多少不安だったけれど、元気復活したようだったので、予定通りお彼岸の中日は、長女と妹と三人で、両親の菩提寺にお墓参りに出かけました。
次女は、年末に家族でお墓のお掃除とお参りをしてくれたので、この度は声をかけませんでした。
桜も開花して、いよいよ本格的な春の訪れと喜んだ矢先に、急に寒の戻り。
妹も私も冬のコートを羽織ってのお墓参り。
長女は、ジージャンに柄のロングスカート。
薄着で風邪を引かなかったでしょうか。
少々心配です。
実家のお庭で
私の母が一番可愛がったのは、何と言っても、初孫だった長女。
もちろん、他の孫達も同じように可愛がってくれましたが、初孫の時は、おばあちゃんとは言え、まだ若くて元気。
ですから孫の相手も十分できます。
次女の幼い頃 今年次女も50代に。
私には信じられない年齢です。
私も力を入れ、精力的に孫のために動けたのは、初孫のR君のときだったかもしれません。
幾度もR君を連れ旅行に主人と出かけたり、一週間近く我が家で預かったり・・・。
風邪を引いて保育園を休まなくてはならない時は、私が一時間くらいかけて、お守りのために娘宅に日参。
そんな頑張り様でした。
孫の洋服を買うのが大好きで、R君の衣類は私がほとんど買い揃えていたようにも。
しかし見る影もないほど、今は体力は落ちてしまいました。
そして、母が一番可愛がった長女は、一昨年、50代に突入。
良妻賢母になって、私と同様に専業主婦の道を歩んでほしいと願い育てたつもりだったのだけれど・・・。
全く私が心に描いた人生とは違う道を、娘二人とも歩んでいます。
朝日の夜のニュース番組、報道ステーションに出演した時の長女。
チラッと映る程度だと思っていたのに・・・
十数分のコメンテーターとの対談
腰が抜ける程、驚きました。
外資系の大企業のメイン部門の部長さん。
次女も似たような立場ですけれど。
私はいまだに信じられなくて、会うたびに、
「本当に仕事愉しいの。疲れない」と尋ねる事がしょっちゅうです。
すると、「いつもとても楽しい。
社員はみんないい人たちだからと」と。
それを聞き、ホッと胸を撫で下ろす私。
恐らく私に見せる娘の顔とは別に、会社の顔があるのかもしれません。
今、勤続二十周年で20日間のお休みが頂けて休暇中の身。
実は三十代になった頃、銀行(その頃の名称は三菱銀行)から外資系の会社に転職しました。
ですから、二十周年になるのです。
商社に勤めていた頃、アニュアルレポートの冊子の表紙に載せていただきました。
次女も同じ年齢の頃、商社から外資系の会社に転職。
外資系の会社は社風が自由で、カジュアルな服装で通勤もでき、出社時間も割とリーズナブル。
女性には暮らしやすい職場で、転職は大成功だったように思っています。
二人共、コロナ禍の前は、海外出張にも時々出かけ、仕事を心から愉しんでいる様子。
「楽しい」ことが何より、と思い、私は嬉しく思っています。
お墓参りの後、最寄り駅近くのフレンチレストランで、長女と妹と三人で、ランチの定食をいただきながら、おしゃべり。
とても盛り上がって、最高に楽しいひと時でした。
そして最後に長女が思いがけない言葉を。
妹に向って、
「いつもお世話になっているから、今日の昼食は私が奢ります」と。
意外な言葉にびっくり。
私は内心、この意味を悟りました。
「母がいつもお世話になっています」といった気持ちだったのでしょう。
私への驕りはそのおまけ。
娘のそんな気配りが、とても嬉しくて有難かった私です。
来週の週末は、夫婦で京都に行く予定のようです。
二週間ほど前だったかな?
用事があって電話をすると、今家族で北海道でスキーを愉しんでいるのよ、と。
私と違って、とても行動的な長女。
次女の方が、顔と性格は、私に似ていると思うけれど・・・。
二人とも仕事はとても充実し、幸せな家庭を築いてくれているので、私の心配事は、自分の健康くらいかな。
でも今は、「人生一寸先は闇」の言葉が、結構現実味を帯びてきたようで、心が騒ぎます。
一昨夜、寝床で読んだ時事ニュースへのある方のコメント。
日本には米軍基地が多いから、化学兵器や核をロシヤが使用し、第三次世界大戦になれば、日本はロシアから最初に攻撃を受ける、と。
それを読んで、楽しかったお墓参りの想い出が、一瞬にして吹っ飛んでしまう程に、心が緊張。
どうか、穏やかで平和な日々が、孫たちの代まで続きますように、とひたすら祈りたい気持ちになりました。
他のに比べて安く、国家検定合格品のようですので、二個注文しました。
一階と二階に置くつもりです。
着々と準備中で、もうすぐ完了。
時間がかかり、とても疲れる選択でした。
これから、一つずつ、またご紹介していきます。
お立ち寄りくださいましてありがとうございます。
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