《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

九州旅Ⅲ「西郷隆盛終焉の場所」

2011年08月13日 | Weblog
西郷軍の300余名に対し政府軍は約4万でこの城山を取り囲んでいる。死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部たちと共に出て、ゆっくりと岩崎谷を下り始めた。その時政府軍の流れ弾が西郷の腰に命中。「この辺で、もう、ようがどす」言って、別府晋介の介錯で49歳の生涯を閉じた。西郷隆盛は日本をどのようにしようと思っていたのか?彼は書き物を残さなかったが、自分の計画とは異なった方向へと自分が追い立てられてゆくのに耐えられなくなったのだろうか。

九州旅Ⅲ「西郷洞窟」

2011年08月11日 | Weblog
田原坂から敗走してきた西郷軍は城山に集結。西郷を始め幹部はこの洞窟に5日間立てこもる。桐野は常に西郷に寄り添うようにしていたが、この洞窟内での桐野は西郷から距離を置いて座り会話らしい会話もなかった。桐野は西郷をこのような負け戦に引き込んだことを詫びる気持ちでいっぱいだったのかも知れない。言葉は交わさずとも西郷は桐野の気持ちを十分に理解していたのであろう。

九州旅Ⅲ「黎明館」

2011年08月10日 | Weblog
鹿児島の歴史、考古、そして民族資料館が鶴丸城の本丸跡にある。企画展として島津重豪と斉彬の狭間にいた島津斉興の生活に関するものが主に展示されていた。この鶴丸城跡は幕末、西南の役で西郷隆盛を盟主とした士族による武力反乱で日本で最大で最後の内戦となったところ。この少し前から西郷隆盛は自分の思う方向とは異なる方向へと状況が変った結果「気抜け」したように死へと向かう。石垣に残る砲弾の跡、当時の戦いの激しさが今に残る。

九州旅Ⅲ「維新ふるさと館」

2011年08月08日 | Weblog
訪れたのがNHK大河ドラマ「篤姫」の放映があった翌年だったので、撮影に使用された衣装などが特別展として展示されていた。「鹿児島の歴史が一目でわかる」と題され、島津斉彬、西郷隆盛や大久保利通を紹介したミュージアム。司馬遼太郎著「飛ぶが如く」を思い直しながらの見学。