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ヒトラー没後70年

2015年04月30日 | 私見
今日はヒトラーがピストル自殺して70周年になる模様です。

まあ日本も戦後70年ですから、今後も戦争がらみでは色々な70年が誕生して行くのでしょう。巷では終戦記念日に合わせて発表される安倍談話やアメリカでのスピーチの内容に国内外からああだこうだ言われているようですが、未来像を語ることこそあれ、いつまでも過去に執着させるのは結局どちら側にとっても良くないのではないかと思う今日この頃です。安倍首相も、約10年前の就任当時は「初の戦後首相」と言われ「戦後レジームからの脱却」を訴えたものの、根強く残る「お詫びと反省派」に押され、その時はまだうまくいきませんでした。しかし、今や戦後70年ということは、戦前世代の人口ももう2割以下であり、逆に大東亜戦争時に生まれていなかった日本人はもう1億人以上に上るわけです。数日前に大正生まれの国会議員はもういないと書きましたが、まだ9%いるらしい戦前議員というのも所詮終戦時はハタチ未満なわけですし、従軍経験者も存在せず、戦争時の政権や情勢を知る議員などは最早皆無なのです。気がつけば、軍靴も遠くなりにけり。学校では、戦争の話を聞く宿題を出そうとしても祖父母すら戦後世代と言う家庭が大半の時代なのです。そんな前世にも等しいことについてああだこうだ言い合うのは不毛な争いですし、やはりどこかでケリをつけていかなければなりません。世界の平均寿命が70歳という時代である今、戦後70年というのは過去との決別とするのには最善の選択なのではないでしょうか。

そんなわけでヒトラーについてです。今日の没後70年は、昨日たまたまレンタルDVDでヒトラーのテレビ映画2部作のを観て知りました。前半は「わが闘争」の内容で、後半は全権掌握と「長いナイフの夜事件」までで、まさに藤原道長の「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という瞬間までを描いたものでした。日本人が監督なら間違いなくその後の戦線拡大と迷走、ナチス崩壊まで3部作で作って「盛者必衰の理を表す」としたと思われますが、この監督はココで留め置くことが「なぜ独裁者が誕生するに至ったか」を考えさせるのに最善だと判断したのでしょう。決して尺が足りなくなったとか面倒くさくなったわけではないですな(笑)当然ナチス礼賛の映画ではなく、その端々にヒトラーの狂気や異常性を忍ばせる演出がありましたけど、自分はそれよりも彼を狂気に走らせていった環境というか、時代背景の方に興味をもちました。
彼は自らが主張してきたドイツ民族主義の模範的存在などではなく、そもそも生まれはオーストリアで、その出生も実ははっきりしていません。婚外子だとか私生児だとかいう話から、実はユダヤ人の血が入っているのではないかという説が出てきたのは、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」に詳しいですな。まあ本人は名誉あるアーリア人だと思って苦しい生活をしている中で、ユダヤ人達が裕福な暮らしをしていることに反感をもったというのはその通りでしょう。その後第一次世界大戦が起こり、自らも参戦し、国のために戦っていたと思っていたら、当のドイツで戦争反対のストライキが起こって敗戦となってしまい、それを扇動した(と彼が考えた)ユダヤ人に対する憎しみを一層募らせたようでした。彼の「血」に対する常軌を逸したこだわりというのは、この映画や「わが闘争」を読んでもイマイチ説明できませんが、一国民として、虐げられていくドイツを見てわが身と重ね合わせ、自らが指導者として政界に出て奮起しようとする原動力としていった心情は十分理解できます。その後、ヴェルサイユ条約で科せられた理不尽な賠償額に溜まりかねた国民もまたヒトラーの唱える民族主義に乗っていき、後の躍進と暴走へとつながっていった・・・という内容でした。

