(株)カプロラクタム-blog

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英語必修化

2006年04月15日 | 時事
<中教審方針>英語必修化に教師が尻込み 混乱や動揺も?
ついに小学校での英語教育に明確な足場が誕生する模様です。

僕が小学生の頃に授業で英語をやった記憶はありません。しかし、以前の小学校ではALTが週に3回訪れ、3年生から6年生までで週1回、1・2年も月1回の時間が位置付けられていました。養護学校でも昨年は年に6回英語の授業を行いました。石原都知事の「日本語もマトモに話せないのに英語なんて」という発言がモロに当てはまる授業でしたが、目的は英語を覚えることでなく、英語に親しむことであるので、それなりに楽しく過ごせたことが成果と言えるのだと思います。そんなわけで、現在の小学校では、時間数に差はあるとしてほぼ間違いなく英語の授業を行っていると思います。
基本的に、学校で教える内容は学習指導要領の範囲内でしか教えることができません。ではどうして英語を教えられるのかというと、「総合的な学習の時間」に国際理解というテーマを置けば、堂々と授業が行えるのです。前任校の場合はこの「総合」の年間105時間のうち35時間が「英語活動」に当てられていました。この時間が昔はなかったため、表立って英語の授業ができなかったわけですな。

この改定で、35時間は「英語」を教えることが義務化されることになりました。まあ、文科省が考えは「これほど多くの学校で英語を扱っているのだから、公認を与えてもいいのでは?」という軽い気持ちでしょうけど、こうしてはっきりと取り決められると困る学校は少なくないだろうと思います。
何故なら、おそらくこの「英語」の時間に費やされた分は「総合」から引かれることが目に見えているからです。「総合」が始まって4年、中にはこの総合の時間を全て地域学習や情報学習に当てている学校もあるでしょうし、105時間丸々英語教育を行っていた所もあるでしょう。4年という期間はそれぞれの学校でようやく軌道に乗り始めた頃に辺り、ここでまた大幅な転換を強いられるのはかなりの痛手のはずです。

現場の先生は専門で無い限り大学2年の教養過程を終えてしまうと、それから一切英語に触れずに入ることが可能です。分かりやすく言えばその先生の年齢から20を引いた年数が「英語から遠ざかっていた年数」になるわけですね。現場の先生が英語から離れようとしたり、ALTに頼ろうとしたりしてしまうのは、ある意味仕方のないことなのです。
ちなみに、自分は英語が得意でないことは以前も書いたような気もしますが、小・中と英会話教室に行っていたせいか、発音には自信があります。と言っても、全然話せませんけどね。単語を見て、発音記号通りに発音できるというだけです。
これは、その英会話教室でフォニックスを習ったからできる芸当です。こいつでアルファベットを覚えていると、見知らぬ単語が出ても一応それらしく発音でき、しかも舌の動きで覚えているのでほぼ忘れる事無く発音が可能なのです。「書く」ことは中学で嫌でもやらなければいけませんから、小学校の時期には「読む」ことができるようになるのが先決だろうと僕は思います。「ローマ字」で初めてアルファベットに触れる小学4年生ぐらいに教えてしまえば、それから10年間、英単語の読みに困らない生活が保障されるのです。

そんなことを前任校で力説したら軽く却下されてしまいましたがね。

プリントサーバ

2006年04月14日 | Weblog
とりあえず、今あるモノを動かして改善させることになりました。

と言うことは、昨日考えていた「買ってもらう」案は全てボツだということです。将来的には可能でも、自分は後2年しかいませんし、学年初めの山は過ぎましたがこれからも様々な行事で写真カードなどの視覚的情報を必要とする機会は目白押しのため、必然的にプリンタはフル稼働を余儀なくされるわけです。明日にでも何とかしないといけない状況に「あれがない」などとは言っていられません。そんなわけで、今日は放課後に情報担当の3人と事務の4名で使えそうなものを職員室に運び込み、設定を試みることにしました。

まず、昨日物色して目星をつけていた、パソコン室の白黒レーザーを運び込みました。その後、高等部にある余り使われていないカラープリンタも教頭に話をつけ、こちらに頂くことにしました。これで単純に職員室のプリンタが2倍になったことになります。しかも元々ある2台はサーバーマシンを介して接続しているので、クライアントがサーバーに多く繋ぐと共有データを使うこともプリントアウトもできなかったのですが、新たな2台はどちらもプリントサーバ付きで、直接LANケーブルでHUBにつなげばサーバーマシンの性能に関わらずプリントアウトができるようになりますし、皆がこちらを多く使うようになれば必然的にサーバーマシンのアクセスも減り、共有データがつながらない状態も少なくなるのではとも考えられ、一銭も使わず状況を改善させることができるわけです。まあ、この時点でHUBやLANケーブル、延長コードなどを自前で用意しているため、いずれこの辺は買ってもらわないと辛いですがね。

