平城宮の東に張り出している部分が東院地区と呼ばれていて、その一部分の発掘調査説明会が2月20日にあった。皇太子の居所の東宮や天皇の宮殿がおかれ、儀式や宴会に利用されていたとされている東院園はその南東にあり、その南東には長屋王邸宅跡。仲麻呂は光明天皇や孝謙天皇の信任を背景に権力を増し、淳仁天皇を擁立して太政大臣に上り詰めたが、後に孝謙天皇との関係が悪化して失脚した。今回発掘されたこの地区は710年~770年の間に6期わたり大規模な建物が建て替えられた。掘立て柱跡が多くあり説明を聞かなければ柱穴ばかりの現場、何がなんだか分らない。この柱穴の数が仲麻呂の栄枯盛衰とかかわりがあるのか?画像中央左に見えるのが大極殿
(今日の歴史=702年文武天皇が初めて度量衡を定めて天下に公布する)
(今日の歴史=702年文武天皇が初めて度量衡を定めて天下に公布する)