《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を歩く「朱雀門2」

2010年07月27日 | Weblog
基壇は東西33メートル、南北18メートル 間口5間、奥行き2間。柱の間隔17尺(5メートル)軒の出が12尺(3.6メートル)あった。再建された門の柱は吉野と木曽と埼玉の檜材を使っている。朱雀門や大極殿は多くの瓦を載せるため重量がかかるので礎石の上に柱が立っている。しかし内裏などの屋根は桧皮葺で屋根が軽いので掘立て柱建物。これは天皇の住処であるから圧迫感を無くすためだったかも知れない。
(今日の歴史=1621年外国人の日本人売買《こんな時代もあったのだ》、武器売買などを禁止する)


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