ところが、物理的につなげる所まで順調にでき、試しに自分のパソコンから設定をしようとしたのですが、ここでも一筋縄では行かずどうにもこうにもつながりませんでした。前の学校の記憶では、プリンタのIPアドレスを打ち込んでドライバを入れてやれば使えるようになったはずなのですが、その肝心のIPアドレスが分からなかったのです。
しばらく試行錯誤した後、白黒の方はパソコン室から説明書とドライバCDを発掘してプリンタの画面からIPを自分で決められる事が分かり、何とかつなげることができました。しかし、カラーの方はドライバCDもメルコのプリントサーバ用のCDも何も発見できず、仕方なくネットからDLし、ようやくドライバを入れIPも設定することができました。ここまで非常に長い道程で、4時から作業を始めたのにこの時点で8時を回っていました。
さて、最後にカラーでも試し刷りをして今日は終了だ・・・と思ったら
黒インク切れorz
・・・事務室も、高等部も探してみましたが結局在庫切れだったようで、ココまで辿り着いておきながら非常に後味の悪い幕切れとなりました。

多分インクさえ入れば大丈夫だと思いますけど、何だかなぁ・・・

スケール

2006年04月13日 | Weblog
一応、昨日は学校で2つほど対策を練り、その後12時半まで友人と相談しさらに2つの案を出していました。

朝会議の間に説明プリントを手直しをし、校長に渡るよう教頭にプリントを渡しました。作戦としては、
①XPのProfessionalを買ってもらう。
②学校に余っているパソコンやプリンタを回し、数で対応する。
③プリントサーバにできるよう、コネクタを買ってもらう。
④ワークグループの設定で、とにかく誤魔化して使う。
の4つを挙げました。もうひとつ、「持ち運びができるサイズのプリンタを買って、使う時に回す」なんて案も考えましたが、書いてもおそらく門前払いでしょう。パソコン1台を買ってもらうとして、その分のお金をパソコンに使うのではなく、OSを買ったり周辺機器に回すことが可能であればそれなりに何とかできるかな、と腹づもりをしていました。
しかし、校長は「1教員1台」の交渉を進めていくつもりでいたことが分かり、何やらスケールと導入に懸かる時間間隔にズレがあることが判明しました。確かに理想はそちらですが、それこそ市教委に門前払いのような気もしないでもありません・・・
まあ、校長先生がやる気になっているうちにたたみこむのが一番ですので、ダメ元でいろいろ頼んでみようと思っています。

そんなこんなで、情報担当の仕事が終わり戻ってくると学年の先生は皆帰宅後。今日も自分の仕事ができなかったか・・・やれやれ。

突破口

2006年04月12日 | Weblog
職員室のパソコン事情にようやく校長が関心を示しました。

未だにLANの調子が良くならなず、仕方なく印刷のできる事務室に人がよく出入りするようになったことで「どうしてつながらないのか」という話題になった時に、丁度校長が事務室にみえて話に入られたそうです。
そこで、管理職を呼び「パソコン1台買って何とかできないのか」という話をされたことがそのまま僕の所に下りてきて、校長室で学校のLAN環境について語リ合う羽目となってしまいました。あの部屋にこれほど長くマトモに入ったのは今日が初めてだったような・・・ああ言う場は無意味に緊張しますね。
話自体は前向きに進み、最終的に「金の面は何とかするから“こうすれば直る”という案を2つ3つ立てて教えてくれ」という所まで前進できました。
明日までに
・・・今日も10時か・・・orz

給食費

2006年04月11日 | 時事
小学生の給食費いりません 三笠市が子育て支援
6校300人ですか・・・「市」とはいえ、かなり小規模な地区だからこそできる対策のようですね。

