この記事を新たなカテゴリーとして最近載せたわけは、
麦さんが、今も詭弁を繰り返し、相変わらず私の誹謗中傷を繰り返しておられるからです。
誰よりもまず最初に麦さんに何度でも読んでいただきたいです。
そして過去の出来事を正確に思い出してください。
よろしくお願いします。
今も、散々同様の事をなさっておられるのに(コメント欄でも)、誹謗中傷したことは一度もない、
などとなぜ仰られるのか理解に苦しみます。
麦さんへ~かれん桜と花水木より
麦さん、質問にお答えします。
そして私の今回のこの記事に対し、いかなるお尋ねにもお答えしかねますので御了承ください。
以下細字の部分は麦さんのコピペです。太字の部分が私かれん桜の文です。
かれん桜 さん ( 麦)2017-04-14 01:45:51
私は、いつのころからか、貴女のブログを、お訪ねし、しかも遡って読むようなことはありません。
貴女への返信に記してあるのは、貴女の記事から引用したのではなく、過去の経緯を要約して書いてあります。
私の表現は違っても、貴女の言動との食い違いはありませんよね?
> お相手の方の逆鱗に触れ
確かに、おっしゃってますよね。
> このブログを見つけて戦慄が走った。私は、このブログ主に誹謗中傷された。
これも引用ではありません。
私の文言を、勝手に語気を強め、まるで違う響きの言葉のように変えていいものでしょうか
読まれる方々の誤解を招きかねません。
私に 誹謗中傷された、と言うことは、今現在も認識して居られるのですよね?
申し訳ないですが、今もそのように認識しています。
後で詳しく私の気持ちをお伝えしますが、麦さんが、と言うより、貴女のブログそのものが、といったほうが正しいかもしれません。
Nさんの個人情報の露呈に加担された行為も、誹謗中傷に当たるのではないかと思っています。
> 過去の愚か者の戯言のブログに次第に似てきているようで、本当に恐ろしいです。
そうでしょうか?
「愚か者の戯言」 が立ち上げられても、貴女は、それまでと変わりなく、一つのブログが消えたことへの負い目も責任も感じられない様子で、平穏なブログの更新を続けられていました。
私はkanmoさんのブログ上でも、自分のブログ上でも丁寧にお詫びをしました。
それでは足りない、ブログを自粛して、しばらくお休みをとるべきだった、とおっしゃりたいのでしょうか。
私のコメントが、ブログ2の3番目(今の私の思い)の記事に載っています。
その私のコメントを、もう一度お読みになって確認してください。
自分のブログを自粛しなければならないほど、ひどい内容とは思えないのですが。
再三申し上げておりますが、逆鱗の言葉もお詫びの中で、丁寧に使用しているに過ぎません。
またブログ綴りは、つらい状況の中で私を励まし、支えてくれるものでしたから。
貴女が、コメントを下さったのは、立ち上げて から、いくつかの記事を更新したあと、初めてNさんのコメントがあったときです。
その後、私には強気な貴女が、Nさんに対しては控えめな様子が見受けられ、過去を持ち出すことを拒否なさる雰囲気を感じたので、なんとなく
、過去の出来事には、貴女サイドの落ち度があるようなイメージを抱きました。
当時私はブログ村の村民になり、心機一転、新しい世界で頑張ろうと思っていました。
ところが突然、麦さんのブログにNさんが現れ、彼女の執拗さに恐怖を覚えました。
私はかなり強い口調で、彼女に抗議したはずです、
申し訳ありませんが、今後、私とは無関係のNさんとの関りは、貴女とNさんとのブログで話し合っていただけませんか。
私は、彼女と、今更関わりを持ちたいと思いません。
彼女が何をおっしゃろうと、私は年に数度、自分の疑問点を投資の掲示板上で、正直にお伝えしただけです
掲示板上での意見交換は当たり前のことでした。
悪意など、私にはみじんもありませんでした。
彼女からも、厳しい批判を度々私は受けました。
また彼女の個人情報を晒したなどということは決してありません。
このことについては明日の「Nさんへ」に記しますのでお読みください。
ここでの私の目的の根底は、貴女が、私に誹謗中傷された、と言う妄想のような勘違いを、改めていただくことです。
貴女の言葉を撤回し、謝罪の言葉を求めているのではありません。
なぜなら、私は、貴女を誹謗中傷したことはないですから。
k●●●oさんが、逆鱗に触れた様子は見受けられなかったから、貴女の発言に疑問を感じて、貴女に、貴女の思い違いを気付いてほしいための、
「愚者の戯言」 だったはずです。
「逆鱗に触れた」の言葉はお詫びの中で使用したのですよ。
2013年1月30日の記事です。
>私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで問いかけさせていただいただけだったのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。
翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・
今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。
ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。
何度も申し上げましたが、それに関しては、彼女のブログ上でも、私のブログでも謝罪しました。
ですのに、その逆鱗の言葉が、そんなに許せないことでしょうか。
貴女を、どのような言葉で誹謗中傷したのか、それを、今、貴女に、お尋ねしている段階です。
きちんとお詫びいたしましたのに、愚か者の戯言が立ち上げられ、私のコメントを「う〇こ」と汚い言葉で書かれました。その後の麦さん、kanmoさん、Nさんの、私への批判は相当なものでした。
原発の記事にコメントを入れたに過ぎませんのに、私の人間性や時には人格否定のような言葉が飛び交いました。
恐らく愉快犯もいたでしょう。
