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プールカード論

2012年07月23日 | 私見
本来は書くべき内容でないと承知しつつも、堪えきれないので愚痴ります。

夏休みが始まり、プール開放が始まりました。
体育担当として、プールでは事故がないよう、プールの安全には細心の注意を払っていると自負しています。
土日にも学校に行って塩素濃度を測っていますし、1年生が帰った後は6時間目とかにも極力プールに行くようにしてきました。夏休みも、プール当番は輪番制ですが、土日も含め、開放日は出張がない範囲で毎日見ようと思っています。
ところが、夏休みプールを終えた後、保護者の祖母を名乗る人物から電話がかかりました。
要約すると、こういう内容です。

「プールカードの印がないからといって、プールに入れなかったのはおかしい」

学校の事情に詳しくない方もいらっしゃると思うので、少し説明します。
学校では、「プールカード」と言う、プールに入るための許可書があります。
朝、保護者が子どもの体調を見て、「入水を許可します」と印を押します。
登校後、教師が子どもの健康観察をし、「入水を許可します」と印を押します。
この2つがそろって初めて、子どもはプールに入れるわけです。
担任印は、学校に来てから体調を崩したり、プールに入れないような怪我をしたりした場合もあるためであり、通常は保護者印があれば押すので、問題は保護者印です。
1学期のプール指導でも、2~3日に1回程度の頻度で印鑑が押していない場合がありました。
そういう場合は「プールに入れません」「学校から連絡もしません」という決まりになっており、保護者には事前に周知しています。当然、夏休みも同様です。
断っておきますが、これは本校独自の決まりでなく、軽く「プールカードに印」でネット検索をする限り、全国的にそうなっているようです。

何故そういう決まりなのかと言うと、大きく2つの理由があります。
まず、印がないということは「保護者は許可していない」ということであり、同情して入れてしまい、万が一事故が起きたときに、責任は100%学校にあることになってしまいます。「お役所仕事だなあ」と思われるかもしれませんが、最後にものを言う「証拠」は、印のある証明書だというのは社会の常識であり、日本の伝統的な文化でもあります。これは何も学校に限ったことでなく、締め切りを過ぎたら不可、記入漏れ、印忘れは不可というのは社会に広く浸透した常識ではないでしょうか。学校だけが例外と言うことはありえません。厳密に解釈するなら、学校の施設は関係者のみが使えるわけですし、何らかの許可がない場合は不法進入になるでしょう。特にプールでの活動は、大きな事故や死に直結する可能性のある活動であり、我々も単なる授業の1つでなく、事前に承諾書や既往症を調べたり救命講習を受けたりするなど、それなりの覚悟と責任をもって臨んでいます。そんな中に、許可されていない子を入れるわけにはいきませんし、その子の対応のために、泳いでいる何百人の子どもを放って電話連絡をするなんてことはもっとありえません。僅か数人の楽しみよりも、何百人の命の方がずっと重いからです。もっと言えば、プールではゴーグルですらも「自分で直す」決まりとなっており、監視をする先生に直してもらってはいけないことになっています。それくらい安全管理に厳しい体制をとっているということをまず理解して頂きたいです。

もう一つは、「印を忘れたら入れない」という罰を受けることも、教育の一環であるということです。人間は、何度も失敗し、痛い目を見て、やっと成長できるものです。小さいうちなら、尚更そうです。学校で起こる失敗なんてものはたかが知れていますし、責任を問われるようなものも滅多にありません。そうした守られた環境の中で、「次は失敗しないぞ。」と思うためには、(体罰はダメですが)多少の罰(懲戒)はあって然るべきです。10数回あるプールの、たった1回入れないだけのことで成長できるなら、これほど効果的な学習はないでしょう。
確かに押し忘れたり、日付を間違えたのは保護者の責任であり、子どもが罰を受けるのは可愛そうという見方もあるかもしれません(自分は断じてそうは思いませんが)。しかし、1年生ならまだしも、2年生以上なら自分のプールカードの今日の日付が分からないということはないでしょうし、その確認を怠った本人の責任もないとは言えないと思います。もし親が間違えたとしても、押してもらった後で見て「今日は○日だよ」と言ったりすれば済むわけですし、極端な話、自分で押し直すぐらいの知恵は必要でしょう。小学生なら、もうそういうことができる年齢に達していると思います。ただ、1年生はまだ10より大きい日付や曜日の漢字が読めないので、うちの学級では「次にプールのある日」に毎日○をつけて渡すようにし、それでも忘れた場合は、やはり入らせませんでした。ここでも「お役所仕事だなあ」と思われるかもしれませんが、忘れ物など、本人の基本的生活習慣に関わる問題は、本人が気付き、変わらなければ改善されることは絶対にないのです。そのために、「その日1回プールなし」という微罰により、懲りる必要があるというのが教師の考えです。そうすることで、次の日からは絶対忘れなくなるでしょう。もちろん、プールから上がった子どもを炎天下にさらしておくことはなく、日陰や校舎内の涼しいところで待つように指示をしてます。何故すぐ帰さないかというと、1人で帰すことは今のご時世では基本的にありませんし、その子が帰ったことによって一緒に来た友達が1人になってしまうのも困るからです。まあ、その子は勝手に帰ったそうですが・・・

