守口市に入り文禄堤を歩く。瓶(かめ)橋は公儀の橋で2本の石柱が今も残っている。この辺りまでが守口宿の西端。この橋の名の起こりは「口を守ること、瓶のごとし」と、「発言は慎重にするべし」との意味。「守口」の名の由来については「大阪城の守(まも)り口」と云う説があるそうだが俗説とのこと。(守口門真歴史街道推進協議会・守口宿より抜粋)
二日前から天気が気がかりだったが、参加者20名の日頃の精進が良かったのか、今日は絶好のウオーキング日和。この「旧街道を歩く会」も最終コースである第二の故郷(?)奈良へ向かっての第一日目。JR玉造駅から近鉄奈良線額田駅までの約13キロを全員無事に歩き通した。報告はまた何れ…
守口の文禄堤を歩く。難宗寺の前にある左側の背の低い石柱は守口街道の道標。右の2本は記念碑で「御行在所」とあり、明治天皇が慶応4年に宿泊された所と、「御仮泊所」は明治43年に大正天皇が皇太子の時に宿泊された所を示す石柱。(守口門真歴史街道推進協議会・守口宿)
近畿自動車道と並行して走るモノレール。かつては車の渋滞情報でよく聞かれた橋。昭和29年から昭和39年まで日本道路公団初の有料道路だった。道路橋2本とモノレール橋、高速道路橋の計4本が架かる。河川敷には野球場、サッカー場、テニス場等があり賑わっている。