11月3日まで奈良市埋蔵文化調査センターで「近世奈良の開幕・多門城と郡山城」と題した
秋季特別展が開催されている。従来、権力者は田、地域の支配をするための城としていたが、
大和に入った松永久秀は社寺の都であった南都奈良に本格的な町、道(流通)を支配するための城を、
佐保山の東南に多門城を築城した。
この多門城は戦の「火矢」から火災を防ぐため屋根を瓦葺に、そして塀は火災は勿論の事、
鉄砲の弾の貫通を防ぐ白壁を採用し、今までの城の概念を変えた最初の支配者とされる。
この多門城に対する考えは織田信長の安土城に引き継がれる。
(画像はパンフレットの表紙・多門城に葺かれていた瓦)