山際には多くの寺院跡があり、土塁、
柿経(こけらぎょう・ヒノキ材を削った
30cm内外の細片"柿"に経文を墨書したもの)、
卒塔婆、墓地などが発見されている。
縦横に走る道路沿いには、武家屋敷、
寺院、大甕を並べた紺屋をはじめ数珠屋、
鋳物師、檜物師(ひものし・曲げ物師)、
刃研技師などの職人の家や坪庭のある医者の家が建ち並んで、
職人町家を形成していた。
1区画ごとに裏庭、井桁に組まれた石枠の井戸と、
側溝に流されていたと思われる石組の厠跡が復元されている。
そこには幾人かの職人が働き、人口密度が相当高かったと思わている。
今日の暦:(1914)年、第一次大戦で日本軍が
ドイツ支配下の膠州湾(こうしゅうわん)を占領。
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