ここで注目したいのは、第1次世界大戦から第2次大戦まで、僅か20年しか経っていないと言うことです。つまり1世代も交代することなく、例えばヒトラーのように1次の時に兵として戦った者が、2次では指導者の立場にかなりいたということです。敗戦国にとっては屈辱の20年だったことでしょうし、特に前線で活躍した兵士にとっては「倍返しだ!」などとメチャクチャやる土壌が整っていたと言えるでしょう。ドイツは結局負けてしまいましたが、江戸時代では関ヶ原の戦いで負け、ずっと虐げられてきた薩摩や長州が260年後に明治維新を成功させ、要職に就いたという事例もありますから、「やられた恨み」をいつまでも根にもっていると、次の行動を起こす原動力になり得てしまうのです。ちなみに安倍首相もその長州藩のあった山口出身の総理ですね。
転じて今の日本を見てみると、現状の朝日新聞を中心とする安倍首相をヒトラー視する情勢について、巷に溢れる「日本スゴイブーム」やヘイトスピーチ、左翼のテロ活動などを歴史の連続性の中で捉えれば、確かに民族主義や一部の人種への排斥運動にこじつけて見ることもできるでしょう。まあ、勝手に結びつけることは自由ですが、それらを首相自身が扇動しているわけではないですし、第一ヒトラーがどんどん暴走して言ったのもマスコミがあることないこと書きまくったことが原因の1つのようなので、首相への個人攻撃を余りにも執拗に行うのは、まさに歴史が示す「独裁者の作り方」そのものになってしまうのではないでしょうか。朝日などは早速第一次政権下での「やられた恨み」を昨年見事に返されてしまっていますしね(笑)権力監視の大義名分は良いとして、それを盾に単なる誹謗中傷を流布させることは人としてやっちゃいけないことですし、長い目で見れば逆効果になるってことを、マスコミも歴史からしっかり学ぶべきことでしょう。
アメリカの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」によって、現在の日本人はアメリカを中心とする戦勝国に対して全くと言って良いほど悪感情をもっていません。中国は別ですけどね(笑)つーか、そうでなくとも「水に流すこと」は日本人の美徳ですので、おそらく余計なことをしなくても結果は同じだったかもしれません。いずれにしても、先の選挙で再び与党が大勝しましたが、自民自体は議席を減らしましたし、公明や民主、何故か共産もジワリと議席を伸ばしましたから、独走が許されない状況にあるのは変わりありません。ナチスのように気に入らないと何度も選挙を繰り返し、議席を増やすようなやり方はもう不可能でしょう。そもそも自民党自体、軍事政権ではありません。これだけ情勢が違う中、未だに安倍首相をヒトラーだという人達は、はっきり言って不勉強にも程があります。平和平和とキレイゴトだけを唱えるのは簡単ですが、その平和を維持する努力を怠っては明らかに片手落ちです。「私は綺麗好きだからホコリには触りたくないわ」と言いつつ掃除を全くしないようなものでしょう。憲法前文にも「我らは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」とありますから、今話題の「国家安全保障基本法案」も、憲法が掲げる理想にようやく追いついたと言うレベルのものです。国際社会において、日本がしっかり自衛・自立しながら平和維持に貢献できる仕組みを作ること。これも今の教育に流れる「生きる力」の1つだとも言えるでしょう。平和平和だけ唱えて、誰かに殺されるまでいじめられたり、自殺に追い込まれたりするまで何もできない子どもばかり生み出すような教育はもう止めにしないといけません。自ら立ち向かうとか、強い者を味方につけるとか、色々手段はありますが、クラスや先生、世の中を味方につけて「いじめをなくそう」と運動できるようなバイタリティ(積極的平和主義)と最低限の護身術(自衛軍)、仲間が困っていたら助けてあげる勇気(集団的自衛権)を身につけることが、これからの子ども達や日本の未来のために必要なのではないでしょうか。

「やられた恨み」は水に流し、「平和の維持」のためにできることをしっかり考える71年目になって行くと良いですな。

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