事実としては、保護者は印を押したけれども、押した日にちが違っていたと言う、よくあるケースでした。普通はここで終了ですし、保護者からの電話は「自分が一番悪いのは分かっていますけど」という姿勢で、「せめて一報欲しかった」という、まあ納得できる内容の電話でしたが、その直後にかかってきた問題のクレームの主がその子の祖母からであり、こうした学校の立場と言うものを全く意に介さず、ただただ我が子(孫)可愛さの一心で電話をしてきたわけです。「子どもが泣いて帰ってきた」「楽しむためにプールに来たのに、印がないだけで入れないなんて可愛そうだ」「先生なのに、そういう子の気持ちが分からないのですか」・・・正直言って、こういう部外者の電話が一番タチが悪いです。こちらの言い分や対応した経緯などは全く聞こうともせず、1時間半ほど自分の主張をまくし立て、プール当番、体育主任(自分)、生徒指導、校長と順番にお叱りを受けました。あと、市教委にも電話をしたらしいですが、この辺、やはり学校のことを知らないなあと思いますね。・・・「ルールよりも子どもの気持ちを大切にしろ」なんて、「人を傷つけてはいけない」というルールよりも、子どもの「友達をいじめると楽しい」気持ちを大切にしろと言っているのと同じだと思うのですが・・・極論ですか?まあ、そういう対応をしてしまった某学校がどういう風になったかは言わなくても分かると思いますが。ルールの破れは秩序の乱れであり、「あ、印がなくても入れるのか」と子どもが思ってしまったら、最早歯止めがかかりませんよ。1人ならまだしも、10人以上電話して印を押しに持ってきてもらうのを待つうちにプールが終わってしまい、今度は電話した順番にまでクレームがつくことまで目に浮かびます。子どもは悪びれもせず、明日もまた忘れてくるでしょう。入れてよかったと喜ぶ子どもと保護者。成長できるチャンスを逃したことを悔やむ教師。・・・どちらが真に子どものことを思っているでしょうか?

いずれにせよ、自分は「子どもの気持ちが分からない先生なら今すぐ辞職してほしい」とまで言われてしまい、子どものことを真に思うからこその措置だったと冷静に説得する気力も失い、突っ立ったままそのおばあちゃんの苦言を聞き流す羽目になりました。唯一「子どもの安全を第一に考えています。」と主張できたことは良かったと思いますが、今からでももう一度電話したい気分です。
自分もおばあちゃん子なので、どうしても“孫が一番かわいい”になってしまう気持ちはよく分かりますが、子どもを偏愛するあまり、周りが全く見えなくなり、猪突猛進に行動を起こすことが、長い目で本当にその子のためになるかと言うことを考えれば、絶対に良い方向に働くことはないでしょう。おそらく孫や娘に泣きつかれて「正義は我に在り」という誤った義憤にかられたのでしょうけど、この電話によって孫がプールに入れなかった現実が変わるわけではなく全く意味がないどころか、長い目で見るとこの安易な行為によってその子が失ったものは非常に大きいと思います。困ったら何でも親が解決してくれ、自分は決して悪くないと甘やかされて育った子どもが果たして明日から変われるのか。もっと言えば、そういう家庭で育った子どもが将来どんな大人に成長するか、考えるだけで恐ろしいですな。まあ、そうした色々な価値観をもつ家庭の子でも、教師ががんばれば真っ直ぐな人間に育てることができる「教育」の存在は大きいですね。

キリがないのでこの辺で。

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