「とりあえず」のブログと同様に、いろんな人が現れては消え、口汚い言葉で、私を中傷しました。
しかし麦さんはそれをいさめることなく、如何なる中傷にも同調し、すべての言葉を受け入れ頷いておられる様子でした。
私のみの個人攻撃が、そのブログ上で半年以上続いたでしょうか。
その状況と執拗さは、とりあえずに幾分似ていると思いますが。
「とりあえず」より、数倍酷いものでした。私は精神的苦痛で体調を崩すほどだったのです。
初めて、私のブログを訪ねて来られて、貴女の連続コメントに違和感を感じられたきよさんが、それを貴女に質問して居られます。
私も、それを、お答えいただければ、先が見えるように思いま す。
この質問が何を指すのか、上の文章ではわかりかねます。
きよさんが、麦さんの誹謗中傷の言葉を挙げるように、再々要求しておられますが、そのことにお答えすれば宜しいのですか。
お祭りの記事の質問は、違う内容ですが。
私が一番辛かったのは、「愚か者の戯言」だと思いますが、あまりにいろんなことを言われ、今具体的には思い出せませんが。
ひどい言葉を浴びせられたことは確かです。
カテゴリー「ブログ2」を是非読んでください。
当時の生々しい記事から私の苦痛と辛さがご理解いただけると思います。
これまでに私が浴びた中傷の言葉は、挙げればきりがありませんが・・・・・・。
二重人格の姉妹で裏表を使い分ける。(麦さん。kanmoさんの言葉)
みゆきという人の口汚いコメント(おだてられて嬉しくてまた出てきたのね、といったような言葉でしたね)が私だ。IPアドレスで分かっている。(kanmoさんと麦さんの言葉)
何度強く否定しても言われ、私の精神的苦痛は相当なものでした。
アガサクリステーの小説(題名を度忘れしてしまいました)の女主人公が、私にそっくり。
夫に見放された哀れな主婦の物語でした。(Nさんの言葉)
下品な相場師のおばさん(kanmoさんの言葉)
まだまだコメント欄やブログの記事で思い出す言葉がたくさんありますが、もうやめます。
こんな言葉はいちいち羅列したくありませんでしたが、きよさんの要望が強くて、毎日のように応えるように迫られましたから、お答えしました。
私達とあなた達とが少しでも歩み寄れればと願い、この度の麦さんの問いかけに真摯に精一杯お答えしたつもりです。
麦さんの次の言葉に期待しています。
>初めて、私のブログを訪ねて来られて、貴女の連続コメントに違和感を感じられた、きよさんが、それを貴女に質問して居られます。
私も 、それを、お答えいただければ、先が見えるように思います。
麦さんへ追記(花水木)
愛犬を失くされた時の私の「なりすまし記事」に大変お怒りのようですが、なりすましたことへのご批判は素直に受けます。身内であることが分かりますと偏見をもって読まれるのではと案じ、致し方なくなりすましました。
姉が明日をもしれぬ重篤な夫の介護に明け暮れておりましたので、「死」を連想される言葉に少々感情が高ぶり、きついコメントとなりました。妹の立場としてご理解ください。
ペットを飼っておりません私は「虹の橋を渡る」という言葉が愛犬とのお別れを意味する言葉とは恥ずかしながら知りませんでした。
翌朝私の誤解であったことが分かり、謝罪の言葉を入れました。麦さんはその時は分かってくださり、その件は一件落着したと思っておりましたが・・・・。
取り巻きの方々が許してはくださらず、酷い批判を浴びました。私は本当に知らなかったのです、愛犬とのお別れを。もう一度この場を借りてお詫びいたします。
それからのコメント、私は一切なりすましておりません。今回の「とりあえず」でも全くコメントはいれておりません。ここで断言いたします。
この後は2022年9月19日に追記しました。
今も相変わらず、下記のコメントのせいで、kanmoさんがブログを閉じた。
絶対許すことはできないと言われ、未だに私たち姉妹への中傷が続いています。
いくら私が説明しても、絶対自分の持論を変えられず、とても困っています。
| かれん桜 | 2013/01/23 07:23
このコメントのお返事に、大人への放射能の影響は微量だからです、と説明されていました。
そのお話しを伺い、私の疑問は晴れた思いがしていたのですが・・・・・・
最後の二行は、当時追記で書かれたものです。
kさんは、載せたコメントの文章の一部が修正されていると言われますが、そのようなことは一切していません。
私が、彼女のブログに関わったことも、ブログ上で触れたことも、この二つの記事以外、その後一切ありませんでした。
ところがコメントの内容を公表して確か数日後の事です。
「愚か者の戯言」と言うタイトルのブログが、Mさんによって立ち上げられました。
彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。
それから半年間、更新する記事も、コメントも、私の人間性や人格を批判するものばかりでした。
半年後に、そのブログは削除されましたが、その後も今に至るまで、延々と私の中傷が続いています。
私のコメント
いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。
もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・
私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります
私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。
今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。
どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。
差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。