郡山城を訪れたのは2007年6月だった(http://blog.goo.ne.jp/kappa3939/d/20070626)。その折、商店街でにぎり寿司を食べったのを思い出し探したが見当たらなかた。奈良で城下町としてそれらしい町並みとして残っているのはここぐらいだと思う。しかし柳町商店街も変わりつつあるのが一寸寂し。
宝山寺と近鉄との裏話がございます。「生駒山を貫く生駒トンネルの莫大な開削費用負担や、沿線人口が少なく観光客頼みであった輸送が雨天期になって減少したことで、大軌は『「大阪天気軌道』と揶揄された。開通して間もない6月下旬には、社員給料の支払いはおろか翌日に使う切符の印刷費も出せないほどに財政が窮乏した。そこで当時の取締役の方が宝山寺に乗車券10万枚を「質」に、お賽銭を貸してほしいと。管主さんは生駒駅を設けてくれることを請願した結果、経営が苦しくなったことに責任の一端があるといわれ、資金を都合された(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E5%AF%BA)より抜粋」。人それぞれが持ちつ持たれつつの良い話ではございませんか。時代が良かったのでございましょうか?私の話は今回これにて終了でございます。ではまた何れっ。(完)
ケーブルカーは生駒駅から宝山寺までは約900mを複線で結んでおり「宝山寺線」として開通いたしまして、その後宝山寺駅から生駒山上までの区間は単線で「山上線」として開通したようであります。宝山寺線は開通当初から複線という事でもわかりますように、参拝客で大変賑わったようでございます。ただ戦時中は片側の線路が軍の供出の憂き目にあい撤去され、昭和28年に復活したそうでございます。