7世紀前半の瓦窯群で地下式登り窯が8基確認されている。斑鳩寺(若草伽藍)と同笵の四天王寺の創建瓦、吉備池廃寺(百済大寺)の同笵瓦など四天王寺所要瓦を製作した瓦窯で瓦陶兼業窯であたことが知られている(街道資料7より抜粋)。しかし当時の窯跡は綺麗に芝生で覆われた住宅の庭にあり門扉の上からのぞき見るほかない。お住まいの方にとっては迷惑なことかもしれないが「一寸失礼」。しかし窯の痕跡はなかった。
最新の画像[もっと見る]
- 富雄川流域探索「浄福寺の巨樹」 3年前
- 富雄川流域探索「大倭神宮」 3年前
- 富雄川流域探索「聖徳寺」 3年前
- 富雄川流域探索「大和国鹿島香取本宮」 3年前
- 富雄川流域探索「霊山寺2」 3年前
- 富雄川流域探索「霊山寺1」 3年前
- 富雄川流域探索「杣(そま)川(がわ)2」 3年前
- 富雄川流域探索「杣(そま)川(がわ)1」 3年前
- 富雄川流域探索「葛上(くずがみ)神社2」 3年前
- 富雄川流域探索「葛上(くずがみ)神社1」 3年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます