《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道2・京街道3「茨田堤(まんだのつつみ)」

2015年01月19日 | Weblog

日本書紀に茨田堤は、仁徳天皇11年とあり、これは河川堤として日本で最初のものである。当時の淀川は水量も多く今では考えられない「平流れ」で、広い土地を川道としており築造は難工事であった。この付近の宮野遺跡から古い堤防遺構が検出され、5世紀末頃の須恵器も出土している。


1/25000確率

2015年01月16日 | Weblog

正月明けの1月5日「天理教本部お節ち会」へ初めて行った。今日から3日間に渡り、雑煮が無料で振る舞われる。昨年の3日間の参拝者数は7万7千人と説明書にあった。勝手が分からないまま大勢の参拝者に紛れて流され、あれよあれよという間にお餅とお雑煮を頂いた。帰りの混雑している商店街では所属する寧楽考古楽倶楽部のメンバーに声を掛けられ「びっくり」約1/25000の確率である。何か今年は良い予感っ。


旧街道2・京街道3「蓮如上人が出でまして…」

2015年01月12日 | Weblog

「御田地」。布教先の越前吉崎から枚方へ布教に訪れたワシは61才になっていた蓮如じゃ。淀川河畔に立てた草庵が後に光善寺として新たに建立されたそうじゃ。3年に渡り疲れればこの石に腰を掛け布教を続けたものじゃ。その後誰が名付けたか「腰掛け石」と呼ぶようになった。さすがにワシが座った石は避けて休憩をしとるわいっ。きっと皆にご利益があるぞっ。


旧街道2・京街道3「格子と日の丸国旗」

2015年01月07日 | Weblog

蓮如第27子の「実従(じっじゅう)」の日記によりますと、順興寺を中心としたこの町のことを書いており、蔵町、上町、下町などの町場が形成され、油屋、塩屋、味噌屋の屋号を持った商人たちの多くの人々が住んでいたそうです。お寺を中心とした町のことを寺内町と云います。今日は勤労感謝の振り替え休日。日の丸国旗の似合う寺内町の格子の家でございます。