新学期がスタートし、今週から給食も始まりました。今年から小2の副担となり、巨漢に押しつぶされる心配はなくなりましたが、「すばやさの種」が欲しいと思う毎日です。
小学生と中学生では摂取カロリー量が異なるために給食の量が異なり、給食費も月に500~1000円ほど違ってきます。当然、先生も給料天引きで給食費を払っていて、小学校では小学生の給食費、中学校では中学生の給食費を払うことになっています。ということは、昨年度から比べると、先生用の給食の量が大幅に減ってしまうというわけなのです。
例えば、昨年度はどんぶり茶わんに山盛りのご飯が普通であったのに、今年度からはしゃもじで軽くひとすくい分のご飯しか食べられなくなってしまいました。あと、あげぱんも中では2つ出たのに小ではおそらく1つしか出ないものと思われます。主食がソレなのでおかずの量も比例して少なくなり、ちょっと気にして先生用を多めに準備すると、子ども用が本当に微々たる量になってしまい「これで本当に足りるのか!?」と心配になってくるため、必然的に我々も少なめにするしかないのが実情です。

何が辛いって、やはり放課後ですね。去年もやはり遅くまで学校に残ることが多く、多少食べ過ぎていても放課後の腹持ちを保つという意味では丁度良かったのですが、今年は本当におなかと背中がくっつくような思いをして耐え凌いでいかなければなりません。というより、お菓子の消費量が格段に上がっています。他の先生方も同じように思われているようで、中学部の時に比べて明らかにお菓子の振る舞われ方が激しいです。そういえば、前任校の時もかなりお菓子をストックして皆で食べていたよな・・・帰りに、久しぶりにスーパーへ寄って明日以降のお菓子を買いだめしてきました。

こういうお金もバカにならないからな・・・あまり食べないよう気をつけよう。

臨時収入

2006年04月10日 | Weblog
ズボンのポケットに1万円が入っていました。

まあ、誰かがコッソリ入れてくれたなどということはありえないので、おそらくいつかの時点で抜き忘れそのまま入っていたものだと思われます。問題は、いつのモノなのかが全く思い出せないコトですね。今回、思いがけず見つかったコトに対しては非常に喜ばしいわけですけど、間違いなくある時点では「減ったのに気づかなかった」ことになるわけですし、身辺から1万円が消えて気がつかないというのは相当の重症です。

そんなわけで、今日は1万円が見つかったことでちょっと凹むという珍しい体験をした日でした。

出動

2006年04月09日 | Weblog
今日は友人とランチに行ってきました。

こんな風に書くと誤解を招きますが、深い意味はなく単に研修校へ今年から配属された大学時代の友人と情報交換を目的とした会食を行ってきたと言うことです。もっと誤解を招きましたかね・・・男と飯食って何が悪い!(逆ギレ

研修校とは、大学から教育実習生やら体験生やらがワラワラ来てその面倒を見たり、年がら年中何らかの研究発表が当たっていたりする、ある意味では他校の「弾除け」のような学校のことです。まあ、実習という側面では養護学校も研修校に近いわけですがね。
4月スタートしてから毎日11時帰宅だったとか。こちらも9~10時帰宅が続いていたわけですけど、何が凄まじいかって先方はその時間に帰ってもラストでないという事ですな。その時間程度ですと、駐車場に普通に車が20台ほど停まっているとか・・・まだ新年度始まって間もないのに、末恐ろしい学校です。片や、こちらは昨年度土日はしっかり休ませてもらえ、しかも用事がなければ定時ダッシュも可能ですし、これで給料がこちらの方が上と来れば、今の環境は天国のような所です。(パソコンは別にして・・・)
そんなこんなで、おそらくこんなにゆっくり飯が食える休日はもうないだろうとも話しつつ、1時間ほどで別れたわけですが、まだ明日の準備があるらしくこれから休日出勤だと言っていました。いやはや、本当にお疲れ様だねぇ。

その後、自分も呼び出しがかかりました・・・orz

難題

2006年04月08日 | Weblog
情報主任ネタが続きます。

今年度、校長より1つの提案が出されました。「それぞれの先生が、児童生徒の良い行いやすばらしい姿を見つけたら、それをパソコンに打ち込んで全職員が見られるようにできないか。」というものです。今まで、校長という職業はITとは無縁(無縁でも務まるという意味)だと思っていたので、このような発想を聞いたのは正直意外でした。まあ、僕は直接でなく教頭から「こう言ってたよ」と聞いたもので、本意がどの程度のものかは分かりませんがね。

