お医者嫌いの私も、ここ数年は体調を崩し余りに辛く、医院に通うことが度々ありました。
更に、その十数年前には、両親の介護で日中、病院に入り浸りの時期もあり、実に多くのお医者様と接してきました。
最近も言わずもがなで、夫が医療の恩恵を受け、お医者様には頭が下がりっ放しの日々です.
感謝の念に堪えないでいます。
前々回では、大変お世話になっている医師の陰口をたたき、あとから少々自己嫌悪に陥ってしまった私。
山より高く海より深し、といった思いで、その有難さは、言葉で言い尽くせないものがあります。
そのお陰で、肝臓はすっかりよくなり、健康な人と変わりない状態にまで、夫は戻ることができました。。
私には理想の医師像に見え、120%(笑)の信頼を寄せていた方です。
先日お目にかかった時の数々の言葉は、意外感でいっぱいでしたが、私の受け止め方にも、少々誤解があるのかもしれません。
120%の20パーセントがはげ落ちたと言うことに致しましょう。
素晴らしい先生とは言え、まだ若夫婦と同じお年頃。
人の命を預かり、厳しい外科手術に臨まれる日々。
疲労が重なり、ストレスを感じておられるに違いありません。
なにを言っても腹を立てそうに見えない私が、その発散の良い対象だったのかもしれませんね~(笑)
さて、前回の記事は、大変嬉しい事がありました、とのお話しで終わりました。
そのことについて、今日は多少詳しく綴ることに致します。
もう一年以上前の事でしょうか。
バス停で、自治会のお当番で班長をしていた頃、顔見知りになった、私と同年配の奥様と立ち話をする機会がありました。
その時、かかりつけ医のことが話題となり、その方のお世話になっている医院を紹介して頂きました。
私は未だに、心から信頼ができる個人医院に、巡り会えていませんから。
その旨お話ししたところ、
「自分の先生は、とても優しい方で、よく面倒をみて下さる」
と言われました。
そして次のようにおっしゃいました。
「体調を崩し診察していただくと、時に、我が家に、その後の様子を心配してお電話をかけて下さることがあるのよ。
そんなこと、私の人生で初めてのことだったから、とても感激したの」と。
そう言われれば、私も同様で、個人医院でも病院でも、そんなお電話をいただいた事は一度もありません。
今通っているT大病院では、表玄関先に、一日の診察予約患者数が表示されています。
その数は、毎日ほぼ3千から4千台ではなかったでしょうか。
高齢化社会になり、診察を受ける人はますます増え、諸先生方のご多忙は察するに余りあるものがあります。
患者一人一人へのきめ細やかな対応を望むほうが、我儘というものなのかもしれません。
そのような接し方をなさると、患者の診察待ち時間が異常に長くなり、それも問題ですものね~
ところが、年配の如何にもお偉そうな主治医の先生が、何とわざわざ私の自宅に、数日前お電話をかけて下さったのです。
「その後、如何ですか?気になりましたから、お電話しました。」とおっしゃいました。
心細い思いで暮らしていた私が、いかに感激したかは、言うまでもありません。
家族に病人がいて、その症状が思わしくありませんと、不安が尽きないものです。
わざわざ自宅にまでお声ををかけて下さった先生のお優しさは、言葉では言い尽くせないほど有難く・・・・・・
胸熱くなる思いで、精一杯のお礼を申し上げた私です。
私が最初、夫の様子を話し、その後、Yさんが、今の状況を先生に詳しくお伝えしました。
夫がお世話になっているT大病院では、いつも三名の医師がチームを組んで、病室を回診しておられます。
主治医となって下さった医師のメンバーが、夫の病室に来て下さったのは、入院後、しばらく経過してのことでした。
当初数週間は、前にも触れた、官僚タイプのチョッと冷ややかな雰囲気の先生。
無駄口はしゃべれない方だな~との印象で受け止めていた私です。
とはいえ、あくまで、これは私の第一印象に過ぎませんが。
但し、旦那さまも、私とは違った表現でしたが、余り好感を抱いていないのが分かりました。
「患者の言うことは聞かないで、一方的にしゃべる先生だ」と。
ところが主治医の先生は、夫も私も大変気に入り、心から信頼を寄せています。
私が初めてお目にかかった時、一目で、先生の温かさ、包容力を感じ、幸運な出会いを心から喜びました。
実に落ち着いた物腰。
柔らかなトーンの口調でお話しになられ、患者の言葉にも、真摯に耳を傾けて下さいます。
全体から醸し出される雰囲気は、私が尊敬して止まない、財界の稲盛和夫氏に似ていらっしゃるようにも。
更に嬉しいことは、その先生に従っておられる若い医師たちの雰囲気とお人柄の素晴らしさ。
一番若く見える男性医師は、純情で誠実そのものといった感じ。
今後の成長がとても期待できるようなお方です。
そしてもうひと方の、女性医師の、何と魅力的な事。
まるでマリア様のような優しさと温かさで、患者家族を包んで下さいます。
その穏やかな優しさと知性あふれる眼差し、美しい顔立ちに接していると、医師もさることながら、女性の理想像を観ているかのよう。
ご年齢は、恐らく娘達と然程お変わりないでしょう。
同じ女性でありながら、齢を重ねた我が身の未熟さを、恥ずかしく思ってしまう程です。
病気になっても、病院では、医師を選ぶことはなかなかできません。
今は情報社会で、名医図鑑などもあります。
夫の肝臓医のように、神の手などと言われるお医者さまに治療していただくことも、十分可能な時代ではありますが・・・・・・
担当医までは選べませんね~
肝臓治療を受けている夫の診察室で、私は面白い現象を捉えています。
私の勝手な思い込みかもしれませんので、その点を斟酌し、適当に聞き流して下さいませ。
当病院では、ポケットベルが渡され、それが鳴ると、診察室の前の通路に設置された長いすに腰かけて順番を待ちます。
その廊下には、温かなぬくもりある木製のドア―五つあり、各部屋で、先生方が診察をされているのですが・・・・・・
診察室から出てくる患者さんの表情が、明らかに違って、私の目には映るのです。
ひときわ、その表情が明るく輝いて感じられるのは、夫の担当医師の診察室から出てくる患者さん達。
先生のお人柄と、前向きな語りかけが、私達に対してと同様、他の患者さんにも、元気と希望を授けているにちがいありません。
もし孫が将来、医師になったなら、このようなお医者さんであってほしい、と私は願います。
しかし、先日夫の近況を知らせにこの診察室を訪れた際は、さぞ沈痛な暗い表情で、その場を私は後にしたことでしょう。
長いお付き合いの間には、こんな日もあって仕方ないのかもしれませんね~
いつか、次女家に招かれ夕食を共にした席で、理想の医師像が話題になりました。
次女のお婿さんの弁は
「先生の人柄は然程気にならない。
如何なる時でも適切な治療を施してくれる優秀な医師が、一番の理想」
と。
「果たして私はどうかしら?」と、しばし考え込んでしまいました。
人格か腕のどちらかをあえて選びなさい、と言われたなら、私は人格重視かもしれません。
名医でなくても、せめて並みの医療技術は身に付けていて欲しいですが。
患者の気持ちを察し、優しい言葉で元気づけ励ましてくださるだけで、免疫力が向上し、病と闘う意欲もわいてくるというもの。
皆さまは、理想の医師像に、どんなイメージを抱いていらっしゃいますか?
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