《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所・附けたり「元興寺の塔」

2019年01月28日 | Weblog

元興寺は日本最初の本格寺院とっして建立された
飛鳥寺(法興寺)を平城京に移したもので、
周辺は奈良の飛鳥と呼ばれ、元興寺禅定院の地にあった興福寺大乗院は、
江戸時代には「飛鳥御殿」と通称されていた。
塔は五重塔で基壇の鎮壇具として神功開寶が出土していることから、
奈良時代後半の造立であることが分かる。
高さ24丈(72㍍)というこの塔は
安政6(1859)年2月28日夜の火事で観音堂と共に失われ、
現在はその基壇と礎石が芝新屋町の元興寺に残る。
隣接する下駄屋の焚火の不始末で、鉋屑(かんなくず)が
修理中の瓦を降ろした塔の上層屋根に落ち、
炎上した可能性が高いようだ。
塔はロウソクの燃えるように上層から燃え、上からだんだんと焼け、
倒れることもなく類焼も少なかったと言う話が伝わる。

今日の暦:貞享2(1685)年、将軍綱吉が生類憐みの令を出す。


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