単純に考えれば、児童生徒名のワードなりエクセルなりのファイルを作っておき、1つのフォルダ(もしくは学年別フォルダ)に入れておけば事足ります。そいつをネットワークで共有をかければ、どの先生でも打ち込めて、どの先生でも見られることになるわけです。
しかし、果たして仮にそのようなものを作った所で実用されるのかと言えば、どうしても疑問が残ります。何度も書いてきた通りこの学校は職員用のパソコンが1台しかなく、しかもXPのホームエディションのため、LANに個人持ちのパソコンをつなげるにも先着5台までしか繋げられません。そのため、一応「LAN・プリンタの繋ぎ方」というプリントを配って各自やってもらうようにしたものの、先週は自分で試される先生がほとんどみえない状況でした。このため、印刷時はその1台の学校用パソコンに順番待ちを作ってプリントアウトする、という光景も珍しくなく、LANの問題を解決させないことにはとてもデータを打ち込むだけのために全職員がパソコンの前に座れる環境にありません。
もちろん使いやすさも追求しなければいけませんし、できれば児童名を選択しコメントをフォームに入力するだけで自動的にデータベースに書き込みができるようなプログラムを組んだりしていけると良いと思うのですが、残念なことにそこまで自分の能力は高くなく「できるかできないか」の判断すらできない状態で、とりあえずは自分の意をくんだソフトを偶然発見できないか探し回るのがやっとの所ですね。

まあ、最善は作っているふりをして風化するのを待つことか・・・

アンケート

2006年04月07日 | Weblog
教員の情報化実態調査アンケートをやりました。

文科省から全国の学校に送られているもので、情報主任最大の仕事と言っても過言でないと思います。4月10日締め切りになっていましたが、学校が始まってしまっては絶対できないと思ったので今日やることにしました。
ものすごく大変でした・・・

何をするかというと、情報機器の台数や、パソコンのOS、ネット利用状況、全教室についてLAN接続が可能かを調べたり、教員の免許別ごとにパソコン指導が可能かを調べたりもし、どこ主催の研修を受けたか、個人のパソコンをどの程度学校に持ち込んでいるかなど、500項目以上に渡って質問が続き、ネットでそれぞれに数字を打ち込んだり、選択肢から選んだりしていくわけです。とても情報主任1名がゲットしている情報のみでは答えきれるものでもなく、僕の場合は特に今年初めてですので、管理職や事務に聞きまくって答えていきました。しかも、この学校は小中高一貫でそれぞれにボスが違うものですから「誰に聞けば教えてもらえるのか」から聞かなければならず、場合によっては小中高それぞれで教えてもらい、それを僕が集計するといった手順を踏まなければ打ち込めない項目もいくつかありました。
データの正確さを試すためか、「教室は、事務室は、理科室は・・・」という各教室ごとの質問が続いた後に「全教室では」という今までの合計を問うものが必ずついていて、「自分で集計してくれよ!」と何度もキレそうになりました。まあ、一番キレたのは「免許別(国語の人は、数学の人は・・・)にパソコン指導が可能か」で、職員室を渡り歩いて調べ、集計し、ようやく打ち込んで送信したら「タイムアウトになりました」と表示されて、また打ち直させられた事ですね。まあ、調査してそのまま打ち込んでいる僕も悪いですけど・・・。
前の学校は教室に1台のパソコン支給がありましたから、ほぼ1教員に1台のパソコンがあったわけです。しかし、今の100人規模の学校で「教員の業務用パソコン」は3台、「学校に個人のパソコンを持ち込み、業務に使っている教員数」は全員という状況は、誰が見てもおかしいと思うのです。そこ辺の事情は正直にアンケートに書きましたけど、おそらく県で集約され「殆どの学校でパソコンの普及が進んでいます」と報告されてしまうのだろうなと思うと、あまりアンケートを取る意味もないような気さえしてきてしまいます。

さて、半日かけてようやく終わった!と思ったらその後にまた生徒指導上の問題も起き、その対応に終われてようやく職員室の戻って来ると今度はまたLANの調子が悪くて復旧作業を行い、結局帰りは10時でした。
思えばこの1週間、ほとんど学年の仕事に携われていません。来週から大丈夫か!?

