日本書紀に茨田堤は、仁徳天皇11年とあり、これは河川堤として日本で最初のものである。当時の淀川は水量も多く今では考えられない「平流れ」で、広い土地を川道としており築造は難工事であった。この付近の宮野遺跡から古い堤防遺構が検出され、5世紀末頃の須恵器も出土している。
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