回廊の西側にある南北に長い建物の手前が三経院。法隆寺が衰えていた明治12年からここに東本願寺の説教所があった。親鸞聖人が聖徳太子を和国の教主と崇めていたので、法隆寺の復興のため説教所を開いた。一時は参拝者が多く収容しきれない時代もあった。建物の北側は西院とよばれ東院と同じく僧坊だった。今では区切りはなく大広間となり、太子の遺言どおり5月16日から90日間三経の説法が行われているが昔は盛大であったが今では大広間に2,3人というときもあるらしい。
(今日の歴史=1945年GHQが修身、日本歴史、地理の授業停止を指令する)
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