この場所からなかなか前へ進まない。轟橋の前の歩道に石板が3枚ならんである。これが轟橋のあとか?と云われている。余談:この轟橋は「うち渡る人めも絶えず行駒の…」と読まれ、この橋を渡る人が多く賑わっていたことがわかる。また前の道は雲井坂と呼ばれ北から南に向かって登り坂になっている。「村雨の晴れ間にこえよ雲井坂…」と読まれ道は雨が降ればぬかるんで歩きにくい坂道だったことがわかる。この雲居坂雨、轟橋旅人は東大寺鐘、春日野鹿、南円堂藤、猿沢池月、佐保川蛍、三笠山雪とならび南都八景と呼ばれたことが、「蔭涼軒目録」寛政6年9月26日条にある(街道資料Ⅰより)。
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