥ずかしいですけれど、お読み苦しい点は、ご容赦ください。
宜しければ、前の記事にざっと目を通して、この続きを読んでくださいね
記事の流れが分りやすいかと思います。
では始めます。
転倒したことによるショックは相当なものでしたが、一眼レフのカメラが無事だったことが、どんなに私を元気づけてくれたことでしょう。
そのショックからの立ち直りは意外と早く、心がすぐ前向きになりました
二条城は、期待通り見応えは十分。
但し、一つ残念なことがありました。
二の丸御殿の障壁画は似せ物で、本物の狩野派の襖絵は、別の建物である展示・収蔵館で鑑賞できるようになっています。
ところが連休にもかかわらず、その会館は閉館になっていて、観ることができませんでした。
年4回、240日は公開されているのに、この間の悪さ。
せめて連休の時は、特別公開をしてくれればいいのに。
二条城観光が目的の方は、公開を確認の上、お出かけの日程を決められた方がいいでしょう。
ところが、この模写のの障壁画、実に見事に描かれていたため、十分、二の丸御殿の素晴らしさを堪能できました。
御殿の襖絵が、すべて模写かどうかは、分りません。
諸大名の前で、徳川慶喜が大政奉還の意思を表明した大広間に、私は辿りつきました。
慶喜の勇断がなければ、日本の王政復古も文明開化も、もっと遅れたのかもしれない、と思い、歴史の転換点となった御殿の部屋を目の前にして、なんだか感無量になった私です。
日本史を学んでいる孫たちにも、是非見てもらいたい観光スポットだと思いました。
御殿の中は撮影禁止でした。
そのため、ネット上の画像を借りて載せるつもりでしたが、フィルターのせいで、それも見られなくなってしまいました。
アップしたのは、ウィキペディアの大政奉還の記述に載っていた想像図です。
その大広間以外にも、前後に数多くの部屋が続きます。
どの部屋も、狩野派の障壁画と多彩な欄間彫刻と飾金具によって装飾された豪華絢爛な空間でした。
将軍の御殿にふさわしく、見ごたえ十分。
今でも、その大広間が目に焼き付いて離れません。
その建物を出て、その後は御殿の三方向から鑑賞できるように工夫された二の丸庭園を散策。
さらに本丸庭園(本丸御殿は割と地味な建物でしたので見落としてしまいました)、天守閣跡へと。
かって伏見城から移された五重六階の天守閣があったようですが、1750年に落雷でにより焼失し、その後は再建されることなく、石垣だけが残っています。
石垣の上から京都市街が一望できました。
天守閣がある京都は、なんだかぴんと来ない私です。
天皇と公家の京とのイメージが私は強すぎるのかしら。
実際は武家政権の拠点が、何度も置かれた京なのですけれど。
そのあと、全く期待していなかった場所に、道案内の立て札に誘われ、訪れることに。
そこは梅林。
結構感動ものでした。
まだ咲き匂う凛とした姿の可憐な梅の花に出迎えられた私。
長い人生でしたのに、梅林を訪れたのは初めての経験だったかもしれません。
前回の一連の記事の中で、卒業時の学長の言葉を紹介させていただきました。
寒風にさらされても、凛と咲く梅のような女性になりなさい、との言葉でした。
私の母も、梅の咲く時期に亡くなりました。
そのためか、梅薫清幸・・・、といった実に美しい戒名を、お寺さんから賜りました。
色々な思いが溢れ、ことさら感動してしまったのでしょうか。
この度の旅行の忘れられない思い出の一つになりました。
さて、ここで急に十分に見届けていない二条城の重要な建築物に気が付きました。
二の丸御殿の正門に当たる唐門です。
是非、表からくぐりたいと思った私です。
梅林から来た道を引き返し、その場所に辿りつきました。
御殿を観光したとき,傍目に見た程度でしたから、正面から眺めました。
豪華絢爛な極彩色の彫刻で飾られた切り妻造りの門は、当時の将軍の権威を示しているかのよう。
この門を見終えたところで、広大な面積のお城ながら、見るべきものは一通り見たとの満足感に浸ることができました。
二条城の観光の際は、二条城の正門に当たる東大手門をくぐり、左折するとすぐ、二の丸御殿の正門、唐門に行き着きます。
案内地図を見ると、それが正規の観光ルートのようでした。
私は人の流れに押され、道順を少々間違えたようでした。
ここでお伝えするほどの、さしたる問題ではありませんが。
最後に、京都の豪商の屋敷跡から、建築部材、庭石、樹木を譲り受けて策定したといわれる清流園の中にある、茶室和楽案で一休み。
その時初めて、手鏡で自分の顔を見て仰天!
鼻から右目の際当たりまで、内出血して紫色になり、腫れているではありませんか。
ショック!恥ずかしい!どうしよう!
美貌の顔が台無しです。これは嘘!(笑)
でもどうすることもできません。
楽観視し、その顔を見るまでは、何も心配していなかった私が甘すぎ。
けれど、この顔で観光を続けるしかありません。
化粧室で、化粧直ししても無駄でした。
その後、どうにもならない惨めな顔で、正門の東大手門を出て、タクシーに乗り込み、金閣寺に向かった私です。
この後の観光が、私の間違った思い付きの選択で台無しに。
金閣寺と竜安寺を観終えてホテルに戻ると、後悔ばかり。
その後悔の話は、明日に回します。
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