《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道「暗峠5」

2007年09月12日 | Weblog
峠県境の標識北側へ少し入った所に、地蔵堂がある。掃除をなさっていた方にお話を聞いた。彼女は18歳で結婚相手の顔も知らずこの地に嫁にきたそうである。大変なところで何度も帰ろうと思ったことがあったそうな。病人が出ても今はすぐに救急車がきてくれるが当時は人に担がれてこの道を降りていったという。今84歳と言うからたかだか60年余り前の話である。

旧街道「暗峠4」

2007年09月11日 | Weblog
今この付近は「暗がり」という、イメージが沸かない。調べてみると1585年郡山城に入封した豊臣秀長は城の大増築を行った。その折この辺りの大木を伐採したため木が少なくなり今は「暗がり」感がなくなたとか。またこの石畳は江戸期に大和郡山藩柳沢家の本陣があったことから敷かれたという。

旧街道「暗峠2」

2007年09月06日 | Weblog
大阪府側近鉄枚岡駅から急な坂道に入ると芭蕉の句碑「菊の香に 暗がり登る 節句かな」がある。さらにきつい坂道を登ってゆくと1694年9月9日に芭蕉も歩いた石畳の道に至る。そこが大阪府と奈良県の国境、この街道の頂きだ。そして芭蕉が歩いた最後の街道でもあるとか!