《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

富雄川流域探索「大庵寺」

2020年05月12日 | Weblog

竹林園と富雄川を挟んでの西側旧道「上大北」のバス停から
約240㍍程南へ戻ると右側少し高台にフェンスが見える。
もともと「大雄寺」と呼ばれていたが、
明治以降「大庵寺」と呼ばれるようになったそうだ。
それらしい標識は見当たらない。
児童公園も兼ねているのかボール投げなど
禁止事項が書かれた看板がある。
空き地に石仏や宝篋院塔などが一ヶ所にまとめられていた。
蓮弁に座する石仏や舟形に彫られた中にはめ込まれた
「入れ子型」の地蔵石仏がある。
崩れかかった建物が一棟あり、雰囲気的には本堂だったのだろうか。
その左側には屋根の下で片膝突いたやさしい顔の
元明4辰(1784)年十一月十八日建立の如意輪観音坐像があり、
基礎部に「那智山」と「一番」が交差して彫ってあり奉納者名が読める。
「西国一番那智山」とは、那智の大瀧に対する
古代信仰から始まったと考えられている
「熊野十二所権現霊場巡り第一番札所」の事なのだろうか。

今日の暦:(1571)織田信長が伊勢長嶋の一向一揆と戦う。


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