座席

2006年04月06日 | Weblog
今回の職員室の席は入り口に近くて非常に助かります。

普通の人の価値観で考えれば、この席は「寒くていやな席」となるでしょう。しかし僕の場合は基本的に暑がりですし、何よりいつも朝ギリギリに職員室に入ってきますから、朝会の迷惑にならないようにこそっと座るのにこれほど便利な席はないわけです。また、昨年は窓際で夏は非常に暑い思いをしていましたけど、今年は廊下側のため陽射しの影響も受けません。廊下側は一時的に荷物を置くのにも中身が温まりませんし、何より外側はパソコンの中が覗かれにくいのがGOODです。初任の時、内側に座っていたら「先生はインターネットで業務に関係ないページを開いてるね」と管理職に言われたことがあり、それ以来少なくとも窓か廊下を背にする外側の位置で座席を取りたいと思うようになりました。確率的には2分の1ですが、初任の時だけが内側で、2年目から5年目までは常に外側を陣取ることに成功しています。特に今回は場所を決める初日に休んでしまいましたが、非常にラッキーだったと言えるでしょう。

まあ、皆さんが寒いから敬遠されたのかもしれませんがね。

情報主任

2006年04月05日 | Weblog
2年目は流石に仕事が多いですね。今日も9時過ぎました。

今年は初めて情報主任になりました。
昨年度までネットワークを管理してみえた先生が代わっていかれたため、現在は非常にショボイ環境で苦しんでいます。LANケーブルならまだしも、サーバー・HUBまでもが個人持ちの学校ってそうないよな・・・そいつを持ち帰られてしまったおかげで、今はXPのホームエディションで無理やりDHCPサーバーを立ち上げて総勢40名で使わざるを得なくなり、新学期から接続エラーの嵐です。これで、新しい先生方にもプリンタを使えるようにしたら、さらにエラー頻発だろうなぁ・・・結果が分かっていても、やらないわけにはいかないのが責任者の辛い所です。

昨日はコネクタが抜けていただけで、解決後も一応全ての子HUBから印刷テストも行ったのですが、何故か今日も繋がらないと言われ、今度は「リース期間を短く設定していたため無駄なトラフィックが生じ、そのせいで繋がり難い状況になっていたのではないか」と考え、全ての割り当てを削除した後リース期間を無制限にしてみました。それでも印刷のできる人とできない人が出るわけですが、これはもう単純に「繋ぎ過ぎている」状態であり、現在の環境下での限界に来ているので諦めましょうと諭していくことにしました。

もう少し知識があれば何とかできるのになぁ・・・本でも買って勉強するか。

浦島太郎

2006年04月04日 | Weblog
多少の筋肉疲労は残っていますが2日も休むわけには行かないので、足をさすりながら普通に出勤しました。

職員室に入って、まずは管理職にお詫び。次に、同じ学年となった人にお詫びと新しい人に自己紹介。自分の席が何処になったかはこの後で知りました。そして、山積みとなった引継ぎ資料や会議の資料にしばし呆然と立ち尽くし、少しずつ目を通しながら処理。校務分掌も何に決まったのか主担に尋ね、どうやら「休んだ奴に大変な役を押し付けちゃえムード」にはならなかったようで一安心でした。
当然ながら今日の予定も山ほどあるため、会議の合間に昨日の埋め合わせをしていくというハードなスケジュールで午前中が終わりました。

午後は自分の仕事の時間があったので、ようやく遅れを取った分を取り戻せるかと思いきや、生徒指導上の問題やら職員室内のLAN接続ができない問題やらで振り回されっぱなし。特にLANは何処から不具合になっているか調べていて、単に大元のパソからHUBに繋げているコネクタが抜けているだけだと発見したときは「今年も通知票のパソコン化は無理だな・・・」と悟り、一人でへこんでいました。
その間にも新しい仕事の依頼がドシドシ到来し、気がついたら9時。ようやく自分の机上整理まで手が回って、家に帰ったのは10時でした。2日分とはいえ、初日からコレでは先が思いやられますね。

遊び呆けて久しいため、体が慣れるまでは大変そうです。

病院

2006年04月03日 | Weblog
先日の無理がたたり、またも「立てない病」になってしまいました。

本来なら今日から新学期で、会議が怒涛の如く押し寄せる大切な日なわけですが、這ってでも行きたいのに指一本動かすのが精一杯で、昨日から寝返りを打つごとに誰かを起こして動かしてもらっていました。全力で携帯を弄り学校へ連絡。丁度新学期から同じ学年を組む先生が出られたので、今日の事をお願いして1日休ませてもらうことにしました。
ここまで酷くなったのは半年ぶりで、流石に2回目はヤバイぞということで今日は近くの総合病院で調べてもらうことにしました。

