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奈良時代の僧、玄昉(げんぼう)僧正の首塚と言い伝えられきた。
筑紫観世音寺に流された玄昉は藤原広嗣の怨霊にさらわれ、その体は引き裂かれ、
頭が落ちた地が頭塔、目と眉が落ちたのが、眉目塚(びもくづか)、
腕(かいな)が落ちたのが肘塚(かいなつか)、
胴が落ちたのが胴塚と言い伝えた。
1辺32~33㍍、高さ約7㍍、7段の階段ピラミッド状の構造をした奈良時代の土塔で、
5層の瓦葺屋根を持ち、各面の一段目に5体、三段目に3体、五段目に2体、
七段目に1体の石仏を据えたものであることが明らかになっている。
今日の暦:昭和32(1957)年、南極観測隊がオングル島に上陸(昭和基地)
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