当然、歩くこともままならないので車イスです。職業柄よく押すことはあっても、自分が乗るとアレで結構疲れる乗り物だということがよく分かりました。形成外科へ行き、レントゲンを撮るよう言われ、診てもらうと骨自体に異常はありませんでした。そこで神経科へ回され、採尿、検温を済ませ問診。採血の結果が見たいといわれ、結果が出るまで院内で待ち、ようやく診断らしきものが下され戻ってきました。
この間、6時間
殆どが待ち時間でした。高松まで行けたよ・・・(青春18換算)
まあ、基本的には筋肉痛なので待っている間に順調に回復し、戻る頃には自分で立って歩けるようになりました。診断としては、周期的に手足が麻痺する病気らしいのですが完治するのは難しいとか。ま、すぐに命に関わるものでもなさそうですし、膝だけでこんなに全身が動けなくなるのは説明つかないと思っていたので、病名がついただけでも気が楽になりました。基本的には1日前後で動けない状況からは改善されるようで

結局の所、自分が感じているような「暴飲・暴食、過度な運動、体が冷えるようなこと」を控えていくのができうる予防策のようです。あと、カリウム不足だとも言われましたが、目安にもらった食品を見てみるとほぼ毎日食べている好物ばかりで、血液検査の結果を見ると規準より0.1少なかったためこの診断になったようでした。そりゃこの3日間は外食ばかりでまともな栄養は取っていませんから、こう診断されても仕方がないですがね。

さて、明日の詫び入れの言葉でも考えておくか・・・

因島

2006年04月01日 | Weblog
どこに行こうか考え、とりあえず姫路方面へ繰り出しました。

姫路で降り、午前中ぐらいはココで・・・と姫路城へ向かって歩いているうちに、この前広島へ行ったときに食べられなかった尾道ラーメンを食べたいと思いつき、城門をくぐった瞬間ターンして再び駅に戻りました。
それにしても、姫路から先は各駅停車しかなく、しかも一気には進めないのには辛い所ですね。時間だけがやたらと過ぎていき、尾道についたのは2時半でした。確かに、広島-姫路間は新幹線という選択はアリだったと、このときは肌で感じましたね。8000円もするのはネックですけど・・・

この時点までは「過去に訪れたことがあり、行きそびれた所を補完する旅」になりつつありましたので、ここから四国へ渡り、まだ行った事の無い愛媛県へ行ってみようと思い、レンタサイクルを借りて向島まで渡りました。尾道から四国までは全長80kmもあるそうで、とてもこんな時間からは走破するつもりも力もはなく、因島で乗り捨ててあとはフェリーで行く道を選び、走り始めました。
因島といえば「ヒカルの碁」で有名な本因坊秀策の生誕の地であり、佐為が消えてから何故かヒロインでなくタクシー運転手と愛の逃避行をしたことで強く印象に残っている?秀策の墓がある所です。彼と同じようにチャネリングをしてこようと、早速サイクリングコースから外れ山路を登り始めました。残念ながら記念館へ入るには事前の申し込みがいるようで、館の中へは入れませんでしたけど、石切神社の記念碑や墓を十分に堪能してきました。

しかしこの後、もと来たコースへ戻ればよかったのに同じ道を通るのもどうかと考えてしまい、海岸線沿いに港まで行くコースを選びました。これが運命の分岐点だったようで、その後行けども行けども強烈な上り坂と直滑降のような下り坂が延々と続き、このまま遭難するかもしれないと何度も考えながら「あの坂を上れば・・・」と中1国語の題材を頭で繰り返しつつ、2時間がかりで峠を抜けました。あれは日頃の運動不足がどうのというレベルではなかったようで、自転車を返す時に管理の方から「あの道は自転車で通れる道じゃない」とも言われてしまいました。「秀策の墓へ寄って・・・」と理由を話すとそのまま囲碁談義に花が咲き、石を投げれば有段者に当たる島という噂は本当だったのかと思いました。自分で勝手に作った噂ですがね。

フェリーで遥々愛媛県今治市についたのは8時。この時間で、深夜か?と思う程どの店も閉まっていました。まあ地元も似たようなものですが、土産物中心の商店街だったのかもしれません。またも一番最初にアタックした宿でいきなりチェックイン。もう少し探せば安い宿が隣にあったみたいですけど、もう一刻も早く休みたかったので仕方なしかな。

明日は帰るのみ。折角愛媛まで来ましたが、観光よりも早く戻る事を優先したいと思います。四国へ渡った意味なし!